史記 / 魯仲連鄒陽列伝
是以聖王制世御俗,獨化於陶鈞之上,而不牽於卑亂之語,不奪於眾多之口。故秦皇帝任中庶子蒙嘉之言,以信荊軻之說,而匕首竊發;周文王獵涇、渭,載呂尚而歸,以王天下。故秦信左右而殺,周用烏集而王。何則?以其能越攣拘之語,馳域外之議,獨觀於昭曠之道也。今人主沈於諂諛之辭,牽於帷裳之制,使不羈之士與牛驥同皁,此鮑焦所以忿於世而不留富貴之樂也。臣聞盛飾入朝者不以利汙義,砥厲名號者不以欲傷行,故縣名勝母而曾子不入,邑號朝歌而墨子回車。今欲使天下寥廓之士,攝於威重之權,主於位勢之貴,故回面汙行以事諂諛之人而求親近於左右,則士伏死堀穴巖藪之中耳,安肯有盡忠信而趨闕下者哉!書奏梁孝王,孝王使人出之,卒為上客。太史公曰:魯連其指意雖不合大義,然余多其在布衣之位,蕩然肆志,不詘於諸侯,談說於當世,折卿相之權。鄒陽辭雖不遜,然其比物連類,有足悲者,亦可謂抗直不橈矣,吾是以附之列傳焉。
新字:是以聖王制世御俗,独化於陶鈞之上,而不牽於卑乱之語,不奪於衆多之口。故秦皇帝任中庶子蒙嘉之言,以信荊軻之説,而匕首窃発;周文王猟涇、渭,載呂尚而帰,以王天下。故秦信左右而殺,周用烏集而王。何則?以其能越攣拘之語,馳域外之議,独観於昭曠之道也。今人主沈於諂諛之辞,牽於帷裳之制,使不羈之士与牛驥同皁,此鮑焦所以忿於世而不留富貴之楽也。臣聞盛飾入朝者不以利汚義,砥厲名号者不以欲傷行,故県名勝母而曽子不入,邑号朝歌而墨子回車。今欲使天下寥廓之士,摂於威重之権,主於位勢之貴,故回面汚行以事諂諛之人而求親近於左右,則士伏死堀穴巖藪之中耳,安肯有尽忠信而趨闕下者哉!書奏梁孝王,孝王使人出之,卒為上客。太史公曰:魯連其指意雖不合大義,然余多其在布衣之位,蕩然肆志,不詘於諸侯,談説於当世,折卿相之権。鄒陽辞雖不遜,然其比物連類,有足悲者,亦可謂抗直不橈矣,吾是以附之列伝焉。
書き下し
是を以て聖王は世を制し俗を御し、独り陶鈞の上に化して、卑乱の語に牽かれず、衆多の口に奪はれず。故に秦の皇帝は中庶子蒙嘉の言に任じて、以て荊軻の説を信じ、而して匕首竊かに発す。周の文王は涇・渭に猟し、呂尚を載せて帰り、以て天下に王たり。故に秦は左右を信じて殺され、周は烏集を用ひて王たり。何となれば、其の能く攣拘の語を越え、域外の議を馳せ、独り昭曠の道を観るを以てなり。今、人主は諂諛の辞に沈み、帷裳の制に牽かれ、不羈の士をして牛驥と皁を同じくせしむ。此れ鮑焦の世に忿りて富貴の楽しみに留まらざる所以なり。臣聞く、盛飾して朝に入る者は利を以て義を汙さず、名号を砥厲する者は欲を以て行を傷らずと。故に県の勝母と名づくれば曾子入らず、邑の朝歌と号すれば墨子車を回す。今、天下の寥廓の士をして、威重の権に摂せられ、位勢の貴に主られしめんと欲す。故に面を回し行を汙して以て諂諛の人に事へて、左右に親近を求めしむれば、則ち士は堀穴巖藪の中に伏死せんのみ。安んぞ肯へて忠信を尽くして闕下に趨く者有らんや、と。書梁の孝王に奏せらる。孝王人をして之を出ださしめ、卒に上客と為す。太史公曰く、魯連は其の指意、大義に合はずと雖も、然れども余は其の布衣の位に在りて、蕩然として志を肆にし、諸侯に詘せず、当世に談説し、卿相の権を折くを多とす。鄒陽は辞遜らずと雖も、然れども其の物に比し類を連ぬる、悲しむに足る者有り。亦抗直にして橈まずと謂ふべし。吾是を以て之を列伝に附す。
現代語訳
