省諐録 / 第22・23条
敏一字。是爲學之法。而爲治之要。亦莫若焉。天下可學可爲之務。如此其廣。如彼其大。故學與治。皆不可以不敏。彼終身于學。而空疏無用。終身于官。而因仍無功者。坐其勤力不敏。十常八九。孔子之聖。猶且發憤忘食。敏以求之。何況吾輩。
新字:敏一字。是為学之法。而為治之要。亦莫若焉。天下可学可為之務。如此其広。如彼其大。故学与治。皆不可以不敏。彼終身于学。而空疏無用。終身于官。而因仍無功者。坐其勤力不敏。十常八九。孔子之聖。猶且発憤忘食。敏以求之。何況吾輩。
書き下し
敏の一字は、是れ學を爲すの法にして、治を爲すの要も、亦之に若く莫し。天下の學ぶべく爲すべきの務め、此くの如く其れ廣く、彼くの如く其れ大なり。故に學と治は、皆以て敏ならざるべからず。彼の終身學に于いて、空疏にして用無く、終身官に于いて、因仍して功無き者は、其の勤力の敏ならざるに坐すること、十に常に八九なり。孔子の聖すら、猶ほ且つ發憤して食を忘れ、敏にして以て之を求む。何ぞ況んや吾輩をや。
現代語訳
「敏」の一字は、学問をするための方法であり、政治を行ううえでの要も、これに及ぶものはありません。天下の学ぶべきこと、なすべき務めは、これほど広く、あれほど大きいのです。だから、学ぶことも治めることも、いずれも敏でなければなりません。生涯学問に携わっても、空疎で役に立たない者や、生涯官職にあって旧習をそのまま踏襲し、功のない者は、その励み方が敏でないことに原因があり、十のうち常に八、九に及びます。孔子ほどの聖人でさえ、なお発憤して食事を忘れ、敏にして学びを求めました。まして私たちはなおさらです。
解説
「敏」の一字が、学問の方法であり政治の要でもあると述べる条です。天下の学ぶべき・なすべき務めは広く大きいので、学ぶにも治めるにも敏でなければならないと言います。生涯学んでも空疎で役に立たない者や、生涯官にいて旧習のままで功がない者は、十のうち八、九が勤力の敏でないことが原因だとします。孔子ほどの聖人でさえ発憤して食を忘れたのだから、自分たちは言うまでもない、と結びます。ここでの敏は、せわしなさではなく、すばやく取り組む機敏さと読めます。現代でも、検討を重ねて動かない、前例踏襲が続くといったことは少なくありません。まず小さく動いて確かめる機敏さは、学びにも組織運営にも効く、という指摘です。
この章句が説くこと
敏機敏学と治前例踏襲発憤省諐録
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