政談 / 戶籍の事
當時も紀州水戶にては人かへしあり、肥前なとにては出家にても他國へゆき十年かへらねは親類みな刑せらると承はる、薩摩其外九州は多くは國中の民を外へは出たさす、當時これある例なれは地頭の威勢を以て呼ひかへさんにはたやすくなるへきことなり、當時諸國の民耕作を厭ひ、米の飯を喜ひ、百姓を棄て商人になる故に衰微したる村々多きこと度々承ることなり、されは地頭のためにも實は甚だよきことなれとも、いつれも文盲なる故この合點行かす、世界は斯の如く成り下りたるなり、
新字:当時も紀州水戸にては人かへしあり、肥前なとにては出家にても他国へゆき十年かへらねは親類みな刑せらると承はる、薩摩其外九州は多くは国中の民を外へは出たさす、当時これある例なれは地頭の威勢を以て呼ひかへさんにはたやすくなるへきことなり、当時諸国の民耕作を厭ひ、米の飯を喜ひ、百姓を棄て商人になる故に衰微したる村々多きこと度々承ることなり、されは地頭のためにも実は甚だよきことなれとも、いつれも文盲なる故この合点行かす、世界は斯の如く成り下りたるなり、
書き下し
当時も紀州水戸にては人かへしあり、肥前なとにては出家にても他国へゆき十年かへらねは親類みな刑せらると承はる、薩摩其外九州は多くは国中の民を外へは出たさす、当時これある例なれは地頭の威勢を以て呼ひかへさんにはたやすくなるへきことなり、当時諸国の民耕作を厭ひ、米の飯を喜ひ、百姓を棄て商人になる故に衰微したる村々多きこと度々承ることなり、されは地頭のためにも実は甚だよきことなれとも、いつれも文盲なる故この合点行かす、世界は斯の如く成り下りたるなり、
現代語訳
今も紀州・水戸では人返しがある。肥前などでは、出家であっても他国へ行って十年帰らなければ、親類がみな刑せられると聞いている。薩摩そのほか九州は、多くは国中の民を外へは出さない。今このような例があるのだから、地頭の威勢によって呼び返そうとすれば、たやすくできることである。今、諸国の民が耕作を嫌い、米の飯を喜び、百姓を捨てて商人になるので、衰微した村々が多いことは、度々聞いていることである。だから地頭のためにも実ははなはだよいことであるが、いずれも文盲(学問がない)なので、このことが合点がいかず、世の中はこのように成り下がったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『政談』學問の事当時も書札の礼法を定めて、庭訓位の文をなりとも用ひ、又は御役替御加增の節、綸旨位記なとの心もちにかきものを添られ、その文言学問なき人は読めぬやうに拵へ、又は御政務などの留帳を真字にて認め、又は公事判断の書付に律の詞をも用ひなどせは、自から学問せすして成まじきなり、惣して日記などを仮名にて書く故先例をくるとき急に見分けられぬことにて、当時は何そ先例をくるときに、日記は急の用にたゝず、是によりて其のことを勤めたる人の元へ尋ねに遣はすこと当時の風也、日記を真字にて認るとき第一真の文章は短くてこと済み、其の上真文字は文字に目角つくものなる故、何程大分の日記にても即時にくらるゝ徳有り、公事判断にも律の詞を用ひざる故、罪の名を付ぬによりて判断の筋にもまがい有りと見えたり、されば、右の如くすることは人に学問をさすべき為め許りにあらず、大に益あること也、兎角学問なくては、公辺の勤めに差支ることあるやうに立置くときは、人は我慢なるものにて学問をは上の御催促なくともすべきなり、
-
『春秋左氏伝』昭公十三年 奥主有り、外援無し善に下りて齊肅、賄を藏せず、欲に從はず、施舍して倦まず、善を求めて厭かず。是を以って國を有つ、亦た宜ならずや。我が先君文公は、狐季姬の子なり。獻に寵有り。學を好みて貳はず。生まれて十七年、士五人有り。先大夫子餘・子犯有りて、以って腹心と為す。魏犨・賈佗有りて、以って股肱と為す。齊・宋・秦・楚有りて、以って外主と為す。欒・郤・狐・先有りて、以って内主と為す。亡ぐること十九年、志を守ること彌々篤し。惠・懷民を棄て、民從ひて之に與す。獻に異親無く、民に異望無し。天方に晉を相く。將た何を以ってか文に代へん。此の二君は、子干に異なり。共には寵子有り、國には奧主有り。民に施す無く、外に援無し。晉を去れども送らず、楚に歸れども逆へず。何を以ってか國を冀はん」と。晉虒祁を成す。諸侯の朝して歸る者、皆貳心有り。郠を取るが為の故に、晉將に諸侯を以って來り討たんとす。叔向曰く、「諸侯以って威を示さざる可からず」と。乃ち並びに會を徵して吳に告ぐ。
-
『甲陽軍鑑』品第四十七其後仰出しには、彼落合彥助事曲淵に年こそおとりたりとも、武辺の事さのみおとる者にてなし、さるについて逍遥軒にとらせ候所に、曲淵が蔵前にて奉行どもに雑言の事赦免せしめてありとて、いつもさやう有べきと存、事下より上をはからふたる様子言語同断、口惜く思召し候、其上第一に彼彥助をあれほどの臆病者にて有べしとは御存知なし、
-
『政談』諸役人職分支配を分つ事譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
-
『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
-
『墨子』耕柱公孟子曰く、「先人に則有り、三のみ」と。子墨子曰く、「孰れか先人にして則有ること三のみと曰わん。子は未だ人の先に有りて後に生ずるを知らざるなり」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る