新論 / 守禦
長崎者番舶所輻湊、守備素設焉、如今日、則虜無所不可至、而擧海内皆爲長崎矣、其所以守之者、亦與長崎何異也、且如海外諸島及蝦夷地方、亦自非時遣官員率兵往來巡視、則無以察聲息、無以宣威信、無以固人心也、〈蝦夷之地、自世俗視之、如得之無益棄之無損者、然我棄則彼取、必然之勢也、異日使虜盤據以爲巢窟以逼松前、則奥羽必騷動、往來寇沿海、則天下亦騷動、故我棄彼不取、特以爲棄地、則猶未爲大害、使虜有之、則彼有大利、而 我有大害、所以不得不盡力而守之也、〉若能立之經制、使沿海諸國及諸島無所不守、則兵之坐食於江戸者有所分、而粉華奢淫之習可革、邦國君臣、往來守海上寥落之地、不得耽宴安於都下、兵卒亦日習勞苦於征役、庶幾緩急可用、而要害之地、守備始全也、
新字:長崎者番舶所輻湊、守備素設焉、如今日、則虜無所不可至、而挙海内皆為長崎矣、其所以守之者、亦与長崎何異也、且如海外諸島及蝦夷地方、亦自非時遣官員率兵往来巡視、則無以察声息、無以宣威信、無以固人心也、〈蝦夷之地、自世俗視之、如得之無益棄之無損者、然我棄則彼取、必然之勢也、異日使虜盤拠以為巣窟以逼松前、則奥羽必騷動、往来寇沿海、則天下亦騷動、故我棄彼不取、特以為棄地、則猶未為大害、使虜有之、則彼有大利、而 我有大害、所以不得不尽力而守之也、〉若能立之経制、使沿海諸国及諸島無所不守、則兵之坐食於江戸者有所分、而粉華奢淫之習可革、邦国君臣、往来守海上寥落之地、不得耽宴安於都下、兵卒亦日習労苦於征役、庶幾緩急可用、而要害之地、守備始全也、
書き下し
長崎は番舶の輻湊する所、守備素より設けらる。今日の如きは、則ち虜至るべからざる所無くして、海内を挙げて皆長崎と為れり。其の之を守る所以の者も、亦た長崎と何ぞ異ならんや。且つ海外の諸島及び蝦夷地方の如きも、亦た非時に官員を遣はし兵を率ゐて往来巡視せしむるに非ざるよりは、則ち以て声息を察する無く、以て威信を宣ぶる無く、以て人心を固むる無きなり。(蝦夷の地は、世俗より之を視れば、之を得るも益無く之を棄つるも損無きが如し。然れども我棄つれば則ち彼取る、必然の勢なり。異日虜をして盤拠して以て巣窟と為し、以て松前に逼らしめば、則ち奥羽必ず騒動し、往来して沿海に寇せば、則ち天下亦た騒動せん。故に我棄てて彼取らずんば、特に以て棄地と為すのみにして、則ち猶ほ未だ大害と為さず。虜をして之を有たしめば、則ち彼に大利有りて、我に大害有り。力を尽くして之を守らざるを得ざる所以なり。)若し能く之が経制を立て、沿海の諸国及び諸島をして守らざる所無からしめば、則ち兵の江戸に坐食する者分かつ所有りて、粉華奢淫の習革むべく、邦国の君臣、海上寥落の地に往来守備し、宴安を都下に耽るを得ず、兵卒も亦た日に労苦を征役に習ひ、庶幾くは緩急用ふべくして、要害の地、守備始めて全からん。
現代語訳
長崎は外国船の集まる所で、守備はもとから設けられている。しかし今日のような状況では、外夷が来られない所はなく、国中がすべて長崎になったのである。それを守るやり方も、長崎とどうして違うことがあろうか。また、海の向こうの島々や蝦夷地方なども、時を定めず役人を派遣し、兵を率いて往来・巡視させるのでなければ、様子を察することも、威信を示すことも、人心を固めることもできない。(蝦夷の地は、世間から見れば、手に入れても益がなく、捨てても損がないもののようである。しかし、わが方が捨てれば相手が取るのは、必然の勢いである。いつか外夷がそこに居座って根城とし、松前に迫るようになれば、奥羽は必ず騒ぎ立ち、行き来して沿岸を荒らせば、天下もまた騒ぎ立つだろう。だから、わが方が捨てても相手が取らないなら、ただの捨て地にすぎず、まだ大きな害ではない。しかし外夷にこれを持たせれば、彼には大きな利、わが方には大きな害となる。力を尽くして守らねばならない理由である。)もしその制度を確立し、沿海の諸国や島々に守らない所がないようにすれば、江戸で何もせずに禄を食んでいる兵は分散され、華美で放埒な習慣も改められ、諸藩の君臣は海上の寂しい地を往来して守り、江戸で安逸な宴にふけることができなくなり、兵卒もまた日々軍役の労苦に慣れて、いざという時に役立つことが期待でき、要害の地の守備ははじめて完全になるだろう。
解説
この章句が説くこと
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『新論』守禦其の四に曰く、守備を頒つ。天下の大名聚会して共に江戸を守る、其の内を重んじ外を軽んずるの意は則ち在る有り。然れども兵常に事無くして食み、驕奢淫佚、以て天下の力を弱むるに足る。而して天下の要害、守らざる所有れば、則ち亦た夷狄を待つの備に非ざるなり。夫れ京師は天下の首領にして、江戸は其の胸膈なり。大阪は其の咽喉にして、相模及び房総は江戸の牙唇なり。伊勢・熱田は神器の在る所にして、天下の神気の寓る所なり。皆宜しく厳に守備を設くべし。而るに守兵の規未だ尽く立たず、救応の約未だ甚だしくは明らかならず、城塁有る者有り、城塁無き者有り、皆天下を聳動して警むる所を知らしむる所以に非ず。守備の方、以て議定せざるべからざるなり。
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孫子・行軍篇敵近くして静かなる者は、其の険を恃むなり。遠くして戦いを挑む者は、人の進むを欲するなり。其の居る所の易なる者は、利あればなり。
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『韓非子』說林上二十二將に之を敗らん欲せば、必ず姑く之を輔けよ。將に之を取らんと欲せば、必ず姑く之に予えよ。
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