潜夫論 / 實貢
國以賢興,以諂衰;君以忠安,以忌危。此古今之常論而世所共知也。然哀國危君繼踵不絕者,豈世無忠信正直之士哉?誠苦忠信正直之道不得行爾。夫十步之間,必有茂草;十室之邑,必有俊士。賢材之生,日月相屬,未嘗乏絕,是故亂殷有三仁,小衛多君子。以漢之廣博,士民之眾多,朝廷之清明,上下之修治,而官無直吏,位無良臣,此非今世之無賢也,乃賢者廢錮,而不得達於聖主之朝爾。
新字:国以賢興,以諂衰;君以忠安,以忌危。此古今之常論而世所共知也。然哀国危君継踵不絶者,豈世無忠信正直之士哉?誠苦忠信正直之道不得行爾。夫十歩之間,必有茂草;十室之邑,必有俊士。賢材之生,日月相属,未嘗乏絶,是故乱殷有三仁,小衛多君子。以漢之広博,士民之衆多,朝廷之清明,上下之修治,而官無直吏,位無良臣,此非今世之無賢也,乃賢者廃錮,而不得達於聖主之朝爾。
書き下し
国は賢を以て興り、諂を以て衰う。君は忠を以て安く、忌を以て危うし。此れ古今の常論にして世の共に知る所なり。然るに哀国危君の継踵として絶えざるは、豈に世に忠信正直の士無きならんや。誠に忠信正直の道の行わるるを得ざるに苦しむのみ。夫れ十歩の間にも、必ず茂草有り、十室の邑にも、必ず俊士有り。賢材の生ずること、日月相い属し、未だ嘗て乏絶せず、是の故に乱殷に三仁有り、小衛に君子多し。漢の広博、士民の衆多、朝廷の清明、上下の修治を以てして、官に直吏無く、位に良臣無きは、此れ今世に賢無きに非ず、乃ち賢者廃錮せられて、聖主の朝に達するを得ざるのみ。
現代語訳
国は賢者によって興り、へつらいによって衰えます。君主は忠によって安泰となり、嫉妬や猜疑によって危うくなります。これは古今の常論で、世の人がみな知っていることです。それなのに、衰えた国や危うい君主が相次いで絶えないのは、世に忠信で正直な士がいないからでしょうか。実際には、忠信正直の道が行われないことに苦しんでいるだけです。十歩の範囲にも必ず茂った草があり、十戸の村にも必ず優れた士がいます。賢い人材は日月のように絶えず生まれ、枯渇したことはありません。だから乱れた殷にも三人の仁者がおり、小さな衛の国にも多くの君子がいました。漢の広大さ、士民の多さ、朝廷の清明さ、上下の治まりがあるのに、官に正直な役人がおらず、位に良臣がいないのは、今の世に賢者がいないからではなく、賢者が退けられ、錮されて、聖主の朝廷に達することができないからです。
解説
この章句が説くこと
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『晏子春秋』問上・景公問善為國家者何如晏子對以舉賢官能景公晏子に問いて曰く、「国に蒞み民を治む、善く国家を為むる者は何如」と。晏子対えて曰く、「賢を挙げて以て国に臨み、能に官して以て民を敕むるは、則ち其の道なり。賢を挙げ能に官すれば、則ち民は君に与す」と。公曰く、「賢能有りと雖も、吾庸ぞ知らんや」と。晏子対えて曰く、「賢にして隠るれば、則ち庸ぞ賢と為さんや。吾が君も亦た是れに務めず、故に知らざるなり」と。公曰く、「請う求賢を問わん」と。対えて曰く、「之を観るに其の遊を以てし、之を説くに其の行を以てし、靡曼の辯辞を以て其の行を定むる無く、毀誉非議を以て其の身を定むる無かれ。此の如くんば、則ち行を為して以て声を揚げず、欲を掩いて以て君を栄えしめず、故に通ずれば則ち其の挙ぐる所を視、窮すれば則ち其の為さざる所を視、富めば則ち其の分かつ所を視、貧しければ則ち其の取らざる所を視る。夫れ上士は、進み難くして退き易きなり。其の次は、進み易くして退き易きなり。其の下は、進み易くして退き難きなり。此の数物を以て人を取らば、其れ可ならんか」と。
