省諐録 / 第24条
日晷一移。千載無再來之今。形神既離。萬古無再生之我。學藝事業。豈可悠悠。
新字:日晷一移。千載無再来之今。形神既離。万古無再生之我。学芸事業。豈可悠悠。
書き下し
日晷一たび移れば、千載再び來たるの今無し。形神既に離るれば、萬古再び生ずるの我無し。學藝事業、豈に悠悠たるべけんや。
現代語訳
日時計の影がひとたび動けば、千年たっても二度とめぐってこない「今」が過ぎてしまいます。身体と心がいったん離れてしまえば、万古のあいだ二度と生まれてこない「私」はもういません。学問や芸、事業に取り組むのに、のんびり構えていてよいものでしょうか。
解説
日時計の影がひとたび動けば二度と来ない今が過ぎる、という時間の一回性を述べた短い一条です。後半では、身体と心が離れれば二度と同じ自分は生まれないと、命の有限さへ話を進めます。そのうえで、学問も芸も事業も、悠々と構えていてよいはずがないと自分に問い返しています。獄中で省みたことを記すという書の性格が、この切迫した語り口に表れているのでしょう。現代の仕事でも、いつかやろうと先送りにしている勉強や着手を渋っている案件は少なくありません。今日という日は戻らないと数え直してみると、後回しにしている事柄の優先順位を見直す手がかりになります。
この章句が説くこと
時間今命先送り学芸事業省諐録
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