潜夫論 / 救邊
所謂媾亦悔,不媾亦有悔者爾,未始識變之理。地無邊,無邊亡國。是故失涼州,則三輔為邊;三輔內入,則弘農為邊;弘農內入,則洛陽為邊。推此以相況,雖盡東海猶有邊也。今不厲武以誅虜,選材以全境,而雲邊不可守,欲先自割,偄寇敵,不亦惑乎?昔樂毅以慱慱之小燕,破滅強齊,威震天下,真可謂良將矣。然即墨大夫以孤城獨守,六年不下,竟完其民。田單師窮率五千,騎擊走卻,複齊七十餘城,可謂善用兵矣。圍聊、莒連年,終不能拔。此皆以至強攻至弱,以上智圖下愚,而猶不能克者,何也?曰:攻常不足而守恒有餘也。前日諸郡皆據列城而擁大眾,羌虜之智,非乃樂毅、田單也。郡縣之阨,未若聊、莒、即墨也,然皆不肯專心堅守,而反強驅劫其民,捐棄倉庫,背城邑走。由此觀之,非苦城乏糧也,但苦將不食爾。
新字:所謂媾亦悔,不媾亦有悔者爾,未始識変之理。地無辺,無辺亡国。是故失涼州,則三輔為辺;三輔内入,則弘農為辺;弘農内入,則洛陽為辺。推此以相況,雖尽東海猶有辺也。今不厲武以誅虜,選材以全境,而雲辺不可守,欲先自割,偄寇敵,不亦惑乎?昔楽毅以慱慱之小燕,破滅強斉,威震天下,真可謂良将矣。然即墨大夫以孤城独守,六年不下,竟完其民。田単師窮率五千,騎撃走却,複斉七十余城,可謂善用兵矣。囲聊、莒連年,終不能抜。此皆以至強攻至弱,以上智図下愚,而猶不能克者,何也?曰:攻常不足而守恒有余也。前日諸郡皆拠列城而擁大衆,羌虜之智,非乃楽毅、田単也。郡県之阨,未若聊、莒、即墨也,然皆不肯専心堅守,而反強駆劫其民,捐棄倉庫,背城邑走。由此観之,非苦城乏糧也,但苦将不食爾。
書き下し
所謂媾するも亦た悔い、媾せざるも亦た悔い有りとは、未だ始めより変の理を識らざるのみ。地に辺無く、辺無ければ国を亡ぼす。是の故に涼州を失えば、則ち三輔辺と為り、三輔内に入れば、則ち弘農辺と為り、弘農内に入れば、則ち洛陽辺と為る。此を推し以て相い況ぶれば、東海を尽くすと雖も猶お辺有るなり。今武を厲まし以て虜を誅し、材を選び以て境を全うせずして、辺は守るべからずと云い、先ず自ら割き、寇敵を偄んぜんと欲するは、亦た惑わずや。昔楽毅、慱慱たる小燕を以て、強斉を破滅し、威天下に震う、真に良将と謂うべし。然れども即墨大夫、孤城を以て独り守り、六年下らず、竟に其の民を完うす。田単、師窮まり五千を率い、騎もて撃ちて走り却け、斉の七十余城を復す、善く兵を用うと謂うべし。聊・莒を囲むこと連年、終に抜く能わず。此れ皆至強を以て至弱を攻め、上智を以て下愚を図りて、猶お克つ能わざる者は、何ぞや。曰く、攻むるは常に足らずして守るは恒に余り有ればなり。前日諸郡皆列城に拠りて大衆を擁す。羌虜の智、乃ち楽毅・田単に非ざるなり。郡県の阨、未だ聊・莒・即墨に若かざるなり。然れども皆専心堅守するを肯んぜず、反って強いて其の民を駆り劫かし、倉庫を捐棄し、城邑に背きて走る。此に由りて之を観れば、城の糧に乏しきに苦しむに非ざるなり、但だ将の食らわざるに苦しむのみ。
現代語訳
「和睦しても後悔し、和睦しなくても後悔する」と言われますが、それは物事の変化の道理をまだわかっていないからです。土地に果てはなく、果てを守れなければ国は滅びます。涼州を失えば三輔が辺境になり、三輔が内に入れば弘農が辺境になり、弘農が内に入れば洛陽が辺境になります。これを推し広げれば、東海に至るまで失っても、なお辺境は残るのです。それなのに今、武備を整えて賊を討ち、人材を選んで国境を保つことをせず、辺境は守れないと言って、自ら土地を割いて敵に弱みを見せようとするのは、惑いではないでしょうか。昔、楽毅は小さな燕を率いて強い斉を打ち破り、威名を天下に轟かせました。まことに良将と言うべきです。