だから聖王は世を治め風俗を統御するのに、ろくろ(陶鈞)の上で器を形作るように独自の判断で人々を教化し、卑しく乱れた言葉に引きずられず、大勢の口に心を奪われない。秦の始皇帝は中庶子の蒙嘉の言葉を信じて荊軻の申し出を受け入れ、その結果ひそかに匕首が抜かれた。周の文王は涇水・渭水のほとりで狩りをして、(釣りをしていた)呂尚を車に乗せて帰り、天下の王となった。つまり秦は側近を信じて殺されかけ、周は烏が集まるように偶然出会った者を用いて王となったのである。なぜか。周の文王は、しがらみにとらわれた言葉を乗り越え、常識の外の議論にまで思いをはせ、ただひとり明るく広い道を見ることができたからである。いまの君主はへつらいの言葉におぼれ、後宮の女たちの意見に引きずられ、束縛されない気骨ある士を牛や駿馬と同じ飼い葉桶につないでいる。これこそ鮑焦が世に憤って富貴の楽しみにとどまらなかった理由である。私はこう聞いている。身なりを正して朝廷に出る者は利益のために義を汚さず、名声を磨く者は欲望のために行いを損なわない、と。だから県の名が勝母(母に勝つ)であれば曾子はそこに入らず、町の名が朝歌(朝から歌う)であれば墨子は車を引き返した。いま天下の度量の広い士を、権威の重さで押さえつけ、高い地位の力で支配しようとし、顔をそむけ行いを汚してへつらう者に仕えさせ、側近に取り入って近づこうとさせるならば、士は洞穴や岩山や草むらの中で倒れ死ぬだけである。どうして忠誠を尽くして宮殿の門の下へ駆けつける者がいようか」。この書は梁の孝王に奏上された。孝王は人をやって鄒陽を獄から出させ、ついに上客とした。太史公はこう言う。魯仲連は、その主張の趣旨が大義に合わないところもあるが、私は、彼が無位無官の身でありながらのびのびと志のままに生き、諸侯に屈せず、当代に弁舌をふるって卿や宰相の権勢をくじいたことを高く評価する。鄒陽は言葉が謙虚ではないが、物事をたとえ、類例を連ねて述べるところには胸を打つものがあり、剛直で屈しない人と言うことができる。私はそれゆえ彼をこの列伝に付け加えたのである。
解説
関連する章句
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史記 魯仲連鄒陽列伝是を以て聖王は覚寤し、子之の心を捐て、而して田常の賢を説ばざる能ふ。比干の後を封じ、孕婦の墓を修む。故に功業復た天下に就る。何となれば、善を欲して厭く無ければなり。夫れ晋の文公は其の讎を親しみて、諸侯に彊霸たり。斉の桓公は其の仇を用ひて、天下を一匡す。何となれば、慈仁慇懃、誠に心に加はり、虚辞を以て借るべからざればなり。夫の秦の商鞅の法を用ひて、東は韓・魏を弱め、兵天下に彊きも、而して卒に之を車裂にし、越の大夫種の謀を用ひて、勁き呉を禽にし、中国に霸たるも、而して卒に其の身を誅するに至る。是を以て孫叔敖は三たび相を去りて悔いず、於陵子仲は三公を辞して人の為に園に灌ぐ。今、人主誠に能く驕傲の心を去り、報ゆべきの意を懐き、心腹を披き、情素を見し、肝胆を堕し、徳を施すこと厚く、終に之と窮達を与にし、士を愛しむこと無くんば、則ち桀の狗も堯に吠えしむべく、蹠の客も由を刺さしむべし。況んや万乗の権に因り、聖王の資を仮るをや。然らば則ち荊軻の七族を湛め、要離の妻子を焼く、豈に道ふに足らんや。
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『新序』雜事第三是を以て聖王世を制し俗を御し、獨り陶鈞の上に化し、能く卑亂の言に牽かれず、衆多の口に惑わず。故に秦の皇帝中庶子蒙恬の言に任じ、以て荊軻の説を信ず。故に匕首竊かに□。周の文王涇渭に校獵し、呂尚を載せて歸り、以て天下に王たり。秦は左右を信じて弑せられ、周は烏集を用いて王たり。何となれば則ち、其の能く攣拘の語を越え、域外の議に馳せ、獨り昭曠の道に觀ればなり。