幽夢影 / 巻下・文に通ぜずして愛すべき者有り
貌有醜而可觀者,有雖不醜而不足觀者;文有不通而可愛者,有雖通而極可厭者。此未易與淺人道也。
新字:貌有醜而可観者,有雖不醜而不足観者;文有不通而可愛者,有雖通而極可厭者。此未易与浅人道也。
書き下し
貌に醜くして觀るべき者有り、醜からずと雖も觀るに足らざる者有り。文に通ぜずして愛すべき者有り、通ずと雖も極めて厭ふべき者有り。此れ未だ淺人と道ひ易からざるなり。
現代語訳
容貌が醜くても見ごたえのある人がいれば、醜くはなくても見るに足りない人もいます。文章が整っていなくても愛すべきものがあれば、整っていてもひどく嫌味なものもあります。これは浅はかな人に話して分かってもらえることではありません。
解説
見た目や形の整い方と、本当の魅力とは別物だと説いた一則です。顔立ちが整っていなくても、表情や気品に引き込まれる人がいます。反対に、整っていても印象に残らない人もいます。文章も同じで、文法や修辞が多少乱れていても心をつかむものがあり、非の打ち所がないのに鼻につくものもあります。友人の陳康疇は、毛色や雌雄を見誤りながら名馬を見抜いた九方皐の故事を引いて、本質を見る目を称えています。梅雪坪は「整っていても嫌味なら、それこそ不通と言うべきだ」と言い切っています。形式の整い具合だけで人や文章を判断せず、奥にある持ち味を見る目を養いたいものです。

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