しかし即墨の大夫は孤立した城を独りで守り、六年たっても落ちず、ついに民を無事に守り通しました。田単は軍が窮したのち五千を率い、騎兵で敵を撃ち退けて斉の七十余城を取り戻しました。これも兵を用いるのが巧みだったと言えます。それでも聊と莒は何年も囲まれながら、ついに落とせませんでした。最強をもって最弱を攻め、最上の知恵をもって下愚を相手にしても勝てなかったのは、なぜでしょうか。攻める側はいつも力が足りず、守る側はいつも余裕があるからです。先ごろ、諸郡はみな城を連ねて大勢の民を抱えていました。羌の賊の知恵は楽毅や田単ほどではなく、郡県の険しさは聊・莒・即墨に及びません。それなのに、みな腰を据えて固く守ろうとせず、かえって無理に民を駆り立てて脅し、倉庫を捨て、城邑に背いて逃げました。これを見れば、城が糧に乏しくて苦しんだのではなく、ただ将が食を口にできず苦しんだ(自分たちの保身ばかり考えた)にすぎないのです。
解説
この章句が説くこと
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『新論』守禦長崎は番舶の輻湊する所、守備素より設けらる。今日の如きは、則ち虜至るべからざる所無くして、海内を挙げて皆長崎と為れり。其の之を守る所以の者も、亦た長崎と何ぞ異ならんや。且つ海外の諸島及び蝦夷地方の如きも、亦た非時に官員を遣はし兵を率ゐて往来巡視せしむるに非ざるよりは、則ち以て声息を察する無く、以て威信を宣ぶる無く、以て人心を固むる無きなり。(蝦夷の地は、世俗より之を視れば、之を得るも益無く之を棄つるも損無きが如し。然れども我棄つれば則ち彼取る、必然の勢なり。異日虜をして盤拠して以て巣窟と為し、以て松前に逼らしめば、則ち奥羽必ず騒動し、往来して沿海に寇せば、則ち天下亦た騒動せん。故に我棄てて彼取らずんば、特に以て棄地と為すのみにして、則ち猶ほ未だ大害と為さず。虜をして之を有たしめば、則ち彼に大利有りて、我に大害有り。力を尽くして之を守らざるを得ざる所以なり。)若し能く之が経制を立て、沿海の諸国及び諸島をして守らざる所無からしめば、則ち兵の江戸に坐食する者分かつ所有りて、粉華奢淫の習革むべく、邦国の君臣、海上寥落の地に往来守備し、宴安を都下に耽るを得ず、兵卒も亦た日に労苦を征役に習ひ、庶幾くは緩急用ふべくして、要害の地、守備始めて全からん。
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『新論』守禦其の四に曰く、守備を頒つ。天下の大名聚会して共に江戸を守る、其の内を重んじ外を軽んずるの意は則ち在る有り。然れども兵常に事無くして食み、驕奢淫佚、以て天下の力を弱むるに足る。而して天下の要害、守らざる所有れば、則ち亦た夷狄を待つの備に非ざるなり。夫れ京師は天下の首領にして、江戸は其の胸膈なり。大阪は其の咽喉にして、相模及び房総は江戸の牙唇なり。伊勢・熱田は神器の在る所にして、天下の神気の寓る所なり。皆宜しく厳に守備を設くべし。而るに守兵の規未だ尽く立たず、救応の約未だ甚だしくは明らかならず、城塁有る者有り、城塁無き者有り、皆天下を聳動して警むる所を知らしむる所以に非ず。守備の方、以て議定せざるべからざるなり。
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孫子・行軍篇敵近くして静かなる者は、其の険を恃むなり。遠くして戦いを挑む者は、人の進むを欲するなり。其の居る所の易なる者は、利あればなり。
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