省諐録 / 第47条
馭夷俗者。莫如先知夷情。知夷情者。莫如先通夷語。故通夷語者。不惟爲知彼之楷梯。亦是馭彼之先務也。予竊深念。頃年諸蕃託事。屢寄舶於相房閒。其情固爲難測。因有纂輯皇國同文鑑若干卷。以通歐羅諸國語之志。而荷蘭久爲互市之國。邦人亦多知讀其國書。故欲先刊荷蘭部。先是官有命。凡刊行書籍。必經官看詳。迺嘉永己酉冬。來江都。呈稿本。以請。遷延彌年。卒不得允。其在江都日。始獲魏氏之書而讀之。亦欲內地設學。專譯夷書夷史。瞭悉敵情。以補於駕馭。是又其見之與予相符者。第不識彼國今日能用其言否耳。
新字:馭夷俗者。莫如先知夷情。知夷情者。莫如先通夷語。故通夷語者。不惟為知彼之楷梯。亦是馭彼之先務也。予窃深念。頃年諸蕃託事。屡寄舶於相房閒。其情固為難測。因有纂輯皇国同文鑑若干巻。以通欧羅諸国語之志。而荷蘭久為互市之国。邦人亦多知読其国書。故欲先刊荷蘭部。先是官有命。凡刊行書籍。必経官看詳。迺嘉永己酉冬。来江都。呈稿本。以請。遷延弥年。卒不得允。其在江都日。始獲魏氏之書而読之。亦欲内地設学。専訳夷書夷史。瞭悉敵情。以補於駕馭。是又其見之与予相符者。第不識彼国今日能用其言否耳。
書き下し
夷俗を馭する者は、先づ夷情を知るに如くは莫し。夷情を知る者は、先づ夷語に通ずるに如くは莫し。故に夷語に通ずる者は、惟だ彼を知るの楷梯と為るのみならず、亦た是れ彼を馭するの先務なり。予竊かに深く念ふ。頃年諸蕃事に託して、屢しば舶を相房の閒に寄す。其の情固より測り難しと為す。因りて皇国同文鑑若干巻を纂輯し、以て欧羅諸国の語に通ずるの志有り。而して荷蘭は久しく互市の国と為り、邦人も亦た多く其の国書を読むを知る。故に先づ荷蘭部を刊せんと欲す。先に是れ官に命有り、凡そ刊行の書籍は、必ず官の看詳を経よと。迺ち嘉永己酉の冬、江都に来たり、稿本を呈し、以て請ふ。遷延して年を弥り、卒に允されず。其の江都に在りし日、始めて魏氏の書を獲て之を読む。亦た内地に学を設け、専ら夷書夷史を訳し、敵情を瞭悉して、以て駕馭を補はんと欲す。是れ又其の見の予と相符する者なり。第だ彼の国今日能く其の言を用ふるや否やを識らざるのみ。
現代語訳
外国の風俗を御するには、まず外国の事情を知るのが第一です。事情を知るには、まず外国の言葉に通じるのが第一です。ですから外国語に通じることは、相手を知る階段となるだけでなく、相手を御するための先決の務めでもあります。私はひそかに深く思います。近年、諸蕃が事に託して、たびたび船を相房の間に寄せています。その内情はもとより測りがたいものです。そこで『皇国同文鑑』若干巻を編集し、欧羅諸国の言葉に通じようと志しました。荷蘭は長く交易の国であり、わが国の人もその国の書を読むことを知る者が多くいます。そのため、まず荷蘭の部を刊行したいと考えました。これより先、役所からは、刊行する書籍は必ず役所の検閲を経るようにとの命がありました。そこで嘉永己酉の冬、江戸に来て稿本を差し出して願い出ました。しかし引き延ばされて年を越し、ついに許されませんでした。江戸にいた日々に、はじめて魏氏の書を手に入れて読みました。魏氏もまた、国内に学問の場を設け、もっぱら外国の書や史書を翻訳して、敵情をつぶさに知り、御する働きを補いたいとしています。これもまた、私の見解と合うところです。ただ、その国で今日、その言葉が用いられているかどうかは知りません。
解説
この章句が説くこと
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