今人主は謟諛の辭に沉み、帷墻の制に牽かれ、不羈の士をして、牛驥皁を同じくせしむ。此れ鮑焦の世に忿りて、富貴の樂しみに留まらざる所以なり。臣聞く、盛飾して以て朝する者は、私を以て義を汙さず。名號を砥礪する者は、利を以て行を傷つけず、と。故に里に勝母と名づくれば、曾子入らず。邑を朝歌と號すれば、墨子車を回らす。今天下寥廓の士をして、威重の權に籠められ、勢位の貴に脇かされ、面を回らし行を汙して、以て謟諛の人に事え、親近を左右に求めしめば、則ち士は崛穴巖藪の中に伏死する有らんのみ。安んぞ精神を盡くして闕下に趨る者有らんや、と。書孝王に奏せらる。孝王立ちどころに之を出だし、卒に上客と爲す。
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史記 魯仲連鄒陽列伝鄒陽は、斉人なり。梁に游び、故の呉人荘忌夫子・淮陰の枚生の徒と交はる。書を上りて羊勝・公孫詭の間に介す。勝等鄒陽を嫉み、之を梁の孝王に悪す。孝王怒り、之を吏に下し、将に之を殺さんと欲す。鄒陽客游して、讒を以て禽へらる。死して負累せんことを恐れ、乃ち獄中より書を上りて曰く、臣聞く、忠は報いられざる無く、信は疑はれずと。臣常に以て然りと為せしも、徒だ虚語のみ。昔者、荊軻は燕丹の義を慕ひ、白虹日を貫くも、太子之を畏る。衛先生は秦の為に長平の事を画し、太白昴を蝕すも、昭王之を疑ふ。夫れ精は天地を変ずるも、信は両主に喩らず。豈に哀しからずや。今、臣忠を尽くし誠を竭くし、議を畢くして知られんことを願ふも、左右明らかならず、卒に吏の訊に従ひ、世の疑ふ所と為る。是れ荊軻・衛先生をして復た起たしむるも、燕・秦悟らざるなり。願はくは大王孰く之を察せよ。昔、卞和宝を献じて、楚王之を刖る。李斯忠を竭くして、胡亥極刑にす。是を以て箕子は詳り狂ひ、接輿は世を辟く。此の患に遭はんことを恐るればなり。願はくは大王、卞和・李斯の意を孰察して、楚王・胡亥の聴を後にし、臣をして箕子・接輿の笑ふ所と為らしむる無かれ。臣聞く、比干は心を剖かれ、子胥は鴟夷せらると。臣始め信ぜざりしも、乃ち今之を知る。願はくは大王孰察して、少しく憐れみを加へよ。諺に曰く、「白頭にして新たなるが如き有り、傾蓋にして故きが如し」と。何となれば、知ると知らざるとなり。故に昔、樊於期は秦を逃れて燕に之き、首を荊軻に藉して以て丹の事を奉ず。王奢は斉を去りて魏に之き、城に臨みて自剄し、以て斉を卻けて魏を存す。夫れ王奢・樊於期は、斉・秦に新たにして燕・魏に故きに非ざるなり。二国を去りて両君に死する所以の者は、行ひ志に合ひて義を慕ふこと窮まり無ければなり。是を以て蘇秦は天下に信ぜられざるも、燕の為に尾生たり。白圭は戦ひて六城を亡ふも、魏の為に中山を取る。何となれば、誠に以て相知る有ればなり。
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史記 魯仲連鄒陽列伝蘇秦燕に相たり、燕人之を王に悪す。王剣を按じて怒り、食はすに駃騠を以てす。白圭中山に顕はる。中山の人之を魏の文侯に悪す。文侯之に投ずるに夜光の璧を以てす。何となれば、両主二臣、心を剖き肝を坼きて相信ず。豈に浮辞に移らんや。故に女に美悪無く、宮に入れば妒まる。士に賢不肖無く、朝に入れば嫉まる。昔者、司馬喜は宋に髕脚せられ、卒に中山に相たり。范睢は魏に脅を摺かれ歯を折られ、卒に応侯と為る。此の二人は、皆必然の画を信じ、朋党の私を捐て、孤独の位を挟む。故に自ら嫉妒の人より免るる能はざるなり。是を以て申徒狄は自ら河に沈み、徐衍は石を負ひて海に入る。世に容れられず、義茍取せず、朝に比周して以て主上の心を移さず。