省諐録 / 第48条
海防之要。在礮與艦。而礮最居首。魏氏海國圖識中。輯銃礮之說。類皆粗漏無稽。如兒童戲嬉之爲。凡事不自爲之。而能得其要領者無之。以魏之才識。而是之不察。當今之世。身無礮學。貽此謬妄。反誤後生。吾爲魏深惜之。
新字:海防之要。在礮与艦。而礮最居首。魏氏海国図識中。輯銃礮之説。類皆粗漏無稽。如児童戯嬉之為。凡事不自為之。而能得其要領者無之。以魏之才識。而是之不察。当今之世。身無礮学。貽此謬妄。反誤後生。吾為魏深惜之。
書き下し
海防の要は、礮と艦とに在り、而して礮最も首に居る。魏氏の海国図識の中、銃礮の説を輯むるも、類ね皆粗漏にして無稽、児童の戯嬉の為すが如し。凡そ事は自ら之を為さずして、能く其の要領を得る者は無し。魏の才識を以てして、是れを察せず。当今の世、身に礮学無く、此の謬妄を貽し、反って後生を誤らしむ。吾魏の為に深く惜しむ。
現代語訳
海防の要は砲と艦にあり、なかでも砲が第一です。魏氏の『海国図識』の中には、銃砲の説を集めたところがありますが、おおむね粗くて根拠がなく、子どもの遊びのようなものです。およそ物事は、自分でやってみないで、その要領をつかめる者はいません。魏ほどの才識がありながら、これに気づかなかったのです。今の世では、自身に砲学がなく、この誤りと妄説を残して、かえって後に学ぶ者を誤らせてしまいます。私は魏のために深く惜しみます。
解説
象山はここで、海防の要は砲と艦にあり、なかでも砲が第一だと言い切ります。そのうえで魏の『海国図識』に集められた銃砲の説は粗くて根拠が乏しく、子どもの遊びのようだと厳しく評します。理由は、自分で手を動かさずに要点をつかむ者はいない、という一点です。才識のある人でも、身をもって学んでいない分野では、誤りを後の人に伝えてしまうと惜しむ口ぶりでもあります。先に「海外の同志」と呼んだ相手への辛口の評で、尊敬と批判が両立しています。経験のない分野で報告書や提言を書くときの危うさを、今の管理職や経営者に突きつける一条です。
この章句が説くこと
海国図識銃礮実地経験批判省諐録
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