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潜夫論 / 愛日

詩云:「王事靡盬,不遑將父。」言在古閑暇而得行孝,今迫促不得養也。孔子稱庶則富之,既富則教之。是禮義生於富足,盜竊起於貧窮。富貴生於寬暇,貧窮起於無日。聖人深知力者乃民之本也,而國之基,故務省役而為民愛日。是以堯敕羲和,欽若昊天,敬授民時。邵伯訟不忍煩民,聽斷棠下,能興時雍,而致刑錯。今則不然,萬官撓民,令長自衒,百姓廢桑而趨府庭者,非朝晡不得通,非意氣不得見。訟不訟輒連月日,舉室釋作,以相瞻視,辭人之家,輒請鄰裏,應對送餉,比事訖,竟亡一歲功,則天下獨有受其饑者矣。而品人俗士之司典者,曾不覺也。郡縣既加冤枉,州司不治,今破家活,遠詣公府。公府不能昭察真偽,則但欲罷之以久困之資。故猥說一科令,此注百日,乃為移書。其不滿百日,輒更造數,甚違邵伯訟棠之義。此所謂誦詩三百,授之以政,不達,雖多亦奚以為者也。

新字:詩云:「王事靡盬,不遑将父。」言在古閑暇而得行孝,今迫促不得養也。孔子称庶則富之,既富則教之。是礼義生於富足,盗窃起於貧窮。富貴生於寛暇,貧窮起於無日。聖人深知力者乃民之本也,而国之基,故務省役而為民愛日。是以堯勅羲和,欽若昊天,敬授民時。邵伯訟不忍煩民,聴断棠下,能興時雍,而致刑錯。今則不然,万官撓民,令長自衒,百姓廃桑而趨府庭者,非朝晡不得通,非意気不得見。訟不訟輒連月日,舉室釈作,以相瞻視,辞人之家,輒請鄰裏,応対送餉,比事訖,竟亡一歳功,則天下独有受其饑者矣。而品人俗士之司典者,曽不覚也。郡県既加冤枉,州司不治,今破家活,遠詣公府。公府不能昭察真偽,則但欲罷之以久困之資。故猥説一科令,此注百日,乃為移書。其不満百日,輒更造数,甚違邵伯訟棠之義。此所謂誦詩三百,授之以政,不達,雖多亦奚以為者也。

書き下し

詩に云う、「王事盬き靡く、将父に遑あらず」と。言うこころは古は閑暇にして孝を行うを得、今は迫促にして養うを得ざるなり。孔子称す、庶ければ則ち之を富まし、既に富めば之を教うと。礼義は富足に生じ、盗窃は貧窮に起こる。富貴は寛暇に生じ、貧窮は日無きに起こる。聖人深く知る、力は乃ち民の本にして、国の基なり、故に省役に務めて民の為に日を愛しむ。是を以て堯は羲和に敕め、昊天に欽若い、敬みて民に時を授く。邵伯は訟え民を煩わすに忍びず、棠下に聴断し、能く時雍を興し、刑錯を致す。今は則ち然らず、万官民を撓し、令長自ら衒い、百姓桑を廃して府庭に趨く者は、朝晡に非ざれば通ずるを得ず、意気に非ざれば見ゆるを得ず。訟うるも訟えざるも輒ち月日を連ね、室を挙げて作を釈てて、以て相い瞻視し、辞人の家は、輒ち隣里を請い、応対送餉し、事の訖わるに比びて、竟に一歳の功を亡い、則ち天下独り其の饑を受くる者有り。而るに品人俗士の司典する者は、曾て覚らざるなり。郡県既に冤枉を加え、州司治めず、今家を破り活を求め、遠く公府に詣る。公府は真偽を昭察する能わず、則ち但だ罷めて以て久困の資を欲するのみ。故に猥りに一科の令を説き、此れ百日に注ぎ、乃ち書を移す。其れ百日に満たざれば、輒ち更に数を造り、甚だ邵伯訟棠の義に違う。此れ所謂詩三百を誦し、之に授くるに政を以てして、達せざれば、多しと雖も亦た奚を以て為さんという者なり。

現代語訳

詩に、「王の務めは終わりがなく、父を養う暇がない」とあります。昔は暇があって孝を行えたのに、今は追い立てられて養えない、という意味です。孔子は、人が増えれば富ませ、富ませたら教えると言いました。礼義は豊かさから生まれ、盗みは貧しさから起こります。富や貴さはゆとりから生まれ、貧しさは時間がないことから起こります。聖人は、民の力こそ根本であり国の土台だと深く知っていたので、役を減らして民のために日を惜しみました。そこで堯は羲和に命じ、天を敬い、慎んで民に農事の時を授けました。邵伯は訴えで民を煩わすのを忍びなく、棠の木の下で裁き、よく太平をつくり、刑を置く必要もなくなるほどでした。今はそうではなく、多くの官が民を悩ませ、県令は自らを誇示し、百姓は桑の仕事を捨てて役所に走っても、朝夕でなければ取り次がれず、気概がなければ会えません。訴えても訴えなくても月日がかかり、一家をあげて仕事を休み、互いに様子をうかがい、訴人の家はそのつど隣近所に頼み、応対し食事を送り、事が終わるころには、結局一年分の収穫を失い、天下には飢えを受ける者がいます。それなのに、凡庸な役人は気づきません。郡県がすでに冤罪を加え、州の役人は処理せず、今や家を壊して暮らしを探し、遠く公府に行きます。公府は真偽を見抜けず、ただ長く困らせて疲れさせるだけです。それでむやみに一つの規定を持ち出し、これを百日に当て、ようやく文書を移します。百日に満たなければ、さらに日数を作り出すので、邵伯が棠の下で裁いた義に大きく背きます。これが、詩三百を誦じても、政を授けられて通じなければ、たくさん知っていても何になるのか、という言葉の通りです。

解説

愛日篇の続きで、訴訟手続きの遅れが民の生業を奪っていると、具体的に描く段です。訴えに一年分の収穫を失うほどの時間がかかり、役人は気づかず、公府は真偽を見抜けずに期間だけを延ばす、という実態への批判です。邵伯が棠の下で素早く裁いた逸話は、民の時間を惜しむ理想の姿として対比されます。現代の組織でも、承認フローや苦情処理が長引けば、関係者の本業の時間が奪われます。手続きの遅れは現場にとって見えない損失だと自覚し、決裁と対応の速度を管理職の責務として扱う視点が必要です。

この章句が説くこと

愛日訴訟手続き時間民力潜夫論

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