清静経 / 真静応物
真靜應物,真常得性;常應常靜,常清靜矣。如此清靜,漸入真道;既入真道,名謂得道,雖名得道,實無所得;為化眾生,名謂得道;能悟之者,可傳聖道。
新字:真静応物,真常得性;常応常静,常清静矣。如此清静,漸入真道;既入真道,名謂得道,雖名得道,実無所得;為化衆生,名謂得道;能悟之者,可伝聖道。
書き下し
真静は物に応じ、真常は性を得。 常に応じ常に静ならば、常に清静なり。 此くの如く清静ならば、漸く真道に入る。 既に真道に入れば、名づけて道を得と謂う。 道を得たりと名づくと雖も、実には得る所無し。 衆生を化せんが為に、名づけて道を得と謂う。 能く之を悟る者は、聖道を伝うべし。
現代語訳
真の静けさは、物ごとに応じて動き、真の常なるものは、本来の性を得ています。 常に物に応じながら、常に静かであれば、それがいつも清く静かな状態です。 このように清く静かであれば、しだいに真の道に入っていきます。 真の道に入れば、道を得たと呼びます。 道を得たと呼んでも、実際には何も得たものはありません。 人々を教え導くために、道を得たと名づけているのです。 これを悟った者は、聖なる道を伝えることができます。
解説
静けさは動かないことではなく、物ごとに応じながらも静かでいることだ、と説きます。世の中と関わりながら、心の中心は乱されない状態です。さらに面白いのは、道を得たと名乗ったとしても実際には何も得ていない、と述べる点です。得たという誇りがあれば、それはすでに執着になってしまいます。経営者や管理職も、実績を積むほどに、自分は分かっているという感覚に囚われがちです。得たものを握りしめず、謙虚に人を導く姿勢の大切さが伝わる章句です。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
真静応物常清静真道得道無所得
関連する章句
-
清静経・大道と名老君曰く、大道は形無く、天地を生育す。 大道は情無く、日月を運行す。 大道は名無く、万物を長養す。 吾、其の名を知らず、強いて名づけて道と曰う。
-
清静経・清濁動靜夫れ道なる者は、清有り濁有り、動有り静有り。 天は清く地は濁り、天は動き地は静かなり。 男は清く女は濁り、男は動き女は静かなり。 本より降りて末に流れ、万物を生ず。 清は濁の源、静は動の基。 人能く常に清静ならば、天地悉く皆帰す。
-
清静経・三つの観と真静能く之を遣る者は、内に其の心を観れば、心に其の心無し。 外に其の形を観れば、形に其の形無し。 遠く其の物を観れば、物に其の物無し。 三者既に悟れば、唯だ空を見る。 空を観ることも亦た空、空に空とする所無し。 空とする所既に無ければ、無無も亦た無し。 無無既に無ければ、湛然として常に寂なり。 寂に寂とする所無し、慾豈に能く生ぜんや。 慾既に生ぜざれば、即ち是れ真静なり。
-
文子・道原老子曰く、道を執りて以て民を御する者は、事来たれば之に循い、物動けば之に因る。万物の化応ぜざる無く、百事の変耦わざる無し。故に道とは、虚無、平易、清静、柔弱、純粋素樸なり。此の五者は、道の形象なり。虚無とは道の舎なり。平易とは道の素なり。清静とは道の鑑なり。柔弱とは道の用なり。反は道の常なり。柔は道の剛なり。弱は道の強なり。純粋素樸とは道の幹なり。虚とは中に載する無きなり。平とは心に累い無きなり。嗜欲載せざるは、虚の至りなり。好憎する所無きは、平の至りなり。一にして変ぜざるは、静の至りなり。物と雑ざらざるは、粋の至りなり。憂えず楽しまざるは、徳の至りなり。夫れ至人の治や、其の聡明を棄て、其の文章を滅し、道に依りて智を廃し、民と与に公に出ず。其の守る所を約にし、其の求むる所を寡くし、其の誘慕を去り、其の貴欲を除き、其の思慮を捐つ。其の守る所を約にすれば即ち察し、其の求むる所を寡くすれば即ち得。故に中を以て外を制し、百事廃れず。中にして之を得れば、外にして之を牧う。中の得るや、五蔵寧く、思慮平らかに、筋骨勁強にして、耳目聡明なり。大道は坦坦として、身を去ること遠からず。之を求むること遠き者は、往きて復た返る。
-
文子・道原老子曰く、夫れ事生ずれば応変して動き、変は時に生ず。時を知る者は常の行無し。故に「道の道とす可きは常の道に非ず、名の名とす可きは常の名に非ず」。書は言の生ずる所、言は智より出で、智者は知らず。常の道に非ざるなり。名の名とす可きは、書を蔵する者に非ず。「多聞は数しば窮す、中を守るに如かず」、「学を絶てば憂い無し」、「聖を絶ち智を棄つれば、民の利百倍す」。人生まれて静かなるは、天の性なり。物に感じて動くは、性の害なり。物至りて応ずるは、智の動なり。智、物と接して、好憎生ず。好憎形を成して、智外に怵れ、己に反る能わずして、天理滅ぶ。是の故に聖人は人を以て天に易えず、外は物と化して内は情を夫わず。故に道に通ずる者は、清静に反り、物に空しき者は、無為に終わる。恬を以て智を養い、漠を以て神に合し、無垠に即き、天に循う者は道と遊び、人に随う者は俗と交わる。故に聖人は事を以て天を滑さず、欲を以て情を乱さず、謀らずして当たり、言わずして信あり、慮らずして得、為さずして成る。是を以て上に処りて民重しとせず、前に居て人害せず、天下之に帰し、姦邪之を畏る。其の物に争う無きを以てなり。故に敢えて之と争う莫し。
-
清静経・妄心と煩悩衆生の真道を得ざる所以は、妄心有るが為なり。 既に妄心有れば、即ち其の神を驚かす。 既に其の神を驚かせば、即ち万物に著す。 既に万物に著すれば、即ち貪求を生ず。 既に貪求を生ずれば、即ち是れ煩悩なり。 煩悩妄想は、身心を憂苦せしむ。 便ち濁辱に遭い、生死に流浪し、常に苦海に沈み、永く真道を失う。 真常の道は、悟る者自ずから得。 道を悟るを得る者は、常に清静なり。