春秋左氏伝 / 昭公八年 陳の滅亡
冬。十一月。壬午。滅陳。輿嬖袁克。殺馬毀玉以葬。楚人將殺之。請寘之。既又請私。私於幄。加絰於顙而逃。使穿封戌。為陳公曰。城麇之役不諂。侍飲酒於王。王曰。城麇之役。女知寡人之及此。女其辟寡人乎。對曰。若知君之及此。臣必致死禮以息楚。晉侯問於史趙曰。陳其遂亡乎。對曰。未也。公曰何故。對曰。陳顓頊之族也。歲在鶉火。是以卒滅。陳將如之。今在析木之津。猶將復由。且陳氏得政于齊。而後陳卒亡。自幕至于瞽瞍。無違命。舜重之以明德。寘德于遂。遂世守之。及胡公不淫。故周賜之姓。使祀虞帝。臣聞盛德必百世祀。虞之世數未也。繼守將在齊。其兆既存矣。
新字:冬。十一月。壬午。滅陳。輿嬖袁克。殺馬毀玉以葬。楚人将殺之。請寘之。既又請私。私於幄。加絰於顙而逃。使穿封戌。為陳公曰。城麇之役不諂。侍飲酒於王。王曰。城麇之役。女知寡人之及此。女其辟寡人乎。対曰。若知君之及此。臣必致死礼以息楚。晋侯問於史趙曰。陳其遂亡乎。対曰。未也。公曰何故。対曰。陳顓頊之族也。歳在鶉火。是以卒滅。陳将如之。今在析木之津。猶将復由。且陳氏得政于斉。而後陳卒亡。自幕至于瞽瞍。無違命。舜重之以明徳。寘徳于遂。遂世守之。及胡公不淫。故周賜之姓。使祀虞帝。臣聞盛徳必百世祀。虞之世数未也。継守将在斉。其兆既存矣。
書き下し
冬、十一月、壬午、陳を滅ぼす。輿嬖袁克、馬を殺し玉を毀ちて以って葬る。楚人將に之を殺さんとす。之を寘かんことを請ふ。既にして又私せんことを請ふ。幄に私し、絰を顙に加へて逃る。穿封戌をして陳公為らしめて曰く、「城麇の役に諂はず」と。王に侍して酒を飲む。王曰く、「城麇の役、女寡人の此に及ぶを知らば、女其れ寡人を辟けんか」と。對へて曰く、「若し君の此に及ぶを知らば、臣必ず死を致して禮もて以って楚を息めん」と。晉侯史趙に問ひて曰く、「陳其れ遂に亡びんか」と。對へて曰く、「未だし」と。公曰く、「何の故ぞ」と。對へて曰く、「陳は顓頊の族なり。歲鶉火に在りて、是を以って卒に滅ぶ。陳も將に之の如くならん。今析木の津に在り、猶ほ將に復た由らんとす。且つ陳氏齊に政を得て、而る後に陳卒に亡びん。幕より瞽瞍に至るまで、命に違ふ無し。舜之に重ぬるに明德を以ってし、德を遂に寘く。遂世々之を守る。胡公の淫せざるに及び、故に周之に姓を賜ひ、虞帝を祀らしむ。臣聞く、盛德は必ず百世祀らる、と。虞の世數未だし。繼ぎて守るは將に齊に在らんとす。其の兆既に存せり」と。
現代語訳
冬十一月壬午の日、楚は陳を滅ぼした。陳の哀公の車に仕えた寵臣の袁克は、馬を殺し玉を砕いて(楚に渡さぬよう)哀公を葬った。楚人は彼を殺そうとした。袁克は命を助けてほしいと願い出て、許された。その後さらに用を足したいと願い出た。幕屋の中で用を足すふりをし、喪の麻の帯を額に巻いて(喪中の者を装って)逃げた。楚の霊王は穿封戌を陳公(陳の地の長官)に任じて言った。「城麇の戦いのとき、へつらわなかった者だ」。穿封戌が王の酒宴に侍ったとき、王は言った。「城麇の戦いのとき、私がこの地位に至ると知っていたら、おまえは私に譲っただろうか」。穿封戌は答えた。「もし君がここに至ると知っていたなら、私は必ず命を投げ出してでも、礼に従って楚を安んじたでしょう(あのとき君を討っていたでしょう)」。晋侯(平公)が史趙(晋の史官)に尋ねた。「陳はこのまま滅びてしまうのか」。史趙は答えた。「まだです」。公は言った。「なぜか」。答えた。「陳は顓頊の一族です。(顓頊が没したとき)歳星(木星)は鶉火の位置にありました。それで顓頊の一族は(歳星が鶉火にある年に)最後は滅びます。陳もそうなるでしょう。いま歳星は析木の津にあります。ですから陳はなお再興するでしょう。それに、陳氏(陳から斉に移った田氏)が斉で政権を得て、その後に陳は最後に滅びます。幕から瞽瞍に至るまで、虞の祖先は天命に背くことがありませんでした。舜はそのうえに明徳を重ね、その徳を子孫の遂に託しました。遂は代々これを守りました。