潜夫論 / 浮侈
夫檽梓豫章所出殊遠,又乃生於深山窮穀,經歷山岑,立千步之高,百丈之溪,傾倚險阻,崎嶇不便,求之連日,然後見之。伐斫連月,然後訖,會眾然後能動擔,牛列然後能致水。油潰入海,連淮逆河,行數千里,然後到雒。工匠雕治,積累日月,計一棺之成,功將千萬。夫既其終用,重且萬斤,非大眾不能舉,非大車不能挽。東至樂浪,西至敦煌,萬里之中,相競用之。此之費功傷農,可為痛心。古者墓而不崇。仲尼喪母,塚高四尺,遇雨而墮,弟子請治之,夫子泣曰:「禮不修墓。」鯉死有棺而無槨。文帝葬於芒碭,明帝葬於洛南,皆不藏珠寶,不造廟,不起山陵。陵墓雖卑而聖高。今京師貴戚,郡縣豪家,生不極養,死乃崇喪。
新字:夫檽梓予章所出殊遠,又乃生於深山窮穀,経歴山岑,立千歩之高,百丈之渓,傾倚険阻,崎嶇不便,求之連日,然後見之。伐斫連月,然後訖,会衆然後能動担,牛列然後能致水。油潰入海,連淮逆河,行数千里,然後到雒。工匠雕治,積累日月,計一棺之成,功将千万。夫既其終用,重且万斤,非大衆不能舉,非大車不能挽。東至楽浪,西至敦煌,万里之中,相競用之。此之費功傷農,可為痛心。古者墓而不崇。仲尼喪母,塚高四尺,遇雨而堕,弟子請治之,夫子泣曰:「礼不修墓。」鯉死有棺而無槨。文帝葬於芒碭,明帝葬於洛南,皆不蔵珠宝,不造廟,不起山陵。陵墓雖卑而聖高。今京師貴戚,郡県豪家,生不極養,死乃崇喪。
書き下し
夫れ檽梓豫章の出づる所は殊に遠く、又た乃ち深山窮谷に生じ、山岑を経歴し、千歩の高き、百丈の溪に立ち、傾倚険阻、崎嶇として便ならず、之を求むること連日にして、然る後に之を見る。伐斫すること連月にして、然る後に訖り、衆を会して然る後に能く担を動かし、牛列して然る後に能く水に致す。油潰して海に入り、淮を連ね河を逆り、行くこと数千里にして、然る後に雒に到る。工匠の雕治は、日月を積累し、一棺の成るを計るに、功は将に千万ならんとす。夫れ既に其の終用は、重きこと且つ万斤、大衆に非ざれば挙ぐる能わず、大車に非ざれば挽く能わず。東は楽浪に至り、西は敦煌に至る、万里の中、競いて相い之を用う。此の費功傷農、痛心すべし。古は墓して崇からず。仲尼母を喪い、塚の高さ四尺、雨に遇いて墮つ、弟子之を治めんと請う、夫子泣きて曰く、「礼は墓を修めず」と。鯉死して棺有りて槨無し。文帝は芒碭に葬られ、明帝は洛南に葬られ、皆な珠宝を蔵せず、廟を造らず、山陵を起こさず。陵墓は卑しと雖も聖は高し。今京師の貴戚、郡県の豪家は、生きては養を極めず、死して乃ち喪を崇くす。
現代語訳
檽梓や豫章の産地はたいへん遠く、深山や奥まった谷に生え、山を越え、千歩もの高さ、百丈の谷川に立ち、傾いた険しい地で、通うのも不便なため、探して何日もかかってやっと見つかります。伐り出すのにも何か月もかかり、大勢を集めてようやく運び始められ、牛を連ねてやっと水辺に届きます。水に流して海に入り、淮から黄河をさかのぼり、数千里を行って、やっと洛陽に着きます。職人が彫って仕上げるには月日が積み重なり、一つの棺ができるまでの手間は千万にも及びます。出来上がると重さは万斤にもなり、大勢でなければ持ち上げられず、大きな車でなければ引けません。東は楽浪から西は敦煌まで、万里の範囲で、競ってこれを用います。この費用と労力は農業を損ない、胸が痛みます。古は墓を高くしませんでした。孔子が母を亡くしたとき、塚の高さは四尺で、雨で崩れました。弟子が直したいと願い出ると、先生は泣いて言いました。「礼では墓を手入れしないのだ」と。孔鯉が亡くなったときも棺はあっても槨はありませんでした。文帝は芒碭に、明帝は洛陽の南に葬られ、いずれも珠玉や宝を納めず、廟を造らず、山陵を築きませんでした。陵墓は低くても、聖はそれによって高いのです。今、都の貴戚や郡県の豪族は、生きている間は十分に養わず、死んでから喪を盛大にします。