故に百里奚は路に食を乞ふも、繆公之に委ぬるに政を以てす。甯戚は車下に牛を飯ふも、而して桓公之に任ずるに国を以てす。此の二人は、豈に宦を朝に借り、誉を左右に仮りて、然る後に二主之を用ひんや。心に感じ、行に合ひ、膠漆より親しく、昆弟も離す能はず。豈に衆口に惑はんや。故に偏聴は姦を生じ、独任は乱を成す。昔者、魯は季孫の説を聴きて孔子を逐ひ、宋は子罕の計を信じて墨翟を囚ふ。夫れ孔・墨の弁を以てするも、自ら讒諛より免るる能はずして、二国以て危し。何となれば、衆口は金を鑠かし、積毀は骨を銷せばなり。是を以て秦は戎人由余を用ひて中国に霸たり、斉は越人蒙を用ひて威・宣を彊くす。此の二国は、豈に俗に拘はり、世に牽かれ、阿偏の辞に系らんや。公聴并観して、名を当世に垂る。故に意合へば則ち胡越も昆弟と為る、由余・越人蒙是なり。合はざれば則ち骨肉も出逐して収めず、朱・象・管・蔡是なり。今、人主誠に能く斉・秦の義を用ひ、宋・魯の聴を後にせば、則ち五伯も称するに足らず、三王も為し易きなり。
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史記 魯仲連鄒陽列伝彼の秦は、礼義を棄てて首功を上ぶの国なり。権もて其の士を使ひ、虜もて其の民を使ふ。彼即し肆然として帝と為り、過ちて天下に政を為さば、則ち連は東海を蹈みて死する有るのみ。吾之が民と為るに忍びざるなり。将軍に見ゆる所為の者は、以て趙を助けんと欲すればなり」と。新垣衍曰く、「先生之を助くること将に柰何せん」と。魯連曰く、「吾将に梁及び燕をして之を助けしめんとす。斉・楚は則ち固より之を助く」と。新垣衍曰く、「燕は則ち吾請ふ以て従はん。若し乃ち梁は、則ち吾乃ち梁人なり。先生悪くんぞ能く梁をして之を助けしめん」と。魯連曰く、「梁は未だ秦の帝と称するの害を睹ざるが故のみ。梁をして秦の帝と称するの害を睹しめば、則ち必ず趙を助けん」と。新垣衍曰く、「秦の帝と称するの害は何如」と。魯連曰く、「昔者斉の威王嘗て仁義を為せり。天下の諸侯を率ゐて周に朝す。周貧しく且つ微にして、諸侯朝する莫し。而るに斉独り之に朝す。居ること歳余、周の烈王崩ず。斉後れて往く。周怒り、斉に赴げて曰く、『天崩れ地坼け、天子席を下る。東藩の臣因斉後れて至る。則ち斮らん』と。斉の威王勃然として怒りて曰く、『叱嗟、而が母は婢なり』と。卒に天下の笑と為る。故に生きては則ち周に朝し、死しては則ち之を叱す。誠に其の求めに忍びざればなり。彼の天子は固より然り。其れ怪しむに足る無し」と。
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史記 魯仲連鄒陽列伝臣聞く、明月の珠、夜光の璧も、闇を以て人に道路に投ずれば、人剣を按じて相眄せざる者無しと。何となれば、因無くして前に至ればなり。蟠木の根柢は、輪囷離詭なるも、而も万乗の器と為る者は、何となれば、左右先づ之が容を為すを以てなり。故に因無くして前に至れば、隨侯の珠、夜光の璧を出だすと雖も、猶ほ怨を結びて徳とせられず。故に人の先づ談ずる有れば、則ち枯木朽株を以てするも功を樹てて忘れられず。今夫れ天下の布衣窮居の士は、身は貧賤に在り、堯・舜の術を蒙り、伊・管の弁を挟み、竜逢・比干の意を懐き、忠を当世の君に尽くさんと欲すと雖も、而も素より根柢の容無ければ、精思を竭くし、忠信を開きて、人主の治を輔けんと欲すと雖も、則ち人主必ず剣を按じて相眄するの跡有り。是れ布衣をして枯木朽株の資と為るを得ざらしむるなり。
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