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『講孟余話』離婁下 第十七章此の章深く賢を蔽ふを悪む。賢を蔽ふとは、身大臣執政と成りて、下に賢者あるを知りながら抜用せざるの類を云ふ。賢を見て挙ぐること能はず、挙げて先にすること能はざるの義なり。賢を蔽ふすら孟子は深く悪んで不祥の実とす。況んや賢を嫉みて是れを陥るる如きは、孟子是れを如何とか云はん。然れども人私心を挟んで事を処する時は、忠勤の人にても或は己が愛憎を以てし、或は意見の異同を以て、賢を蔽ひ賢を陥るること、古今往々あることなり。慎むべし、戒むべし。
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史記 魯仲連鄒陽列伝是を以て聖王は世を制し俗を御し、独り陶鈞の上に化して、卑乱の語に牽かれず、衆多の口に奪はれず。故に秦の皇帝は中庶子蒙嘉の言に任じて、以て荊軻の説を信じ、而して匕首竊かに発す。周の文王は涇・渭に猟し、呂尚を載せて帰り、以て天下に王たり。故に秦は左右を信じて殺され、周は烏集を用ひて王たり。何となれば、其の能く攣拘の語を越え、域外の議を馳せ、独り昭曠の道を観るを以てなり。今、人主は諂諛の辞に沈み、帷裳の制に牽かれ、不羈の士をして牛驥と皁を同じくせしむ。此れ鮑焦の世に忿りて富貴の楽しみに留まらざる所以なり。臣聞く、盛飾して朝に入る者は利を以て義を汙さず、名号を砥厲する者は欲を以て行を傷らずと。故に県の勝母と名づくれば曾子入らず、邑の朝歌と号すれば墨子車を回す。今、天下の寥廓の士をして、威重の権に摂せられ、位勢の貴に主られしめんと欲す。故に面を回し行を汙して以て諂諛の人に事へて、左右に親近を求めしむれば、則ち士は堀穴巖藪の中に伏死せんのみ。安んぞ肯へて忠信を尽くして闕下に趨く者有らんや、と。書梁の孝王に奏せらる。孝王人をして之を出ださしめ、卒に上客と為す。太史公曰く、魯連は其の指意、大義に合はずと雖も、然れども余は其の布衣の位に在りて、蕩然として志を肆にし、諸侯に詘せず、当世に談説し、卿相の権を折くを多とす。鄒陽は辞遜らずと雖も、然れども其の物に比し類を連ぬる、悲しむに足る者有り。亦抗直にして橈まずと謂ふべし。吾是を以て之を列伝に附す。
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『長短経』量才経に曰く「智は源泉の如く、行は以て表儀と為す可き者は、人の師なり。智は以て砥礪す可く、行は以て輔警と為す可き者は、人の友なり。法に拠り職を守りて敢えて非を為さざる者は、人の吏なり。前に当たりて意を快くし、一呼再諾する者は、人の隷なり。故に上主は師を以て佐と為し、中主は友を以て佐と為し、下主は吏を以て佐と為し、危亡の主は隷を以て佐と為す」と。其の亡を観んと欲せば、必ず其の下に由る。故に明を同じくする者は相見え、聴を同じくする者は相聞き、志を同じくする者は相従う。賢者に非ざれば賢を用うる能わず。故に輔佐左右の任使せんと欲する所の者は、存亡の機、得失の要なり。
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『潜夫論』賢難世の治まらざる所以の者は、賢難に由る。所謂賢難とは、直だに聡明を体し徳義に服するの謂に非ず。此れ則ち賢を求めて得難きのみ、賢者の難とする所に非ず。故に所謂賢とは、乃ち将に言わんとす。善に循えば則ち妒まれ、賢を行えば則ち嫉まれ、而して必ず患難に遇う者なり。虞舜の放殛せられし所以、子胥の誅せられし所以は、上聖大賢すら、猶お自ら嫉妒を免るる能わず、則ち又中世の人をや。此れ秀士の賢材美質有りと雖も、然れども猶お直道して行い、遂に其の志を成すを得ざる所以なり。処士は其の行を直くするを得ず、朝臣は其の言を直くするを得ず、此れ俗化の敗るる所以、闇君の孤なる所以なり。斉侯の以て国を奪われ、魯公の以て放逐せられしは、皆敗績厭覆して暇あらず、而るに用て治に及ばんや。故に徳薄き者は美行を聞くを悪み、政乱るる者は治言を聞くを悪む、此れ亡秦の偶語を誅し術士を坑にせし所以なり。
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