潜夫論 / 本政
孔子曰:「國有道,貧且賤焉,恥也;國無道,富且貴焉,恥也。」《詩殤》「皎皎白駒,在彼空谷,巧言如流,俾躬處休。」蓋言衰世之士,志彌潔者身彌賤,佞彌巧者官彌尊也。方以類聚,物以群分;同明相見,同聽相聞;唯聖知聖,唯賢知賢。今當塗之人,既不能昭練賢鄙,然又卻於貴人之風指,脅以權勢之囑托,請謁闐門,禮贄輻湊,追於目前之急,則且先之。此正士之所獨蔽,而群邪之所黨進也。周公之為宰輔也,以謙下士,故能得真賢。祁奚之為大夫也,舉仇薦子,故能得正人。今世得位之徒,依女妹之寵以驕士,藉亢龍之勢以陵賢,而欲使志義之士,匍匐曲躬以事己,毀顏諂諛以求親,然後乃保持之。則貞士采薇凍餒,伏死巖穴之中而已爾,豈有肯踐其闕而交其人者哉。
新字:孔子曰:「国有道,貧且賤焉,恥也;国無道,富且貴焉,恥也。」《詩殤》「皎皎白駒,在彼空谷,巧言如流,俾躬処休。」蓋言衰世之士,志弥潔者身弥賤,佞弥巧者官弥尊也。方以類聚,物以群分;同明相見,同聴相聞;唯聖知聖,唯賢知賢。今当塗之人,既不能昭練賢鄙,然又却於貴人之風指,脅以権勢之囑托,請謁闐門,礼贄輻湊,追於目前之急,則且先之。此正士之所独蔽,而群邪之所党進也。周公之為宰輔也,以謙下士,故能得真賢。祁奚之為大夫也,舉仇薦子,故能得正人。今世得位之徒,依女妹之寵以驕士,藉亢竜之勢以陵賢,而欲使志義之士,匍匐曲躬以事己,毀顔諂諛以求親,然後乃保持之。則貞士采薇凍餒,伏死巖穴之中而已爾,豈有肯践其闕而交其人者哉。
書き下し
孔子曰く、「国に道有るに、貧しくして且つ賤しきは、恥なり。国に道無きに、富みて且つ貴きは、恥なり」と。《詩》の「皎皎たる白駒、彼の空谷に在り、巧言流るるが如く、躬をして休に処らしむ」とは、蓋し衰世の士、志は彌いよ潔き者は身は彌いよ賤しく、佞は彌いよ巧みなる者は官は彌いよ尊きを言うなり。方は類を以て聚まり、物は群を以て分かる。同明は相見え、同聴は相聞く。唯だ聖のみ聖を知り、唯だ賢のみ賢を知る。今、当塗の人は、既に賢鄙を昭練する能わず、然れども又貴人の風指に卻み、権勢の嘱托に脅かされ、請謁門に闐ち、礼贄輻湊し、目前の急に迫られて、則ち且く之を先にす。此れ正士の独り蔽わるる所にして、群邪の党進する所なり。周公の宰輔たるや、謙を以て士に下る、故に能く真賢を得たり。祁奚の大夫たるや、仇を挙げ子を薦む、故に能く正人を得たり。今世の位を得たるの徒は、女妹の寵に依りて以て士に驕り、亢龍の勢いに藉りて以て賢を陵ぎ、而して志義の士をして、匍匐曲躬して以て己に事え、毀顔諂諛して以て親しみを求め、然る後に乃ち之を保持せんと欲す。則ち貞士は薇を采りて凍餒し、巌穴の中に伏死するのみ。豈に其の闕を践みて其の人に交わるを肯んずる者有らんや。
現代語訳
孔子は「国に道があるのに貧しく賤しいのは恥である。国に道がないのに富んで貴いのは恥である」と言いました。『詩』の「白く美しい駒が、あの人気のない谷にいる。巧みな言葉は流れるようで、身を安楽に置かせる」というのは、衰えた世の士で、志が清らかなほど身分は低く、へつらいが巧みなほど官位が高いことを言うのでしょう。物事は同類で集まり、物は仲間ごとに分かれます。同じく明るい者は互いに見え、同じく聴き取る者は互いに聞こえます。聖人だけが聖人を知り、賢者だけが賢者を知ります。今、権力の座にある人は、賢愚を見分けることができないうえ、貴人の意向を気にして、権勢ある者の依頼に脅かされ、面会の請求が門に満ち、贈り物が車輪のスポークのように集まるなかで、目前の急ぎに迫られ、そちらを先にします。