呂氏春秋 / 贊能①
賢者善人以人,中人以事,不肖者以財。得十良馬,不若得一伯樂;得十良劍,不若得一歐冶;得地千里,不若得一聖人。舜得皋陶而舜受之,湯得伊尹而有夏民,文王得呂望而服殷商。夫得聖人,豈有里數哉?
新字:賢者善人以人,中人以事,不肖者以財。得十良馬,不若得一伯楽;得十良剣,不若得一欧冶;得地千里,不若得一聖人。舜得皋陶而舜受之,湯得伊尹而有夏民,文王得呂望而服殷商。夫得聖人,豈有里数哉?
書き下し
賢者は人に善くするに人を以てし、中人は事を以てし、不肖者は財を以てす。十の良馬を得るは、一の伯樂を得るに若かず。十の良劍を得るは、一の歐冶を得るに若かず。地千里を得るは、一の聖人を得るに若かず。舜、皋陶を得て、舜、之を受く。湯、伊尹を得て夏民を有ち、文王、呂望を得て殷商を服す。夫れ聖人を得れば、豈に里數有らんや。
現代語訳
賢者は人に尽くすのに人(徳・人物)をもってし、中位の者は事(働き)をもってし、劣った者は財貨をもってする。十頭の良馬を得るより、一人の伯楽(名馬の鑑定家)を得る方がよい。十振りの名剣を得るより、一人の欧冶(名工)を得る方がよい。千里の土地を得るより、一人の聖人を得る方がよい。舜は皋陶を得て天下を受け継ぎ、湯は伊尹を得て夏の民を治め、文王は呂望(太公望)を得て殷を服従させた。そもそも聖人を得ることの価値は、土地の広さなどで測れるものではない。
解説
この段は、賢者は人物そのものを、劣った者は財貨を頼りに人と交わるとし、良馬や名剣より、それを見抜く伯楽や作り出す欧冶を、広大な土地より一人の聖人を得よと説きます。舜と皋陶、湯と伊尹、文王と呂望という名君と名臣の組み合わせを挙げ、有能な一人の価値は面積では測れないと結びます。背景には、物や領土より人材こそ国の要だという古代の登用観があります。現代の組織でも、設備や資金より、それを活かせる人材の確保が成否を決めます。優れた一人を見出し招くことに投資すべきだという、人材第一の考え方を伝えてくれます。
この章句が説くこと
賢者伯楽欧冶聖人皋陶伊尹
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