潜夫論 / 勸將
夫世有非常之人,然後定非常之事。必道非常之失,然後見。是故選諸有兵之長吏,宜踔躒豪厚,越取幽奇,材明權變,任將帥者,不可苟惟基序,或阿親戚,便典兵官,此所謂以其國與敵者也。
新字:夫世有非常之人,然後定非常之事。必道非常之失,然後見。是故選諸有兵之長吏,宜踔躒豪厚,越取幽奇,材明権変,任将帥者,不可苟惟基序,或阿親戚,便典兵官,此所謂以其国与敵者也。
書き下し
夫れ世に非常の人有りて、然る後に非常の事を定む。必ず非常の失を道いて、然る後に見る。是の故に諸の兵有る長吏を選ぶには、宜しく踔躒豪厚にして、越えて幽奇を取り、材明権変にして、将帥に任ずる者なるべし。苟くも基序を惟い、或いは親戚に阿り、便ち兵官を典らしむ可からず。此れ所謂其の国を以て敵に与うる者なり。
現代語訳
世には並外れた人物がいて、そのうえで並外れた事が定まります。必ず並外れた失敗を述べて、はじめて(その必要が)明らかになります。ですから、兵を持つ長吏を選ぶときは、抜きん出て豪胆で度量があり、順序を越えてでも隠れた逸材を取り、才能と見識があって臨機応変にでき、将帥の任に堪える者を選ぶべきです。かりそめにも順序や序列だけを考えたり、親戚におもねったりして、そのまま兵を預かる官に就けてはなりません。これは、いわゆる自分の国を敵に与えるものです。
解説
勧将篇の結びで、将帥の人選に触れる短い段です。王符は、非常の事態には非常の人物が必要だと述べ、序列や年功に従う人事や縁故による任命を、国を敵に与える行いだと厳しく批判します。条件として、豪胆さ、度量、臨機応変の才などを挙げ、隠れた逸材を順序を越えて取ることを勧めます。現代の組織でも、危機的な局面で年功順や身内びいきの配置をすれば、損失は大きくなります。重要な役割ほど、肩書より適性で選ぶ勇気が経営者に求められます。なお冒頭の一文は意味を取りにくいため、断定を避けて訳しました。
この章句が説くこと
勧将人選年功縁故用人潜夫論
関連する章句
-
尚書・冏命慎みて乃の僚を簡べ、巧言令色、便辟側媚を以てすること無かれ、其れ惟れ吉士なるべし。
-
説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
-
『甲陽軍鑑』品第四十三右三対六人の人陣の時大に嫌ふ人也△陣の時大将崇敬なさるゝ人一対づゝ五対合十人一才覚有りて勘定たけく、能き智恵深く、能く損徳の考して理非の二ツには理の方へ近く分別して、蔵よく賂ふ人の事、是一対二人也一心すくやかにて、まなこきゝて分別·才覚有て武道にさかしく、よく物いふ人の事一縦ひ無才覚なり共、分別なく共、物いふ事速かになく共、口わろく共、無能なり共、ねてもさめても武道心がくる人ありて左様のものを大将のみしり給ひ、念比なさるればことくく諸傍輩武篇を心がくる也、
-
『呻吟語』内篇・應務・時に達し勢を審らかにす與に事を共にす可きの人を擇ばずんば、則ち厥の心を既さず、其の任に堪へず。或いは虛文を以て相欺き、或いは意見を以て相傾く。譬へば玉杯を小兒に付して、崎嶇の峰に奔走するがごとし。是の故に時に達するを貴ぶ。時なる者は、事を成すの期なり。機に乘ず可き有り、會に際す可き有り。先んぜず後れざれば、則ち其の道行はれ易し。時に達せざるは、譬へば種を堅凍の候に投ずるがごとし。是の故に勢を審らかにするを貴ぶ。
-
史記 高祖本紀沛公をして西のかた地を略して関に入らしむ。諸将と約す、先づ入りて関中を定むる者は之を王とせんと。是の時に当たりて、秦の兵彊く、常に勝ちに乗じて北ぐるを逐ふ、諸将先づ関に入るを利とする莫し。独り項羽秦の項梁の軍を破りしを怨み、奮ひて、沛公と西のかた関に入らんことを願ふ。懐王の諸老将皆曰く、「項羽の人と為り彊悍猾賊なり。項羽嘗て襄城を攻め、襄城に遺類無く、皆之を阬にす、諸々の過ぐる所残滅せざる無し。且つ楚数(しばしば)進み取らんとし、前の陳王・項梁皆敗る。更に長者を遣はして義に扶りて西し、秦の父兄に告諭するに如かず。秦の父兄其の主に苦しむこと久し、今誠に長者を得て往き、侵暴する毋くんば、宜しく下すべし。今項羽は彊悍なり、今遣はすべからず。独り沛公素より寛大の長者なり、遣はすべし。」と。卒に項羽を許さずして、沛公を遣はして西のかた地を略し、陳王・項梁の散卒を収めしむ。乃ち碭に道して成陽に至り、杠里の秦の軍と壁を夾み、(魏)[秦]の二軍を破る。楚の軍兵を出して王離を撃ち、大いに之を破る。沛公兵を引きて西し、彭越に昌邑に遇ひ、因りて与に倶に秦の軍を攻む、戦ひて利あらず。還りて栗に至り、剛武侯に遇ひ、其の軍を奪ふ、四千余人可り、之を并す。魏の将皇欣・魏の申徒武蒲の軍と并せて昌邑を攻む、昌邑未だ抜けず。西のかた高陽を過ぐ。酈食其監門為り、曰く、「諸将の此を過ぐる者多し、吾沛公を視るに大人長者なり。」と。乃ち見えんことを求めて沛公に説く。沛公方に牀に踞し、両女子をして足を洗はしむ。酈生拝せず、長揖して、曰く、「足下必ず無道の秦を誅せんと欲せば、宜しく踞して長者に見ゆべからず。」と。是に於て沛公起ち、衣を摂めて之に謝し、延きて上坐せしむ。食其沛公に説きて陳留を襲はしめ、秦の積粟を得たり。乃ち酈食其を以て広野君と為し、酈商を将と為し、陳留の兵に将たらしめ、与に偕に開封を攻む、開封未だ抜けず。西のかた秦の将楊熊と白馬に戦ひ、又曲遇の東に戦ひ、大いに之を破る。
-
『甲陽軍鑑』品第四十三是一対二人之人也一他国へはたらきの時、其国の案内能く知たる人の事一諸傍輩にすぐれ、わが主君をよくたつとぶの事、是一対二人なり一物よくしつて、うわつらになく古人の理に徹して唐·日本にて侍手がらのうはさ有様に申人の事一坊主·町人·百姓いづれ成共計策能するものゝ事一是一対二人なり一忍よくする者の事一かねほり、是一対二人也右一二人にてすくなしといへども、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る