これが正しい士だけが覆い隠される理由であり、悪人どもが徒党を組んで進む理由です。周公は宰相となり、謙虚に士にへりくだりました。だから真の賢者を得ることができました。祁奚は大夫となり、仇を推挙し、子も推薦しました。だから正しい人を得ることができました。今の世で位を得た者たちは、女性や姉妹の寵愛に頼って士に驕り、昇りつめた龍のような勢いを借りて賢者を凌ぎ、志と義のある士に這いつくばり身を曲げて自分に仕えさせ、顔をつくろいへつらって親しみを求めさせ、その後で初めて庇護しようとします。そうなれば、貞操ある士は薇を摘んで飢え凍え、岩穴の中で死ぬだけです。どうしてその門を踏んでその人と交わろうとするでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之六孟子曰く、伯夷は隘なり、柳下恵は不恭なりと。蓋し賢者以下は、往々禀性偏りて全からず。其の賢なること二子の如きも、亦其の病無きこと能はず。此に長ずと雖も、或いは彼に短なり。中庸の所謂其の次は曲を致す者なり。聖人の陰陽徳を合せ、短長の論ずべき無きに如かず。夫れ伯夷・柳下恵も亦偏性有り。此を以て之を看れば、康節・伊川の如きも、亦同じく是れ賢哲なりと雖も、然り而して偏性無きこと能はず。蓋し康節は伊川の謹厳に如かず、伊川は康節の寛舒に如かず。是れ賢者と雖も、亦各々長処有り短処有ること此くの如し。
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孟子・離婁章句下其の間、寸を以てすること能はず。」
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史記 魏世家昭公卒して六卿彊く、公室卑し。晋の頃公の十二年、韓宣子老し、魏献子国政を為す。晋の宗室の祁氏・羊舌氏相悪む。六卿之を誅し、尽く其の邑を取りて十県と為し、六卿各々其の子をして之が大夫と為らしむ。献子、趙簡子・中行文子・范献子と并びに晋の卿為り。其の後十四歳にして孔子魯に相たり。後四歳、趙簡子晋陽の乱を以て、韓・魏と共に范・中行氏を攻む。魏献子、魏侈を生む。魏侈、趙鞅と共に范・中行氏を攻む。魏侈の孫を魏桓子と曰ふ。韓康子・趙襄子と共に知伯を伐ち滅ぼし、其の地を分つ。桓子の孫を文侯都と曰ふ。魏の文侯の元年は、秦の霊公の元年なり。韓の武子・趙の桓子・周の威王と時を同じくす。六年、少梁に城く。十三年、子撃をして繁・龐を囲ましめ、其の民を出だす。十六年、秦を伐ち、臨晋・元裏に築く。十七年、中山を伐ち、子撃をして之を守らしめ、趙倉唐之に傅たり。子撃、文侯の師田子方に朝歌に逢ひ、車を引きて避け、下りて謁す。田子方礼を為さず。子撃因りて問ひて曰く、『富貴なる者人に驕るか。且つ貧賤なる者人に驕るか』と。子方曰く、『亦貧賤なる者人に驕るのみ。夫れ諸侯にして人に驕れば則ち其の国を失ひ、大夫にして人に驕れば則ち其の家を失ふ。貧賤なる者は、行ひ合はず、言用ひられずんば、則ち去りて楚・越に之くこと、屣を脱ぐが若く然り。奈何ぞ其れ之を同じくせんや』と。子撃懌ばずして去る。西のかた秦を攻め、鄭に至りて還り、雒陰・合陽に築く。廿二年、魏・趙・韓列して諸侯と為る。廿四年、秦我を伐ち、陽狐に至る。廿五年、子撃子罃を生む。
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