潜夫論 / 讚學
夫道成於學而藏於書,學進於振而廢於窮。是故董仲舒終身不問家事,景君明經年不出戶庭,得銳精其學,而顯昭其業者,家富也;富佚若彼,而能勤精若此者,材子也。倪寬賣力於都巷,匡衡自鬻於保徒者,身貧也;貧阨若彼而能進學若此者,秀士也。當世學士恆以萬計,而究塗者無數十焉,其故何也?其富者則以賄玷精,貧者則以乏易計,或以喪亂朞其年歲,此其所以逮初喪功而及其童蒙者也。是故無董、景之才,倪、匡之志,而欲强捐家出身曠日師門者,必無幾矣。夫此四子者,耳目聰明,忠信廉勇,未必無儔也,而及其成名立績,德音令問不已,而有所以然,夫何故哉?徒以其能自託於先聖之典經,結心於夫子之遺訓也。
新字:夫道成於学而蔵於書,学進於振而廃於窮。是故董仲舒終身不問家事,景君明経年不出戸庭,得鋭精其学,而顕昭其業者,家富也;富佚若彼,而能勤精若此者,材子也。倪寛売力於都巷,匡衡自鬻於保徒者,身貧也;貧阨若彼而能進学若此者,秀士也。当世学士恒以万計,而究塗者無数十焉,其故何也?其富者則以賄玷精,貧者則以乏易計,或以喪乱朞其年歳,此其所以逮初喪功而及其童蒙者也。是故無董、景之才,倪、匡之志,而欲強捐家出身曠日師門者,必無幾矣。夫此四子者,耳目聰明,忠信廉勇,未必無儔也,而及其成名立績,徳音令問不已,而有所以然,夫何故哉?徒以其能自託於先聖之典経,結心於夫子之遺訓也。
書き下し
夫れ道は学に成りて書に蔵せられ、学は振うに進みて窮するに廃す。是の故に董仲舒は終身家事を問わず、景君明は経年戸庭を出でず、鋭く其の学に精しくして、其の業を顕昭するを得たるは、家富めばなり。富佚なること彼の若くにして、能く勤精なること此の若き者は、材子なり。倪寛は力を都巷に売り、匡衡は自ら保徒に鬻ぐ者は、身貧しければなり。貧阨なること彼の若くにして、能く学に進むこと此の若き者は、秀士なり。当世の学士は恒に万を以て計うるに、塗を究むる者は数十も無し。其の故は何ぞや。其の富める者は則ち賄を以て精を玷し、貧しき者は則ち乏しきを以て計を易え、或いは喪乱を以て其の年歳を朞う。此れ其の初めに逮びて功を喪い、其の童蒙に及ぶ所以の者なり。是の故に董・景の才、倪・匡の志無くして、強いて家を捐て身を出だし日を師門に曠しくせんと欲する者は、必ず幾ばくも無からん。夫れ此の四子は、耳目聡明、忠信廉勇にして、未だ必ずしも儔無きに非ざるなり。而るに其の名を成し績を立つるに及び、徳音令問已まず、然る所以有るは、夫れ何の故ぞや。徒だ其の能く自ら先聖の典経に託し、心を夫子の遺訓に結ぶを以てのみ。
現代語訳
道は学ぶことで成り、書物に蔵されています。学問は奮い立てば進み、行き詰まれば途絶えます。董仲舒は生涯家のことを問わず、景君明は何年も庭先にすら出ずに、鋭く学問に打ち込んでその業績を世に示せたのは、家が豊かだったからです。あれほど安楽な身でこれほど勤勉であったのは、才能ある人です。倪寛が都の路地で力仕事をし、匡衡が自らを雇い人に売ったのは、身が貧しかったからです。あれほど苦しい境遇で、これほど学問を進めたのは、優れた士です。今の世の学士は常に万を単位に数えられるのに、道を究める者は数十人もいません。その理由は何でしょうか。富む者は財貨で精神を汚し、貧しい者は不足のために計画を変え、あるいは世の乱れで年月を費やすからです。こうして初めの段階で功を失い、幼い段階にとどまってしまうのです。ですから、董・景の才も倪・匡の志もないのに、無理に家を捨て身を投げ出して、師の門下で日々を空しく過ごそうとする者は、成功するものがほとんどいないでしょう。この四人は、耳も目も聡く、誠実で潔く勇気があり、同じような人が他にいなかったわけではないでしょう。それでも名声を成し業績を立て、良い評判が絶えないのは、なぜでしょうか。ただ、先聖の典籍に自らを託し、孔子の遺した教えに心を結んだからにほかなりません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。
-
孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
-
『講孟余話』滕文公下 第六章「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。
-
『呻吟語』内篇・修身・入る所を慎み、接する所を慎む廟に入れば敬を期せずして自ら敬し、朝に入れば肅を期せずして自ら肅たり。是を以て君子は入る所を慎むなり。嚴師を見れば則ち收斂し、狎友を見れば則ち放恣なり。是を以て君子は接する所を慎むなり。
-
『呻吟語』外篇・品藻・至此不為君子、真小人なり君子事に當たれば、則ち小人も皆な君子と為る。此に至りて君子と為らざるは、真の小人なり。小人事に當たれば、則ち中人も皆な小人と為る。此に至りて小人と為らざるは、真の君子なり。
-
説苑・奉使晏子將に荊に使いせんとす。荊王之を聞き、左右に謂いて曰く、「晏子は賢人なり。今方に來らんとす。之を辱めんと欲す、何を以てせん。」左右對えて曰く、「其の來るに爲り、臣請う一人を縛りて王を過りて行かしめん。」是に於て荊王晏子と立ちて語る。一人を縛る有り、王を過りて行く。王曰く、「何を爲す者ぞ。」對えて曰く、「齊人なり。」王曰く、「何の坐ぞ。」曰く、「盜に坐す。」王曰く、「齊人固より盜するか。」晏子反顧して之に曰く、「江南に橘有り、齊王人をして之を取りて江北に樹えしむるに、生じて橘と爲らず、乃ち枳と爲る。然る所以は何ぞ。其の土地之をして然らしむるなり。今齊人齊に居りて盜せず、荊に來りて盜す、土地之をして然らしむる無きを得んか。」荊王曰く、「吾子を傷つけんと欲して反りて自ら中れり。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る