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潜夫論 / 卜列

聖人甚重卜筮,然不疑之事,亦不問也;甚敬祭祀,非禮之祈,亦不為也。故曰:聖人不煩卜筮,敬鬼神而遠之。夫鬼神與人殊氣異務,非有事故,何奈於我?故孔子善楚昭之不祀河,而惡季氏之旅泰山。今俗人筴於卜筮,而祭非其鬼,豈不惑哉!亦有妄傳姓於五音,設五宅之符第,其為誣也甚矣。古有陰陽,然後有五行。五帝右據行氣,以生人民,載世遠,乃有姓名敬民。名字者,蓋所以別眾猥,而顯此人爾,非以絕五音而定剛柔也。今俗人不能推紀本祖,而反欲以聲音言語定五行,誤莫甚焉。夫魚處水而生,鳥據巢而卵,即不推其本祖諧音而可。即呼鳥為魚,可內之水乎?呼魚為鳥,可棲之木邪?此不然之事也。命駒曰犢,終不為馬。是故凡姓之有音也,必隨其本生祖所土也。太皞木精,承歲而王,夫其子孫鹹當為角。

新字:聖人甚重卜筮,然不疑之事,亦不問也;甚敬祭祀,非礼之祈,亦不為也。故曰:聖人不煩卜筮,敬鬼神而遠之。夫鬼神与人殊気異務,非有事故,何奈於我?故孔子善楚昭之不祀河,而悪季氏之旅泰山。今俗人筴於卜筮,而祭非其鬼,豈不惑哉!亦有妄伝姓於五音,設五宅之符第,其為誣也甚矣。古有陰陽,然後有五行。五帝右拠行気,以生人民,載世遠,乃有姓名敬民。名字者,蓋所以別衆猥,而顕此人爾,非以絶五音而定剛柔也。今俗人不能推紀本祖,而反欲以声音言語定五行,誤莫甚焉。夫魚処水而生,鳥拠巣而卵,即不推其本祖諧音而可。即呼鳥為魚,可内之水乎?呼魚為鳥,可棲之木邪?此不然之事也。命駒曰犢,終不為馬。是故凡姓之有音也,必随其本生祖所土也。太皞木精,承歳而王,夫其子孫鹹当為角。

書き下し

聖人は卜筮を甚だ重んず、然れども疑わざるの事は、亦た問わず。祭祀を甚だ敬す、礼に非ざるの祈りは、亦た為さず。故に曰く、聖人は卜筮を煩わさず、鬼神を敬して之を遠ざく、と。夫れ鬼神と人とは気を殊にし務めを異にす、事故有るに非ざれば、何ぞ我に奈せん。故に孔子は楚昭の河を祀らざるを善とし、而して季氏の泰山に旅するを悪む。今俗人は卜筮に策し、而して其の鬼に非ざるを祭る、豈に惑わずや。亦た妄りに姓を五音に伝え、五宅の符第を設くる有り、其の誣いたること甚だし。古は陰陽有り、然る後に五行有り。五帝は右に拠りて行気し、以て人民を生ず。世を載ること遠くして、乃ち姓名敬民有り。名字とは、蓋し眾猥を別ち、此の人を顕す所以のみ、五音を絶ち剛柔を定むるに非ざるなり。今俗人は本祖を推紀する能わず、而して反って声音言語を以て五行を定めんと欲す、誤りは此れより甚だしきは莫し。夫れ魚は水に処りて生じ、鳥は巣に拠りて卵む、即ち其の本祖を推さず音を諧すと為して可ならん。即し鳥を呼びて魚と為さば、之を水に内るべけんや。魚を呼びて鳥と為さば、之を木に棲ましむべけんや。此れ然らざるの事なり。駒に命じて犢と曰うも、終に馬と為らず。是の故に凡そ姓の音有るや、必ず其の本生祖の土とする所に随うなり。太皞は木の精にして、歳を承けて王たり、夫れ其の子孫は鹹な当に角と為るべし。

現代語訳

聖人は卜筮を非常に重んじますが、疑う余地のない事柄は問いません。祭祀を非常に敬いますが、礼にかなわない祈りはしません。だから「聖人は卜筮を煩わせず、鬼神を敬いながらも遠ざける」と言われます。そもそも鬼神と人とは気が異なり務めも違うので、特別な事情がなければ、鬼神が私にどうこうするはずもありません。だから孔子は、楚の昭王が(祟りと言われても)河を祀らなかったことを善しとし、季氏が泰山で旅の祭りを行ったことを悪みました。いま俗人は卜筮に頼り、祀るべきでない鬼を祀っています。なんと惑うことでしょう。また、でたらめに姓を五音に当てはめ、五つの宅の符や等級を設けていますが、その偽りは甚だしいものです。古には陰陽があり、そのあとに五行がありました。五帝は右に依って気を巡らせ、人民を生みました。世を重ねて久しくなり、姓名で民を敬うことが始まりました。名字とは、多くの人々を区別して、その人を顕すためのものにすぎず、五音を絶ち剛柔を定めるためのものではありません。いま俗人は祖先の系統をたどることができず、かえって声音や言葉で五行を定めようとします。これほどの誤りはありません。魚は水に住んで生まれ、鳥は巣に拠って卵を産みます。その祖先をたどらず、音を合わせるだけでよいとするなら、鳥を魚と呼んで水に入れられるでしょうか。魚を鳥と呼んで木に棲ませられるでしょうか。そんなことはありえません。子馬を子牛と呼んでも、馬は馬のままです。だからおよそ姓に音があるのは、必ずその最初の祖先が土地とした所に従うものです。太皞は木の精で、歳を承けて王となりました。その子孫はみな角の音になるはずです。

解説

この段では、聖人は卜筮と祭祀を重んじつつ、疑う余地のないことや礼にかなわない祈りには頼らないと語られます。孔子が楚昭を善とし季氏を悪んだ例を引き、鬼神と人は気も務めも異なるのだから、むやみに祭るべきでないと説くのです。続いて、姓を五音に当てはめて宅の吉凶を決める俗説を、魚を鳥と呼んでも鳥にならないという喩えで批判します。名や音ではなく、祖先の拠った土地や出自こそが本質だという論理です。現代の組織でも、肩書や呼び名、占い的な診断だけで人や事業を判断せず、実際の来歴と実績を確かめる視点が大切です。名前を変えても中身は変わらないという指摘は、今も有効です。

この章句が説くこと

卜列俗信本質名と実五行潜夫論

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