政談 / 學校の內武藝の稽古所を立る事
軍法並に弓馬鎗劔術等の武藝も六藝より出たることにて、古今の差別和漢の相違を知らざれは其の道明かならず、古今和漢を知ることは學問によらざれば知れぬことなり、されば備前長門などの仕形の如く、學校の內に武藝の稽古所を立てゝ稽古さすべきこと也、當時儒者は武藝に疎く、武藝者は學問に心付ざること宜からざること也、
新字:軍法並に弓馬鎗剣術等の武芸も六芸より出たることにて、古今の差別和漢の相違を知らざれは其の道明かならず、古今和漢を知ることは学問によらざれば知れぬことなり、されば備前長門などの仕形の如く、学校の内に武芸の稽古所を立てゝ稽古さすべきこと也、当時儒者は武芸に疎く、武芸者は学問に心付ざること宜からざること也、
書き下し
軍法並に弓馬鎗剣術等の武芸も六芸より出たることにて、古今の差別和漢の相違を知らざれは其の道明かならず、古今和漢を知ることは学問によらざれば知れぬことなり、されば備前長門などの仕形の如く、学校の内に武芸の稽古所を立てゝ稽古さすべきこと也、当時儒者は武芸に疎く、武芸者は学問に心付ざること宜からざること也、
現代語訳
軍法ならびに弓馬・槍・剣術などの武芸も六芸から出たものであって、古今の差別、和漢の相違を知らなければ、その道は明らかにならない。古今和漢を知ることは学問によらなければ知れないことである。だから備前・長門などのやり方のように、学校の中に武芸の稽古所を立てて稽古させるべきである。今、儒者は武芸に疎く、武芸者は学問に心づかないのは、よろしくないことである。
解説
武芸もまた古代の六芸、すなわち礼・楽・射・御・書・数から出たものであり、古今和漢の違いを学問で知らなければ、その道は明らかにならないと徂徠はいう。だから備前や長門の藩のように、学校の中に武芸の稽古所を置けと説く。儒者は武芸に疎く、武芸者は学問を顧みないという分断を、教育の場を一つにすることで埋めようとするのである。現代でも、実務の訓練と理論の教育が別々に行われ、互いを軽んじる風がある。技能と教養を同じ場で学ばせることが、専門職を厚く育てる道である。
この章句が説くこと
学校武芸六芸学問教育政談
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