政談 / 學問の事
大名參勤などの節、御側衆若年寄の內にて學問ある人を御使にて、其の在所のことなど政務の筋又は名所古跡のことなど御尋ね之あり、又は一年に一度ほどづゝも御城にて詩の御會にても有るやうに仕たきことなり、昔二條行寺の時歌の御會も之あり、又毎年御城にて御嘉例にて連歌の御會も之あることなればあるまじき筋にもあらず、諸大名御旗本の內にて出座仰付られ、御料理にても下され、管絃にても跡にて仰付られば、御代の飾りにもなるべし、詩などは無益の筋の樣に理學者の云ふによりて、白人は實にと思ふべけれども、文學を取なやまねは詩は作られぬ物なり、文學を取なやめは自から詩書も歷史も見ることなる故なり、故に日本の古四道の儒者を立たるにも、詩文章の學問を經學よりは上に置きたること也、御先々前御代に學問をさばかり御好み遊ばされ、之によりて學問もはやるやうになりしかども、講釋に重もにして、詩文章はやらさる故、文學の取なやみなきによりて何の益もなし、夫より御家の儒者も皆不學に成たることなれば、詩の御會など有らんは御先々前御代の御講釋より遙かに勝るべし、
新字:大名参勤などの節、御側衆若年寄の内にて学問ある人を御使にて、其の在所のことなど政務の筋又は名所古跡のことなど御尋ね之あり、又は一年に一度ほどづゝも御城にて詩の御会にても有るやうに仕たきことなり、昔二条行寺の時歌の御会も之あり、又毎年御城にて御嘉例にて連歌の御会も之あることなればあるまじき筋にもあらず、諸大名御旗本の内にて出座仰付られ、御料理にても下され、管絃にても跡にて仰付られば、御代の飾りにもなるべし、詩などは無益の筋の様に理学者の云ふによりて、白人は実にと思ふべけれども、文学を取なやまねは詩は作られぬ物なり、文学を取なやめは自から詩書も歴史も見ることなる故なり、故に日本の古四道の儒者を立たるにも、詩文章の学問を経学よりは上に置きたること也、御先々前御代に学問をさばかり御好み遊ばされ、之によりて学問もはやるやうになりしかども、講釈に重もにして、詩文章はやらさる故、文学の取なやみなきによりて何の益もなし、夫より御家の儒者も皆不学に成たることなれば、詩の御会など有らんは御先々前御代の御講釈より遥かに勝るべし、
書き下し
大名参勤などの節、御側衆若年寄の内にて学問ある人を御使にて、其の在所のことなど政務の筋又は名所古跡のことなど御尋ね之あり、又は一年に一度ほどづゝも御城にて詩の御会にても有るやうに仕たきことなり、昔二条行寺の時歌の御会も之あり、又毎年御城にて御嘉例にて連歌の御会も之あることなればあるまじき筋にもあらず、諸大名御旗本の内にて出座仰付られ、御料理にても下され、管絃にても跡にて仰付られば、御代の飾りにもなるべし、詩などは無益の筋の様に理学者の云ふによりて、白人は実にと思ふべけれども、文学を取なやまねは詩は作られぬ物なり、文学を取なやめは自から詩書も歴史も見ることなる故なり、故に日本の古四道の儒者を立たるにも、詩文章の学問を経学よりは上に置きたること也、御先々前御代に学問をさばかり御好み遊ばされ、之によりて学問もはやるやうになりしかども、講釈に重もにして、詩文章はやらさる故、文学の取なやみなきによりて何の益もなし、夫より御家の儒者も皆不学に成たることなれば、詩の御会など有らんは御先々前御代の御講釈より遥かに勝るべし、
現代語訳
大名の参勤などの折に、御側衆・若年寄の中で学問のある人を御使いとして、その在所のことなど政務の筋、または名所旧跡のことなどをお尋ねになり、または一年に一度ほども御城で詩の御会でもあるようにしたいものである。昔、二条行幸(原文「行寺」)の時に歌の御会もあり、また毎年御城で御嘉例として連歌の御会もあることなのだから、ありえない筋でもない。諸大名・御旗本の中から出座を仰せ付けられ、御料理でも下され、後で管絃でも仰せ付けられれば、御代の飾りにもなるだろう。詩などは無益の筋のように理学者(朱子学者)が言うので、素人はまことにそうだと思うだろうが、文学に苦心しなければ詩は作れないものである。文学に苦心すれば、おのずから詩書も歴史も見ることになるからである。ゆえに日本の古に四道の儒者を立てたときも、詩文章の学問を経学よりは上に置いたのである。先々前の御代に学問をあれほどお好みになり、これによって学問も流行るようになったけれども、講釈が主で詩文章は流行らなかったので、文学の苦心がなく、何の益もなかった。それより御家の儒者も皆不学になったのだから、詩の御会などがあれば、先々前の御代の御講釈よりはるかに勝るだろう。
解説
この章句が説くこと
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