省諐録 / 第2条
有人於此。憂君父之疾病。而求之藥。幸而得之。且知其必有效也。則不問其品之貴賤。名之美惡。必請之於君父矣。君父惡其名而不許。則多方謀之。竊有進之乎。抑亦坐而俟其啓手足歟。臣子至誠惻怛之情。固不可坐視其病患。則雖知後逢其怒。亦豈得不竊進之哉。
新字:有人於此。憂君父之疾病。而求之薬。幸而得之。且知其必有効也。則不問其品之貴賤。名之美悪。必請之於君父矣。君父悪其名而不許。則多方謀之。窃有進之乎。抑亦坐而俟其啓手足歟。臣子至誠惻怛之情。固不可坐視其病患。則雖知後逢其怒。亦豈得不窃進之哉。
書き下し
人此に有り。君父の疾病を憂へて、之を藥に求む。幸にして之を得、且つ其の必ず效有るを知る。則ち其の品の貴賤、名の美惡を問はず、必ず之を君父に請はん。君父其の名を惡みて許さず。則ち多方に之を謀り、竊かに之を進むること有らんか。抑も亦坐して其の手足を啓くを俟たんか。臣子至誠惻怛の情、固より其の病患を坐視すべからず。則ち後に其の怒りに逢ふを知ると雖も、亦豈竊かに進めざるを得んや。
現代語訳
ここに一人の人がいるとします。君や父の病を憂えて、薬を探し求めました。幸いにそれを手に入れ、必ず効くことも分かりました。そうなれば、その品が高いか安いか、名がよいか悪いかを問わず、きっと君や父に願い出るでしょう。ところが君や父がその名を嫌って許さなかったら、あれこれと手立てを考え、こっそり差し上げるでしょうか。それとも、ただ座して最期を待つのでしょうか。臣下や子の、真心から痛み悲しむ気持ちからすれば、病に苦しむのを座視することはできません。あとで怒りに触れると分かっていても、どうしてこっそり差し上げずにいられるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』離婁下 第四章十一月十一日。去徙は皆其の国を去りて他国に徙るを云ふ。是れ游仕の人に就いて云ふ。世禄の士、国と休戚を同じうする者の如きは、豈に禍を免れて自ら其の智に誇ることを得んや。人臣たる者、時の不淑に遇ひて諫諍死を致す、固より正義なり、何ぞ遽かに去徙することを得んや。然れども諫め行はれず言聴かれず、君子の道消し小人の道長じたらんには、官を辞し身を退き、一身の覚悟を全うし、緩急のみ用に立たんことを計るも、亦是れ一義にして即ち去徙の意なり。
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