胡公(陳の始祖)が淫らでなかったので、周は彼に姓を賜い、虞帝(舜)を祀らせたのです。私はこう聞いています。盛んな徳は必ず百世にわたって祀られる、と。虞の世代の数はまだそこに達していません。その祀りを受け継いで守るのは斉においてでしょう。その兆しはすでに現れています」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 魯仲連鄒陽列伝是を以て聖王は世を制し俗を御し、独り陶鈞の上に化して、卑乱の語に牽かれず、衆多の口に奪はれず。故に秦の皇帝は中庶子蒙嘉の言に任じて、以て荊軻の説を信じ、而して匕首竊かに発す。周の文王は涇・渭に猟し、呂尚を載せて帰り、以て天下に王たり。故に秦は左右を信じて殺され、周は烏集を用ひて王たり。何となれば、其の能く攣拘の語を越え、域外の議を馳せ、独り昭曠の道を観るを以てなり。今、人主は諂諛の辞に沈み、帷裳の制に牽かれ、不羈の士をして牛驥と皁を同じくせしむ。此れ鮑焦の世に忿りて富貴の楽しみに留まらざる所以なり。臣聞く、盛飾して朝に入る者は利を以て義を汙さず、名号を砥厲する者は欲を以て行を傷らずと。故に県の勝母と名づくれば曾子入らず、邑の朝歌と号すれば墨子車を回す。今、天下の寥廓の士をして、威重の権に摂せられ、位勢の貴に主られしめんと欲す。故に面を回し行を汙して以て諂諛の人に事へて、左右に親近を求めしむれば、則ち士は堀穴巖藪の中に伏死せんのみ。安んぞ肯へて忠信を尽くして闕下に趨く者有らんや、と。書梁の孝王に奏せらる。孝王人をして之を出ださしめ、卒に上客と為す。太史公曰く、魯連は其の指意、大義に合はずと雖も、然れども余は其の布衣の位に在りて、蕩然として志を肆にし、諸侯に詘せず、当世に談説し、卿相の権を折くを多とす。鄒陽は辞遜らずと雖も、然れども其の物に比し類を連ぬる、悲しむに足る者有り。亦抗直にして橈まずと謂ふべし。吾是を以て之を列伝に附す。
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呂氏春秋・貴直②能意、齊の宣王に見ゆ。宣王曰く、「寡人、子が直を好むと聞く。之れ有りや。」對えて曰く、「意惡くんぞ直を能くせん。意聞く、直を好むの士は、家、亂國に處らず、身、污君に見えず、と。身、今王に見ゆるを得て、家、齊に宅る。意惡くんぞ直を能くせん。」宣王怒りて曰く、「野士なり。」將に之を罪せんとす。能意曰く、「臣少くして事を好み、長じて之を行う。王胡ぞ野士を與うること能ざわるや。將に以て其の好む所を彰わさんか。」王乃ち之を舍す。能意なる者は、主の側に於いて論を謹まからしめば、亦必ず主に阿らじ。主に阿らざれば、得る所は、豈に少なからんや。此れ賢主の求む所にして、不肖の主の惡む所なり。
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戦国策・先生王斗造門而欲見齊宣王先生王斗門に造(いた)りて齊宣王に見えんと欲す、宣王謁者をして延(ひ)き入れしむ。王斗曰く、「斗趨(はし)りて王に見ゆるは勢を好むと爲し、王趨りて斗に見ゆるは士を好むと爲す、王に於て何如(いかん)。」使者復た還りて報ず。王曰く、「先生之を徐(ゆる)くせよ、寡人請ふ從はん。」宣王因りて趨りて之を門に迎へ、與に入りて曰く、「寡人先君の宗廟を奉じ、社稷を守り、先生直言正諫して諱(い)まざるを聞く。」王斗對へて曰く、「王之を聞くこと過てり。斗亂世に生まれ、亂君に事ふ、焉んぞ敢へて直言正諫せんや。」宣王忿然として色を作し、悅ばず。間有りて、王斗曰く、「昔先君桓公の好む所の者は、諸侯を九合し、天下を一匡し、天子籍を受けしめ、立てて大伯と爲す。今王に四つ有り。」宣王悅びて曰く、「寡人愚陋にして、齊國を守り、唯だ之を失ひ抎(お)とさんことを恐る、焉んぞ能く四つ有らんや。」王斗曰く、「否。先君馬を好み、王も亦た馬を好む。先君狗を好み、王も亦た狗を好む。先君酒を好み、王も亦た酒を好む。先君色を好み、王も亦た色を好む。