孫子 / 行軍篇
敵近而靜者,恃其險也;遠而挑戰者,欲人之進也;其所居易者,利也;
新字:敵近而静者,恃其険也;遠而挑戦者,欲人之進也;其所居易者,利也;
書き下し
敵近くして静かなる者は、其の険を恃むなり。遠くして戦いを挑む者は、人の進むを欲するなり。其の居る所の易なる者は、利あればなり。
現代語訳
敵が近くにいるのに静かなのは、その地形の険しさを頼みにしているからである。遠くにいながら戦いを挑んでくるのは、こちらが進み出るのを望んでいるからである。敵が平坦な地に陣取っているのは、そこに何か利があるからである。
解説
敵の振る舞いから、その意図を読む一連の観察である。三つとも「見えている行動」と「その裏にある理由」を結びつけている。静かなのは油断ではなく自信、挑発は強気ではなく誘い、平地にいるのは無警戒ではなく計算。どれも、素直に受け取ると逆の結論に至る例である。この読み方の要点は、相手の行動を相手の合理から説明することだ。相手が愚かだから、あるいは油断しているから、という説明は楽だが、たいてい間違っている。相手にも理由がある。競合が値下げをしない、あるいは不利に見える市場に留まっている。そこには必ず理由があり、その理由が見えていないうちに動くと、相手の思うつぼになる。分からないときは、まだ見えていないと考えるほうが安全である。
この章句が説くこと
攻守相敵詭道観察距離と態度意図
関連する章句
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李衛公問対・卷下太宗曰く、「攻守の二事は、其の実一法か。『孫子』言ふ、『善く攻むる者は、敵其の守る所を知らず。善く守る者は、敵其の攻むる所を知らず』と。即ち敵来たりて我を攻むれば、我も亦之を攻め、我若し自ら守れば、敵も亦之を守るを言はず。攻守両(ふた)つながら斉(ひと)しき、其の術奈何。」靖曰く、「前代此に似て相攻め相守る者、多し。皆曰く、『守るは則ち足らず、攻むるは則ち余り有り』と。便ち足らざるを弱と為し、余り有るを強と為すと謂ふ。蓋し攻守の法を悟らざるなり。臣『孫子』を案ずるに云ふ、『勝つべからざる者は、守るなり。勝つべき者は、攻むるなり』と。
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李衛公問対・卷下敵に示すに足らざるを以てすれば、則ち敵必ず来たり攻む、此れ是れ敵其の攻むる所を知らざる者なり。敵に示すに余り有るを以てすれば、則ち敵必ず自ら守る、此れ是れ敵其の守る所を知らざる者なり。攻守一決し、敵と我と分かれて二事と為る。若し我が事得れば、則ち敵の事敗る。敵の事得れば、則ち我が事敗る。得失成敗、彼我の事分かる。攻守は、一のみ。一を得る者は、百戦百勝す。故に曰く、『彼を知り己を知れば、百戦殆(あや)ふからず』と。其れ一を知るの謂か。」靖再拝して曰く、「深きかな、聖人の法や。
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孫子・形篇勝つべからざる者は守なり、勝つべき者は攻なり。守は則ち足らざればなり、攻は則ち余り有ればなり。善く守る者は九地の下に蔵れ、善く攻むる者は九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝を全うするなり。
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李衛公問対・卷中太公の『六韜』に守禦の具を言ふのみ、攻戦の施す所に非ざるなり。」
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李衛公問対・卷下後人其の義を暁らざれば、則ち当に攻むべくして守り、当に守るべくして攻む。二役既に殊なり、故に其の法を一にすること能はず。」太宗曰く、「信なるかな。余り有ると足らざると、後人をして其の強弱に惑はしむ。殊に知らず、
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李衛公問対・卷下若し攻めて守を知らず、守りて攻を知らざれば、唯だに其の事を二にするのみならず、抑(そもそも)又其の官を二にす。口に孫・呉を誦すと雖も、心に攻守両(ふた)つながら斉しきの説を妙思せずんば、其れ孰(たれ)か能く其の然るを知らんや。」太宗曰く、「『司馬法』に言ふ、『国大なりと雖も、戦ひを好めば必ず亡ぶ。天下平らかなりと雖も、戦ひを忘るれば必ず危ふし』と。此れ亦攻守一道か。」靖曰く、「国を有ち家を有つ者、曷(なん)ぞ嘗て攻守を講ぜざらんや。夫れ
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