導師導古典を学びたいすべての人に

政談 / 鰥寡孤獨の事

鰥寡孤獨のものには御扶持を下さるべきこと也、是は畢竟年七十に餘りたるものゝ誰も養ふ人なきを云ふなり、田舍などにては二三百石の村にも一兩人ならでは之なきことなり、江戶は旅ものゝ心の儘に集まることに成たれば、箇樣の人多かるべし、一卷目に云ひたる如く悉く人返しをして餘る人を江戶の人と定めて、其內にて下されは多くもあるまじ、一人に米一俵づゝに下さるは、これをかためには、大なることなるべし、九十百に餘る人には一年に一度ほど東照宮生忌の御日などに餅を一重も下さるべし、是人養老の禮に叶ふべし、道心者と云ものは畢竟鰥寡孤獨なり、都も田舍も下にては相應に鉢をも入るゝ、其の心根を問へは强ちに佛法を信する計りにあらず、鰥寡孤獨を憫れむ心にてとらするなり、下々は斯の如くなるに、上にて其の沙汰なきは如何なることぞや、御代々の御忌日などに增上寺の裏門、東叡山の裡門にて公儀の御役人參り、一人に一舛つゝなりとも、鉢に御入あるべきことなり、文王の政は鰥寡孤獨を先とすと云ひ、文王は能く先を養ふと云へり、是等は上の御祈禱に之に過きたることは有まじ、御役人の文盲さに斯の如きことは取興さす、一度に子三人生たるものに米錢を下さるゝと云やうなる、衰世の埓もなき古實を取行ふは詮もなきことなり、

新字:鰥寡孤独のものには御扶持を下さるべきこと也、是は畢竟年七十に余りたるものゝ誰も養ふ人なきを云ふなり、田舎などにては二三百石の村にも一両人ならでは之なきことなり、江戸は旅ものゝ心の儘に集まることに成たれば、箇様の人多かるべし、一巻目に云ひたる如く悉く人返しをして余る人を江戸の人と定めて、其内にて下されは多くもあるまじ、一人に米一俵づゝに下さるは、これをかためには、大なることなるべし、九十百に余る人には一年に一度ほど東照宮生忌の御日などに餅を一重も下さるべし、是人養老の礼に叶ふべし、道心者と云ものは畢竟鰥寡孤独なり、都も田舎も下にては相応に鉢をも入るゝ、其の心根を問へは強ちに仏法を信する計りにあらず、鰥寡孤独を憫れむ心にてとらするなり、下々は斯の如くなるに、上にて其の沙汰なきは如何なることぞや、御代々の御忌日などに增上寺の裏門、東叡山の裡門にて公儀の御役人参り、一人に一舛つゝなりとも、鉢に御入あるべきことなり、文王の政は鰥寡孤独を先とすと云ひ、文王は能く先を養ふと云へり、是等は上の御祈祷に之に過きたることは有まじ、御役人の文盲さに斯の如きことは取興さす、一度に子三人生たるものに米銭を下さるゝと云やうなる、衰世の埓もなき古実を取行ふは詮もなきことなり、

書き下し

鰥寡孤独のものには御扶持を下さるべきこと也、是は畢竟年七十に余りたるものゝ誰も養ふ人なきを云ふなり、田舎などにては二三百石の村にも一両人ならでは之なきことなり、江戸は旅ものゝ心の儘に集まることに成たれば、箇様の人多かるべし、一巻目に云ひたる如く悉く人返しをして余る人を江戸の人と定めて、其内にて下されは多くもあるまじ、一人に米一俵づゝに下さるは、これをかためには、大なることなるべし、九十百に余る人には一年に一度ほど東照宮生忌の御日などに餅を一重も下さるべし、是人養老の礼に叶ふべし、道心者と云ものは畢竟鰥寡孤独なり、都も田舎も下にては相応に鉢をも入るゝ、其の心根を問へは強ちに仏法を信する計りにあらず、鰥寡孤独を憫れむ心にてとらするなり、下々は斯の如くなるに、上にて其の沙汰なきは如何なることぞや、御代々の御忌日などに增上寺の裏門、東叡山の裡門にて公儀の御役人参り、一人に一舛つゝなりとも、鉢に御入あるべきことなり、文王の政は鰥寡孤独を先とすと云ひ、文王は能く先を養ふと云へり、是等は上の御祈祷に之に過きたることは有まじ、御役人の文盲さに斯の如きことは取興さす、一度に子三人生たるものに米銭を下さるゝと云やうなる、衰世の埓もなき古実を取行ふは詮もなきことなり、

現代語訳

鰥寡孤独(妻のない老人・夫のない老人・親のない子・子のない老人)の者には扶持を下さるべきである。これは結局、七十を越えて誰も養う人のない者をいうのである。田舎などでは二、三百石の村にも一人二人しかいない。江戸は旅の者が心のままに集まるようになったので、このような人が多いだろう。一巻目に言ったように、ことごとく人返しをして、残った人を江戸の人と定め、その中で下されれば多くもないだろう。一人に米一俵ずつ下されるのは、これを固めるには大きなことであろう。九十・百を越えた人には、一年に一度ほど、東照宮の御生忌の日などに餅を一重ねでも下さるべきである。これは養老の礼にかなうだろう。道心者(乞食僧)というものは、結局は鰥寡孤独である。都でも田舎でも、下々では相応に鉢に(施しを)入れてやる。その心根を問えば、あながち仏法を信じるばかりではなく、鰥寡孤独を憐れむ心で与えるのである。下々はこのようであるのに、上でその沙汰がないのはどういうことか。御代々の御忌日などに、増上寺の裏門、東叡山の裏門で公儀の役人が参って、一人に一升ずつでも鉢にお入れになるべきである。「文王の政は鰥寡孤独を先とす」と言い、「文王は善く老を養ふ」(原文「先を養ふ」)と言う。上の御祈祷として、これにまさるものはあるまい。役人が無学だからこのようなことを取り興さず、一度に子を三人生んだ者に米銭を下されるというような、衰えた世のとりとめもない故実を行うのは無意味なことである。

解説

身寄りのない老人や孤児に扶持を与えよという提案である。徂徠は『孟子』に見える文王の政治、すなわち鰥寡孤独を真っ先に救うという理想を引き、これにまさる祈祷はないと説く。庶民は托鉢の僧に施しをして憐れみを示しているのに、公儀に沙汰がないのはおかしいとも指摘する。戸籍を整えて対象を確定すれば費用は大きくないという見積もりも添えている。三つ子への褒美のような見栄えのする慣例より、本当に困っている人への給付を先にせよという主張は、現代の福祉や人事施策の優先順位にもそのまま通じる。

この章句が説くこと

鰥寡孤独養老福祉仁政文王政談

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る