潜夫論 / 慎微
凡山陵之高,非削而成崛起也,必步增而稍上焉。川穀之卑,非截斷而顛陷也,必陂池而稍下焉。是故積上不止,必致嵩山之高;積下不已,必極黃泉之深。非獨山川也,人行亦然。有布衣積善不怠,必致顏閔之賢;積惡不休,必致桀蹠之名。非獨布衣也,人臣亦然。積正不倦,必生節義之志;積邪不止,必生暴弑之心。非獨人臣也,國君亦然。政教積德,必致安泰之福;舉錯數失,必致危亡之禍。故仲尼曰:「湯武非一善而王也,桀紂非一惡而亡也。」三代之廢興也,在其所積。積善多者,雖有一惡,是謂過失,未足以亡;積惡多者,雖有一善,是謂誤中,未足以存。人君聞此,可以悚懼;布衣聞此,可以改容。
新字:凡山陵之高,非削而成崛起也,必歩增而稍上焉。川穀之卑,非截断而顛陥也,必陂池而稍下焉。是故積上不止,必致嵩山之高;積下不已,必極黄泉之深。非独山川也,人行亦然。有布衣積善不怠,必致顔閔之賢;積悪不休,必致桀蹠之名。非独布衣也,人臣亦然。積正不倦,必生節義之志;積邪不止,必生暴弑之心。非独人臣也,国君亦然。政教積徳,必致安泰之福;舉錯数失,必致危亡之禍。故仲尼曰:「湯武非一善而王也,桀紂非一悪而亡也。」三代之廃興也,在其所積。積善多者,雖有一悪,是謂過失,未足以亡;積悪多者,雖有一善,是謂誤中,未足以存。人君聞此,可以悚懼;布衣聞此,可以改容。
書き下し
凡そ山陵の高きは、削りて崛起を成すに非ず、必ず歩ごとに増して稍や上るなり。川谷の卑きは、截断して顛陥するに非ず、必ず陂池して稍や下るなり。是の故に上を積みて止まざれば、必ず嵩山の高きを致し、下を積みて已まざれば、必ず黄泉の深きを極む。独り山川のみに非ず、人行も亦た然り。布衣有り善を積みて怠らざれば、必ず顔閔の賢を致し、悪を積みて休まざれば、必ず桀蹠の名を致す。独り布衣のみに非ず、人臣も亦た然り。正を積みて倦まざれば、必ず節義の志を生じ、邪を積みて止まざれば、必ず暴弑の心を生ず。独り人臣のみに非ず、国君も亦た然り。政教徳を積めば、必ず安泰の福を致し、挙錯数しば失すれば、必ず危亡の禍を致す。故に仲尼曰く、「湯武は一善にして王たるに非ず、桀紂は一悪にして亡ぶるに非ず」と。三代の廃興は、其の積む所に在り。善を積むこと多き者は、一悪有りと雖も、是を過失と謂い、未だ以て亡ぶるに足らず、悪を積むこと多き者は、一善有りと雖も、是を誤中と謂い、未だ以て存するに足らず。人君此れを聞かば、以て悚懼すべく、布衣此れを聞かば、以て容を改むべし。
現代語訳
およそ山の高さは、削って突然そびえ立ったものではなく、一歩ずつ積み上げて少しずつ高くなったものです。川や谷の低さも、断ち切って急に落ち込んだものではなく、傾斜が少しずつ下がったものです。だから、上へ積んで止まなければ嵩山の高さに達し、下へ積んで止まなければ黄泉の深さを極めます。山川だけではなく、人の行いも同じです。庶民でも善を積んで怠らなければ、顔回や閔子騫のような賢に至り、悪を積んでやめなければ、桀や盗跖のような名を得ます。庶民だけではなく、臣下も同じです。正しさを積んで倦まなければ節義の志が生まれ、邪を積んでやまなければ乱暴や弑逆の心が生まれます。臣下だけではなく、国君も同じです。政治と教化で徳を積めば、安泰の福に至り、施策をたびたび誤れば、危亡の禍に至ります。だから孔子は言いました。「湯王と武王は一つの善で王になったのではなく、桀と紂は一つの悪で滅びたのではない」と。三代の興廃は、その積み重ねにありました。善を多く積んだ者は、一つ悪があっても過失というべきで、それだけでは滅びません。悪を多く積んだ者は、一つ善があっても偶然の当たりというべきで、それだけでは存続できません。君主はこれを聞いて恐れ慎み、庶民はこれを聞いて態度を改めるべきです。
解説
この章句が説くこと
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尉繚子・兵教上民をして国門の限を背にし、死生の分を決せしめ、之に死して疑はざるを教ふる者は、以有るなり。守る者をして必ず固く、戦ふ者をして必ず闘ひ、奸謀作らず、姦民語らず、令行はれて変無く、兵行はれて猜無く、軽き者は霆の若く、敵に奮ふこと驚くが若くせしむ。功を挙げ徳を別つこと、明らかなること白黒の如く、
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