潜夫論 / 三式
昔先王撫世,選練明德,以統理民。建正封不過百,取法於震,以為賢人聰明不是過也。又欲德能優而所治纖,則職修理而民被澤矣。今之守相,製地千里,威權勢力,盛於列侯,材明德義,未必過古,而所治逾百里,此所治多荒亂也。是故守相不可不審也。昔宣皇帝興於民間,深知之,故常歎曰:「萬民所以安田里,無憂患者,政平訟治也。與我共此者,其惟良二千石。」於是明選守相,其初除者必躬見之,觀其志趣,以昭其能,明察其治,重其刑賞。奸宄減少戶口增息者,賞賜金帛,爵至封侯。其耗亂無狀者,皆銜刀瀝血於市。賞重而信,罰痛而必,群臣畏勸,競思其職,故能致治安而世升平,降鳳皇而來麒麟。天人悅喜,符瑞並臻,功德茂盛,立為中宗。由此觀之,牧守大臣者,誠盛衰之本原也,不可不選練也;法令賞罰者,誠治亂之樞機也,不可不嚴行也。
新字:昔先王撫世,選練明徳,以統理民。建正封不過百,取法於震,以為賢人聰明不是過也。又欲徳能優而所治繊,則職修理而民被沢矣。今之守相,製地千里,威権勢力,盛於列侯,材明徳義,未必過古,而所治逾百里,此所治多荒乱也。是故守相不可不審也。昔宣皇帝興於民間,深知之,故常嘆曰:「万民所以安田里,無憂患者,政平訟治也。与我共此者,其惟良二千石。」於是明選守相,其初除者必躬見之,観其志趣,以昭其能,明察其治,重其刑賞。奸宄減少戸口增息者,賞賜金帛,爵至封侯。其耗乱無状者,皆銜刀瀝血於市。賞重而信,罰痛而必,群臣畏勧,競思其職,故能致治安而世升平,降鳳皇而来麒麟。天人悦喜,符瑞並臻,功徳茂盛,立為中宗。由此観之,牧守大臣者,誠盛衰之本原也,不可不選練也;法令賞罰者,誠治乱之枢機也,不可不厳行也。
書き下し
昔先王世を撫するや、明徳を選練し、以て民を統理せしむ。建正の封は百に過ぎず、震に取法して、以て賢人の聡明は是れに過ぎずと為せばなり。又徳能優れて治むる所纖なるを欲すれば、則ち職修理して民沢を被る。今の守相は、地を製すること千里、威権勢力は列侯より盛んなれど、材明徳義は未だ必ずしも古に過ぎず、而して治むる所百里を逾ゆれば、此れ治むる所多く荒乱するなり。是の故に守相は審らかにせざる可からず。昔宣皇帝民間に興り、深く之を知る、故に常に歎じて曰く、「万民の田里に安んじて憂患無き所以の者は、政平かにして訟治まればなり。我と此れを共にする者は、其れ惟れ良二千石のみ」と。是に於て明らかに守相を選び、其の初めて除する者は必ず躬ら之に見え、其の志趣を観、以て其の能を昭らかにし、其の治を明察し、其の刑賞を重くす。奸宄減少し戸口息る者は、金帛を賞賜し、爵は封侯に至る。其の耗乱して無状なる者は、皆刀を銜み血を市に瀝がしむ。賞重くして信、罰痛くして必、群臣畏れ勧め、競いて其の職を思う、故に能く治安を致して世升平し、鳳皇を降し麒麟を来らす。天人悦喜し、符瑞並び臻り、功徳茂盛にして、立ちて中宗と為る。此に由りて之を観れば、牧守の大臣は、誠に盛衰の本原なり、選練せざる可からざるなり。法令賞罰は、誠に治乱の枢機なり、厳行せざる可からざるなり。
現代語訳
昔の先王が世を治めたときは、徳の明らかな者を選んで鍛え、民を統べ治めさせました。建正の封は百里を超えず、震の卦に則って、賢人の聡明はこれを超えないと考えたからです。また徳と能力が優れていて治める範囲が細かければ、職務は整って民は恩恵を受けます。いまの太守や国相は、領地が千里にわたり、威権勢力は列侯より盛んですが、才能・徳義は昔に勝るとは限らず、治める範囲が百里を超えているので、多くが荒れ乱れています。ですから太守や国相は慎重に選ばねばなりません。昔、宣皇帝は民間から興り、これを深く知っていたので、いつも嘆いて言いました。「万民が田や里で安らいで憂いがないのは、政が平らかで訴えが治まっているからだ。私とこれをともにするのは、よい二千石だけである」と。そこで太守や国相を厳しく選び、初めて任じる者には必ず自ら会い、志向を観て、その能力を明らかにし、その治績を明察し、刑賞を重くしました。悪事が減り戸口が増えた者には金や絹を賞賜し、爵位は封侯に至りました。乱れて成果のない者は、皆刀をくわえて市で血を流しました。賞は重く信があり、罰は痛く必ず行われたので、群臣は畏れ励み、競って職を思い、治安がもたらされて世は太平になり、鳳凰が降り麒麟が来ました。天も人も喜び、めでたい兆しが並んで至り、功徳は盛んで、中宗として立ちました。これから見れば、牧守の大臣は、盛衰の根本であり、選び鍛えないわけにはいきません。法令と賞罰は、治乱の要であり、厳しく行わないわけにはいきません。
解説
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