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』上卷之本此宝は天に在ては天の道となり、地に在ては地の道となるは、元来名はなき物なれ共、衆生に教へ示さん為めに、昔しの聖人其光景をかたどりて、孝と名付け玉ふ、夫よりこの方愚痴不肖の賤男賤女に至る迄も、其名をば知ると云共、其真実の道理は、老師宿儒知見抜群の人さへ悟り得る事稀なり、然る故に世俗孝は親に事ふる一事となして、浅近の道理なりと思へり、孔子嘆かはしく思召して、万世の盲聾を開かん為めに、孝徳神妙不測広大深遠にして、無始無終の神道を孝経に発明し玉ふ、孝徳の感通を手近く名付け言へば、愛敬の二字に極まれり、愛は懇に親しむ心なり、敬は上をうやまひ下を軽しめ侮らざる義なり、孝は譬へば明なる鏡の如し、向ふ物の形と色とに因て、鏡の中の影は品々かはれ共、明らかに写す鏡の体は同じ者なり、其如く父子君臣の人倫に相交ることは、千々万々品変れ共、愛敬の至徳は通せざる所なし、
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『徂徠先生答問書』卷中一孝行の儀御尋に候。成程聖人の教には孝弟忠信を中庸の徳行と名付け、是を貴賤によらず人たる者の勤め行ふべき事といたし申候。君子の道も、是を土台にいたし不申候得ば、高きにのぼるに楷梯なきがごとくに御座候。舜の契を司徒の官になされ、五倫を教へしめ給ふも、孔子の民に中庸の徳なき事を御なげき被成候も同意にて御座候。孝は父母によくつかへ候事、弟は兄長によくつかへ候事、忠は君につかゆるにても、又たれにても、人のためになし候事をば我身の事のごとくに如在なく身にかけ申候事に候。信と申候は、朋友其外あまねくの人にまじはり申候には言語を慎み偽り違候事なきやうに致し候を申候。是にて父母兄弟君臣朋友の道こもり申候故、五倫と申候も、中庸と申候も、孝弟忠信と申候も、ひとつ事にて御座候。
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『翁問答』上卷之本体充問曰庶人の孝行はいかゞ。師の曰農工商何れも其所作を能勤め怠らず財穀を貯へ、むざと費やさず身持心立能慎み、公儀を恐れて法度に背かず、我身子の事をば第二とし、父母の衣服食物を第一に思ひ入、心力を尽して及ぬきはをも調へて父母の受悦ぶ様にもてなして能く養ふは庶人の孝なり。体充問曰五等の孝の内、只庶人に計り父母を養ふと説給ふは、如何なる故にて候や。師の曰士より上は財乏しからず養ふ事は云ふに及はず、庶人は財乏しくして、充分に心を苦しめ力を尽さゞれば、衣服食物足らざる故に、庶人に計り養ひを説給ふ五等皆其位の内にて第一重き所を取りて、説給ふ道理は皆相通するなり、能く体認すべし。
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『十善法語』巻第五・不綺語戒若或ハ父母カ悪事ニ随順シテ止ヌコトアレハ。此ハ変ト知ヘシ。其時ニハ事ノ軽重。時ノ進不ヲ斟酌スヘキコトシヤ。自心ノ及ハヌ処ハ。智者明師ノ指示ヲ受ルガヨイ。要ヲ取テ云ハ。此孝道。思惟度量シテ別ニムツカシキ一法ヲ造作スルナラス。唯子タル者ノ平生安ンスル処。コレヲ孝ノ道ト云。何故ニ如是ソ。此父母コレ我自性善根ノ開発セル儀シヤ。若業障深キ衆生ハ父母ノ名字タモ聞コトナラヌシヤ。梵網経ニ。若有犯者不得現身発菩提心。乃至二却三却不聞父母三宝名字トアル。余経ニ。夢ニ父母師僧ヲミル。皆福分ノアル処ト云。魚ノ水中ニ游フ如ク。鳥ノ空中ニ飛カ如ク。孝子順孫ノ父母王母ノ膝下ニアル。此ニ同シ。実実ニカクノ如クナラバ。地中ニ金一釜ヲ得ズトモ或ハ冬時筍ヲ得ストモ。孝道全トス。世ニ不孝ノ子アル。或ハ功利名誉ニ蔽ハル。或ハ博奕婬酒ニ蔽ハル。ミナ宿悪深重ノナス所ト知ルヘキシヤ。
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