論衡 / 『論衡』定賢篇第八十・出世は賢さの証拠か
以仕宦得高官身富貴為賢乎?則富貴者天命也。命富貴不為賢、命貧賤不為不肖。必以富貴效賢不肖、是則仕宦以才不以命也。
新字:以仕宦得高官身富貴為賢乎?則富貴者天命也。命富貴不為賢、命貧賤不為不肖。必以富貴効賢不肖、是則仕宦以才不以命也。
書き下し
仕宦して高官を得、身富貴なるを以て賢と為すか。則ち富貴なる者は天命なり。命、富貴なるは賢と為さず、命、貧賤なるは不肖と為さず。必ず富貴を以て賢・不肖を効さば、是れ則ち仕宦は才を以てして命を以てせざるなり。
現代語訳
官に仕えて高い官位を得、身が富み栄えていることをもって賢者とするのでしょうか。しかし富や地位は天命によるものです。命によって富貴になった者を賢者とはしませんし、命によって貧しく卑しい身になった者を不肖とはしません。それでもなお富貴を賢と不肖の証拠にするなら、出世は才能によるもので命によるのではない、ということになってしまいます。
解説
『論衡』定賢篇は、賢者をどう見分けるかを問い、世間の物差しを一つずつ退けていきます。最初に退けるのが、高い地位と富という最も分かりやすい指標です。王充は、富貴は命と時の巡り合わせによるものだと考えており、それを賢さの証明にすれば自分の立場と矛盾すると突いています。現代でも、役職や年収が高い人を優れた人と見なしがちです。しかしそれは結果の一部にすぎません。評価の物差しが運や環境を含んでいないか、一度疑ってみる視点を与えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
賢者富貴仕宦天命評価才
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