清静経 / 妄心と煩悩
眾生所以不得真道者,為有妄心。既有妄心,即驚其神;既驚其神,即著萬物;既著萬物,即生貪求;既生貪求,即是煩惱;煩惱妄想,憂苦身心;便遭濁辱,流浪生死,常沉苦海,永失真道。真常之道,悟者自得。得悟道者,常清靜矣。
新字:衆生所以不得真道者,為有妄心。既有妄心,即驚其神;既驚其神,即著万物;既著万物,即生貪求;既生貪求,即是煩悩;煩悩妄想,憂苦身心;便遭濁辱,流浪生死,常沈苦海,永失真道。真常之道,悟者自得。得悟道者,常清静矣。
書き下し
衆生の真道を得ざる所以は、妄心有るが為なり。 既に妄心有れば、即ち其の神を驚かす。 既に其の神を驚かせば、即ち万物に著す。 既に万物に著すれば、即ち貪求を生ず。 既に貪求を生ずれば、即ち是れ煩悩なり。 煩悩妄想は、身心を憂苦せしむ。 便ち濁辱に遭い、生死に流浪し、常に苦海に沈み、永く真道を失う。 真常の道は、悟る者自ずから得。 道を悟るを得る者は、常に清静なり。
現代語訳
人々が真の道を得られない理由は、妄心があるからです。 妄心があれば、精神を驚かせます。 精神を驚かせれば、万物に執着します。 万物に執着すれば、貪り求める心が生まれます。 貪り求める心が生まれれば、それが煩悩です。 煩悩や妄想は、身も心も憂いと苦しみに沈ませます。 そうして濁りや辱めに遭い、生と死のあいだをさまよい、いつも苦しみの海に沈んで、永く真の道を失います。 真の常なる道は、悟る者がおのずから得ます。 道を悟ることのできた者は、いつも清く静かです。
解説
妄心から煩悩へと連鎖する流れを、一段ずつ追う章句です。妄心が精神を驚かせ、物への執着、貪り、煩悩、苦しみへと進みます。原因と結果が連なっていて、原因の側を断てば苦しみも生じないという構造です。仏教語が使われており、道教と仏教の交わりをうかがわせますが、細かい由来には確信が持てません。実務でも、不安から執着し、執着から過剰な求めにつながり、苦しみに至る流れは身近です。苦しいときは、結果ではなく最初の乱れに戻って見直すことが助けになります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
妄心驚神著物貪求煩悩苦海
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