政談 / 學問の事
當時も書札の禮法を定めて、庭訓位の文をなりとも用ひ、又は御役替御加增の節、綸旨位記なとの心もちにかきものを添られ、その文言學問なき人は讀めぬやうに拵へ、又は御政務などの留帳を眞字にて認め、又は公事判斷の書付に律の詞をも用ひなどせは、自から學問せすして成まじきなり、惣して日記などを假名にて書く故先例をくるとき急に見分けられぬことにて、當時は何そ先例をくるときに、日記は急の用にたゝず、是によりて其のことを勤めたる人の元へ尋ねに遣はすこと當時の風也、日記を眞字にて認るとき第一眞の文章は短くてこと濟み、其の上眞文字は文字に目角つくものなる故、何程大分の日記にても即時にくらるゝ德有り、公事判斷にも律の詞を用ひざる故、罪の名を付ぬによりて判斷の筋にもまがい有りと見えたり、されば、右の如くすることは人に學問をさすべき爲め許りにあらず、大に益あること也、兎角學問なくては、公邊の勤めに差支ることあるやうに立置くときは、人は我慢なるものにて學問をは上の御催促なくともすべきなり、
新字:当時も書札の礼法を定めて、庭訓位の文をなりとも用ひ、又は御役替御加增の節、綸旨位記なとの心もちにかきものを添られ、その文言学問なき人は読めぬやうに拵へ、又は御政務などの留帳を真字にて認め、又は公事判断の書付に律の詞をも用ひなどせは、自から学問せすして成まじきなり、惣して日記などを仮名にて書く故先例をくるとき急に見分けられぬことにて、当時は何そ先例をくるときに、日記は急の用にたゝず、是によりて其のことを勤めたる人の元へ尋ねに遣はすこと当時の風也、日記を真字にて認るとき第一真の文章は短くてこと済み、其の上真文字は文字に目角つくものなる故、何程大分の日記にても即時にくらるゝ徳有り、公事判断にも律の詞を用ひざる故、罪の名を付ぬによりて判断の筋にもまがい有りと見えたり、されば、右の如くすることは人に学問をさすべき為め許りにあらず、大に益あること也、兎角学問なくては、公辺の勤めに差支ることあるやうに立置くときは、人は我慢なるものにて学問をは上の御催促なくともすべきなり、
書き下し
当時も書札の礼法を定めて、庭訓位の文をなりとも用ひ、又は御役替御加增の節、綸旨位記なとの心もちにかきものを添られ、その文言学問なき人は読めぬやうに拵へ、又は御政務などの留帳を真字にて認め、又は公事判断の書付に律の詞をも用ひなどせは、自から学問せすして成まじきなり、惣して日記などを仮名にて書く故先例をくるとき急に見分けられぬことにて、当時は何そ先例をくるときに、日記は急の用にたゝず、是によりて其のことを勤めたる人の元へ尋ねに遣はすこと当時の風也、日記を真字にて認るとき第一真の文章は短くてこと済み、其の上真文字は文字に目角つくものなる故、何程大分の日記にても即時にくらるゝ徳有り、公事判断にも律の詞を用ひざる故、罪の名を付ぬによりて判断の筋にもまがい有りと見えたり、されば、右の如くすることは人に学問をさすべき為め許りにあらず、大に益あること也、兎角学問なくては、公辺の勤めに差支ることあるやうに立置くときは、人は我慢なるものにて学問をは上の御催促なくともすべきなり、
現代語訳
今も書札の礼法を定めて、『庭訓往来』程度の文でも用い、また御役替え・御加増の際には綸旨・位記などのつもりで書き物を添えられ、その文言は学問のない人には読めないように拵え、また御政務などの留帳(記録)を真字(漢文)で認め、また公事判断の書付に律の言葉をも用いなどすれば、おのずから学問をしないではいられなくなるだろう。総じて日記などを仮名で書くので、先例を繰るときに急には見分けられず、今は何か先例を繰るとき日記は急の用に立たない。そのため、そのことを勤めた人のもとへ尋ねに遣わすのが今の風である。日記を真字で認めるときは、第一に漢文は短くて事が済み、そのうえ漢字は文字に目が留まるものなので、どれほど大部の日記でもすぐに繰ることができるという利点がある。公事判断にも律の言葉を用いないので、罪の名を付けないから、判断の筋にも紛れがあると見える。だから右のようにすることは、人に学問をさせるためばかりではなく、大いに益のあることである。とにかく学問がなくては公の勤めに差し支えがあるように仕組みを立てておけば、人は負けず嫌いなものなので、学問は上の御催促がなくてもするはずである。
解説
この章句が説くこと
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『政談』戶籍の事当時も紀州水戸にては人かへしあり、肥前なとにては出家にても他国へゆき十年かへらねは親類みな刑せらると承はる、薩摩其外九州は多くは国中の民を外へは出たさす、当時これある例なれは地頭の威勢を以て呼ひかへさんにはたやすくなるへきことなり、当時諸国の民耕作を厭ひ、米の飯を喜ひ、百姓を棄て商人になる故に衰微したる村々多きこと度々承ることなり、されは地頭のためにも実は甚だよきことなれとも、いつれも文盲なる故この合点行かす、世界は斯の如く成り下りたるなり、
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人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
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論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
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言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
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