潜夫論 / 實貢
夫志道者少友,逐俗者多儔,是以舉世多黨而用私競,比質而行趨華。貢士者,非復依其質幹,準其材行也。直虛造空美,掃地洞說,擇能者而書之,公卿、刺史、掾、從事、茂才、孝廉,且二百員。曆察其狀,德侔顏淵卜冉,最其行能,多不及中,誠使皆如狀文,則是為歲得大賢二百也。然則災異曷為饑,此非其實之效。夫說梁飯食肉,有好於麵,因而不若糲粢藜烝之可食於口也。圖西施毛嬙,可悅於心,而不若醜妻陋妾之可禦於前也。虛張高譽,強蔽疵瑕,以相誑耀,有快於耳,而不若忠選實行可任於官也。周顯拘時,故蘇秦、燕噲利虛譽,故讓子之,皆舍實聽聲,嘔哇之過也。
新字:夫志道者少友,逐俗者多儔,是以舉世多党而用私競,比質而行趨華。貢士者,非復依其質幹,準其材行也。直虚造空美,掃地洞説,択能者而書之,公卿、刺史、掾、従事、茂才、孝廉,且二百員。暦察其状,徳侔顔淵卜冉,最其行能,多不及中,誠使皆如状文,則是為歳得大賢二百也。然則災異曷為饑,此非其実之効。夫説梁飯食肉,有好於麺,因而不若糲粢藜烝之可食於口也。図西施毛嬙,可悦於心,而不若醜妻陋妾之可禦於前也。虚張高誉,強蔽疵瑕,以相誑耀,有快於耳,而不若忠選実行可任於官也。周顕拘時,故蘇秦、燕噲利虚誉,故譲子之,皆舎実聴声,嘔哇之過也。
書き下し
夫れ道に志す者は友少なく、俗を逐う者は儔多し、是を以て世を挙げて党多く私を用いて競い、質を比べて華に趨く。貢士は、復た其の質幹に依り、其の材行に準ぜず。直ちに空美を虚造し、地を掃いて洞説し、能者を択びて之を書し、公卿・刺史・掾・従事・茂才・孝廉、且に二百員ならんとす。歴ねて其の状を察するに、徳は顔淵・卜・冉に侔しく、其の行能を最むるに、多くは中に及ばず、誠に皆な状文の如くならしめば、則ち是れ歳ごとに大賢二百を得るなり。然らば則ち災異曷為れぞ饑うるや、此れ其の実の効に非ず。夫れ梁を説き肉を食らうは、麺より好き有れども、因りて糲粢藜烝の口に食すべきに若かず。西施・毛嬙を図けば、心に悦ぶべきも、醜妻陋妾の前に禦むべきに若かず。虚しく高誉を張り、強いて疵瑕を蔽い、以て相い誑耀するは、耳に快き有れども、忠選実行の官に任ずべきに若かず。周顕は時に拘せられ、故に蘇秦・燕噲は虚誉を利し、故に子之に譲る、皆な実を舎てて声を聴く、嘔哇の過ちなり。
現代語訳
道に志す者には友が少なく、世俗を追う者には仲間が多い。それで世の中は徒党が多くなり、私情で競い、実質を比べるより華やかさに走ります。人材を推挙する者は、もはやその資質や才能と行いに基づかず、中身のない美辞を作り上げて、できる限り並べ立て、能力のある者を選んで書き連ね、公卿・刺史・掾・従事・茂才・孝廉など、およそ二百人にもなります。経歴を調べると、徳は顔淵、卜商、冉求に並ぶと書かれていますが、実際の行いや能力を総合すると、多くは中程度にも及びません。もし書かれた通りなら、毎年大賢が二百人も得られることになります。それなら、災いや飢饉がなぜ起こるのでしょう。これは実質を伴った成果ではないからです。白米や肉を食べることは麺より良いと説くよりも、粗末な穀物と野菜の蒸し物を実際に口に入れる方が役立ちます。西施や毛嬙の絵は心を楽しませても、醜い妻や卑しい妾が目の前で世話をしてくれる方が実用になります。むなしく高い評判を張り、欠点を無理に隠し、互いに誇示するのは、耳に心地よくても、忠義と実績ある者を官に任じるほうが役に立ちます。周顕は時に縛られ、蘇秦と燕の噲は空虚な名声に利を得て子之に位を譲りました。みな実を捨てて評判を聞いたための過ちです。
解説
この章句が説くこと
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