言志四録 / 言志後録 第百四十条 月を看、花を看る
看月。觀清氣也。不在圓缺晴翳之間。看花。觀生意也。存於紅紫香臭之外。
新字:看月。観清気也。不在円欠晴翳之間。看花。観生意也。存於紅紫香臭之外。
書き下し
月を看るは、清気を観るなり。円缺晴翳の間に在らず。花を看るは、生意を観るなり。紅紫香臭の外に存す。
現代語訳
月を見るのは、その清らかな気を見るのである。それは満ち欠けや、晴れているか曇っているかとは関わりがない。花を見るのは、その生き生きとした命の気配を見るのである。それは紅や紫の色、香りのよしあしの外にある。
解説
月見と花見という風雅な営みに、ものを見る眼の深さを託した一条です。月を愛でるとき、人は満月か三日月か、晴れか曇りかを気にしがちですが、一斎は月を見るとは月の清らかな気を見ることだと言います。花を見るときも、色の鮮やかさや香りの良し悪しではなく、花に宿る「生意」、つまり生きようとする命の働きを見るのだと。宋の程明道が庭の草を刈らずに「自家の生意を見る」と言った逸話が思い起こされます。表面の条件に左右されず、その奥にある本質を見る眼を養えということでしょう。人を見るときも、成績や肩書、その日の調子だけでなく、その人の中にある持ち味や伸びようとする力を見ているか、と問いかけてくる言葉です。
この章句が説くこと
本質生意審美眼人を見る目自然観
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