政談 / 學問の事
儒者ともの手前に書生多く集り居るときは、自から學問も怠り之なきものなり、近所の御旗本へも望次第弟子どもを指南に遣はし、又近所なればあの方よりも稽古に參りよかるへし、又當時官板などをもひたもの仰付らるれとも、板の納め所なき故町人の物入りにて仕立て、町人の利倍になり官板と云ふ名も實に叶はぬなり、異國にても監本と云ことありて學校に板を納め置き、夫を摺りて賣らせ、學校の物入の料にすることあり、官板に仰付らるべき書籍は上より金を御貸し成されて板をほらせ其の板を右の稽古所に差置き、書籍をすらせて賣らせは二三年の內に拜借の金も返納なるべし、末々稽古所の修理、書生の差置き所も、上の御世話なく出來し、自然と學校のやうになることもその儒者の器量次第なるべきことなり、
新字:儒者ともの手前に書生多く集り居るときは、自から学問も怠り之なきものなり、近所の御旗本へも望次第弟子どもを指南に遣はし、又近所なればあの方よりも稽古に参りよかるへし、又当時官板などをもひたもの仰付らるれとも、板の納め所なき故町人の物入りにて仕立て、町人の利倍になり官板と云ふ名も実に叶はぬなり、異国にても監本と云ことありて学校に板を納め置き、夫を摺りて売らせ、学校の物入の料にすることあり、官板に仰付らるべき書籍は上より金を御貸し成されて板をほらせ其の板を右の稽古所に差置き、書籍をすらせて売らせは二三年の内に拝借の金も返納なるべし、末々稽古所の修理、書生の差置き所も、上の御世話なく出来し、自然と学校のやうになることもその儒者の器量次第なるべきことなり、
書き下し
儒者ともの手前に書生多く集り居るときは、自から学問も怠り之なきものなり、近所の御旗本へも望次第弟子どもを指南に遣はし、又近所なればあの方よりも稽古に参りよかるへし、又当時官板などをもひたもの仰付らるれとも、板の納め所なき故町人の物入りにて仕立て、町人の利倍になり官板と云ふ名も実に叶はぬなり、異国にても監本と云ことありて学校に板を納め置き、夫を摺りて売らせ、学校の物入の料にすることあり、官板に仰付らるべき書籍は上より金を御貸し成されて板をほらせ其の板を右の稽古所に差置き、書籍をすらせて売らせは二三年の内に拝借の金も返納なるべし、末々稽古所の修理、書生の差置き所も、上の御世話なく出来し、自然と学校のやうになることもその儒者の器量次第なるべきことなり、
現代語訳
儒者たちのもとに書生が多く集まっているときは、おのずから学問も怠ることがないものである。近所の御旗本へも望みしだいに弟子たちを指南に遣わし、また近所であれば、あちらからも稽古に通いやすいだろう。また今、官板(幕府の出版)なども盛んに仰せ付けられているが、板木の納め所がないので、町人の物入りで仕立て、町人の利益になって、官板という名も実に合わない。異国にも監本ということがあって、学校に板木を納めておき、それを摺って売らせ、学校の費用に充てることがある。官板に仰せ付けられるべき書籍は、上から金をお貸しになって板木を彫らせ、その板木を右の稽古所に置き、書籍を摺らせて売らせれば、二、三年のうちに拝借の金も返納できるだろう。末々は稽古所の修理や書生の置き場所も上のお世話なしにでき、自然と学校のようになることも、その儒者の器量次第であろう。
解説
この章句が説くこと
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