潜夫論 / 讚學
是故造父疾趨,百步而廢,而託乘輿,坐致千里;水師泛軸,解維則溺,自託舟楫,坐濟江河。是故君子者,性非絕世,善自託於物也。人之情性,未能相百,而其明智有相萬也。此非其真性之材也,必有假以致之也。君子之性,未必盡照,及學也,聰明無蔽,心智無滯,前紀帝王,顧定百世。此則道之明也,而君子能假之以自彰爾。夫是故道之於心也,猶火之於人目也。中穽深室,幽黑無見,及設盛燭,則百物彰矣。此則火之燿也,非目之光也,而目假之,則為明矣。天地之道,神明之為,不可見也。學問聖典,心思道術,則皆來覩矣。此則道之材也,非心之明也,而人假之,則為己知矣。
新字:是故造父疾趨,百歩而廃,而託乗輿,坐致千里;水師泛軸,解維則溺,自託舟楫,坐済江河。是故君子者,性非絶世,善自託於物也。人之情性,未能相百,而其明智有相万也。此非其真性之材也,必有仮以致之也。君子之性,未必尽照,及学也,聰明無蔽,心智無滞,前紀帝王,顧定百世。此則道之明也,而君子能仮之以自彰爾。夫是故道之於心也,猶火之於人目也。中穽深室,幽黒無見,及設盛燭,則百物彰矣。此則火之燿也,非目之光也,而目仮之,則為明矣。天地之道,神明之為,不可見也。学問聖典,心思道術,則皆来睹矣。此則道之材也,非心之明也,而人仮之,則為己知矣。
書き下し
是の故に造父は疾く趨るも、百歩にして廃れ、輿に託すれば、坐して千里を致す。水師は軸を泛かぶるも、維を解けば則ち溺れ、自ら舟楫に託すれば、坐して江河を済る。是の故に君子は、性は世に絶するに非ず、善く自ら物に託するなり。人の情性は、未だ相い百ならず、而るに其の明智は相い万なる有り。此れ其の真性の材に非ざるなり、必ず仮りて以て之を致す有るなり。君子の性は、未だ必ずしも尽くは照らさざるも、学に及べば、聡明蔽う無く、心智滞る無く、前は帝王を紀し、顧みては百世を定む。此れ則ち道の明なり、而るに君子能く之を仮りて以て自ら彰かにするのみ。夫れ是の故に道の心に於けるや、猶お火の人の目に於けるがごとし。中穽の深室は、幽黒にして見る無し、盛燭を設くるに及べば、則ち百物彰かなり。此れ則ち火の燿きなり、目の光に非ず、而るに目之を仮れば、則ち明と為る。天地の道、神明の為は、見るべからざるなり。聖典を学問し、道術を心思すれば、則ち皆来り覩る。此れ則ち道の材なり、心の明に非ず、而るに人之を仮れば、則ち己の知と為る。
現代語訳
名御者の造父でも、自分の足で走れば百歩で疲れますが、車に乗れば座ったまま千里に至ります。水練に長けた者でも、浮かんで舵を取る綱を解けば溺れますが、舟と櫂に頼れば座ったまま江河を渡れます。ですから君子は、生まれつきが世に並ぶ者のないほど優れているのではなく、うまく外の物に自分を託すのです。人の性質は百倍も違いはしないのに、その知の明るさには万倍もの差が出ます。これは生まれつきの素質の違いではなく、何かを借りてそこに至っているからです。君子の性質は必ずしもすべてを照らすわけではありませんが、学べば聡明さは曇りなく、心の働きは滞らず、過去は帝王を記し、見渡しては百世を定められます。これは道の明るさであり、君子はそれを借りて自らを明らかにしているだけです。道が心にあるのは、火が人の目にあるのと同じです。窪みのある奥深い部屋は暗くて見えませんが、強い灯火を点せばあらゆる物がはっきりします。これは火の輝きであって目の光ではありませんが、目がそれを借りれば明るく見えます。天地の道、神明のはたらきは、目に見えません。しかし聖典を学び、道術を心に思えば、すべて見えてきます。これは道の材であって心の明るさではありませんが、人がそれを借りれば、自分の知となるのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
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『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。
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