潜夫論 / 愛日
孔子曰:「聽訟吾猶人也。」從此觀之,中材以上,皆議曲直之辯,刑法之理可。鄉亭部吏足以斷決,使無怨言,然所以不者,蓋有故焉。傳曰:「惡直醜正,實繁有徒。」夫直者貞正而不撓誌,無恩於吏。怨家務主者,結以貨財,故鄉亭與之,為排直家,後反覆時,吏坐之,故共枉之於庭。以羸民與豪吏訟,其勢不如也。是故縣與部並,後有反覆,長吏坐之,故舉縣排之於郡,以一人與一縣訟,其勢不如也。故郡與縣並,後有反覆,太守坐之,故舉郡排之於州,以一人與郡訟,勢不如也。故州與郡並,而不肯治,故乃遠詣公府爾。公府不能察,而苟欲以錢刀課之,則貧弱少貨者,終無已曠旬滿祈。豪富饒錢者,取客使往,可盈千日,非徒百也。治訟若此為務,助豪猾而鎮貧弱也,何冤之能治?非獨鄉部辭訟也。
新字:孔子曰:「聴訟吾猶人也。」従此観之,中材以上,皆議曲直之弁,刑法之理可。郷亭部吏足以断決,使無怨言,然所以不者,蓋有故焉。伝曰:「悪直醜正,実繁有徒。」夫直者貞正而不撓誌,無恩於吏。怨家務主者,結以貨財,故郷亭与之,為排直家,後反覆時,吏坐之,故共枉之於庭。以羸民与豪吏訟,其勢不如也。是故県与部並,後有反覆,長吏坐之,故舉県排之於郡,以一人与一県訟,其勢不如也。故郡与県並,後有反覆,太守坐之,故舉郡排之於州,以一人与郡訟,勢不如也。故州与郡並,而不肯治,故乃遠詣公府爾。公府不能察,而苟欲以銭刀課之,則貧弱少貨者,終無已曠旬満祈。豪富饒銭者,取客使往,可盈千日,非徒百也。治訟若此為務,助豪猾而鎮貧弱也,何冤之能治?非独郷部辞訟也。
書き下し
孔子曰く、「訟を聴くは吾猶お人のごときなり」と。此に従りて之を観れば、中材以上は、皆曲直の辨を議し、刑法の理も可なり。郷亭の部吏は以て断決して、怨言無からしむるに足るも、然れども不なる所以の者は、蓋し故有るなり。伝に曰く、「直を悪み正を醜む、実に徒多し」と。夫れ直なる者は貞正にして志を撓げず、吏に恩無し。怨家の主を務むる者は、結ぶに貨財を以てし、故に郷亭は之に与し、直なる家を排す。後に反覆するの時、吏之に坐す、故に共に之を庭に枉ぐ。羸民を以て豪吏と訟えば、其の勢い如かず。是の故に県と部と並ぶ、後に反覆有れば、長吏之に坐す、故に県を挙げて之を郡に排す。一人を以て一県と訟えば、其の勢い如かず。故に郡と県と並ぶ、後に反覆有れば、太守之に坐す、故に郡を挙げて之を州に排す。一人を以て郡と訟えば、勢い如かざるなり。故に州と郡と並びて治めんことを肯んぜず、故に乃ち遠く公府に詣るのみ。公府察する能わず、而して苟くも銭刀を以て之を課せんと欲すれば、則ち貧弱にして貨少なき者は、終に已むこと無く旬を曠しくし祈を満たす。豪富にして銭饒かなる者は、客を取りて使い往かしめ、千日を盈たす可し、徒だ百のみに非ざるなり。訟を治むること此の若きを務めと為さば、豪猾を助けて貧弱を鎮むるなり、何の冤か之れ能く治めん。独り郷部の辞訟のみに非ざるなり。
現代語訳
孔子は、「訴えを聴くことでは、私も人並みである」と言いました。これから見れば、中程度以上の才能の者なら、曲直の弁を論じ、刑法の理も理解できます。郷亭の部吏でも決着させ、不満を残さないようにできるはずですが、そうならないのには理由があります。伝に、「正直を憎み正しさを嫌う者は、実に仲間が多い」とあります。正直な者は貞正で志を曲げず、役人に恩を売りません。恨みを抱く側の者は、金品で結び付くので、郷亭はその側につき、正直な家を排除します。後で判断がひっくり返ったとき、役人が責任を問われるため、みなで庭で曲げるのです。弱い民が豪族とつながる役人と争えば、勢いが及びません。そのため、県と部が並び、後で覆ると長吏が責任を問われるので、県をあげて郡に排除します。一人が一つの県と争えば、勢いが及びません。郡と県が並び、覆れば太守が責任を問われるので、郡をあげて州に排除します。一人が郡と争えば、勢いが及びません。州と郡が並んで治めようとしないので、遠く公府へ行くしかありません。公府が見抜けず、銭刀で課そうとすれば、貧しい者は費用がなくいつまでも終わらず、日数を空費して期限を満たします。豪富で金のある者は、客を雇って行かせれば、千日でも満たせます、百日どころではありません。訴えを治めるのがこうした務めなら、豪族と悪賢い者を助けて貧しく弱い者を抑えつけることです。どうして冤罪が治められるでしょうか。郷部の訴えだけではありません。
解説
この章句が説くこと
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