先君士を好むも、是れ王士を好まず。」宣王曰く、「當今の世士無し、寡人何をか好まん。」王斗曰く、「世に騏驎騄耳無く、王の駟已に備はれり。世に東郭俊・盧氏の狗無く、王の走狗已に具はれり。世に毛嬙・西施無く、王宮已に充てり。王も亦た士を好まざるなり、何ぞ士無きを患へんや。」王曰く、「寡人國を憂へ民を愛し、固より士を得て之を治めんことを願ふ。」王斗曰く、「王の國を憂へ民を愛するは、王の尺縠(せきこく)を愛するに若かず。」王曰く、「何の謂ひぞや。」王斗曰く、「王人をして冠を爲らしむるに、左右便辟(べんへき)をして使はしめずして工者をして使はしむるは何ぞや。能くするを爲せばなり。今王齊を治むるに、左右便辟に非ずんば使ふ無し、臣故に尺縠を愛するに如かずと曰ふなり。」宣王謝して曰く、「寡人國家に罪有り。」是に於て士五人を舉げて官に任じ、齊國大いに治まる。
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説苑・雜言子石、呉山に登りて四望し、喟然として歎息して曰く、「嗚呼悲しいかな。世に事情に明らかにして人心に合わざる者有り、人心に合いて事情に明らかならざる者有り」と。弟子問いて曰く、「何の謂いぞや」と。子石曰く、「昔者、呉王夫差、伍子胥の言を聴かず、忠を尽くし極めて諫めしも、目を抉られて辜せらる。太宰嚭・公孫雒は、偷かに合し苟くも容れられ、以て夫差の志に順いて呉を伐たしむ。二子は身を江湖に沈められ、頭は越の旗に懸けらる。昔者、費仲・惡來革・長鼻決耳、崇侯虎は紂の心に順い、意に合わんと欲せしも、武王紂を伐ちて、四子は身を牧野に死し、頭足所を異にす。比干は忠を尽くして心を剖かれて死す。今、事情を明らかにせんと欲すれば、目を抉られ心を剖かるるの禍い有らんことを恐れ、人心に合わんと欲すれば、頭足所を異にするの患い有らんことを恐る。是に由りて之を観れば、君子の道狭きのみ。誠に其の明主に逢わずんば、狭道の中、又将に危険閉塞して、従いて出づ可き無からんとす」と。
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呂氏春秋・貴直①賢主の貴ぶ所は士に如くは莫し。士を貴ぶ所以は、其の直言の為なり。言直なれば則ち枉れる者見ゆ。人主の患いは、枉れるを聞かんと欲して直言を惡む。是れ其の源を障ぎて其の水を欲するなり。水奚に自りてか至らん。是れ其の欲する所を賤しみて、其の惡む所を貴ぶなり。欲する所奚に自りてか來たらん。
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史記 張丞相列伝周昌は、沛の人なり。其の従兄を周苛と曰ふ。秦の時皆泗水の卒史為り。高祖沛に起ち、泗水の守・監を撃破するに及び、是に於て周昌・周苛、卒史より沛公に従ふ。沛公、周昌を以て職志と為し、周苛を客と為す。従ひて関に入り、秦を破る。沛公立ちて漢王と為り、周苛を以て御史大夫と為し、周昌を中尉と為す。漢王の四年、楚、漢王を滎陽に囲むこと急なり。漢王遁れ出で去りて、周苛をして滎陽城を守らしむ。楚、滎陽城を破り、周苛をして将たらしめんと欲す。苛罵りて曰く、「若(なんぢ)趣(すみや)かに漢王に降れ。然らずんば、今に虜と為らん」と。項羽怒り、周苛を亨(に)る。是に於て乃ち周昌を拝して御史大夫と為す。常に従ひて項籍を撃破す。六年中を以て蕭・曹等と倶に封ぜらる。周昌を封じて汾陰侯と為す。周苛の子周成は父の事に死せしを以て、封ぜられて高景侯と為る。昌は人と為り彊力にして、敢へて直言す。蕭・曹等より皆之に卑下す。昌嘗て燕の時に入りて事を奏す。高帝方に戚姫を擁す。昌還り走る。高帝逐ひて得、周昌の項に騎りて、問ひて曰く、「我は何如なる主ぞや」と。昌仰ぎて曰く、「陛下は即ち桀紂の主なり」と。是に於て上之を笑ふ。然れども尤も周昌を憚る。
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