政談 / 名乘の事
當時名乘と云もの常に呼ぬこと故、幾度も心儘に付換へ同名夥し、名乘をかへすと云こと文盲至極なる埓もなきことなるに、是も作法のやうになりて人々かへすかへり字と云ことあり、性に合はせ返り字のよきを用ゆると云ことありて、是によりて半は同名なり、名乘は實名にて、何左衛門何右衞門と云ふは假名なり、當時は假名を用ひて名乘は假名になる故右の如し、されとも屹としたる物には名乘を書くこと古法なれば、今も分限帳其の外上へ差出す書き物には名乘を書き、假名は小さくかく書にすべし、同名を吟味すべきことなり、妄りに換ゆることあるまじきなり、斯の如くなければ古き日記覺書なとにても、人々の名代々同名ある故、當時より幾代先の人なりと云ふこと知れぬ也、埒もなきことなり、世間不學なる故何とも鼻の先にて埓さへ明けは、後にも先きにも搆はぬは悲しきこと也、
新字:当時名乗と云もの常に呼ぬこと故、幾度も心儘に付換へ同名夥し、名乗をかへすと云こと文盲至極なる埓もなきことなるに、是も作法のやうになりて人々かへすかへり字と云ことあり、性に合はせ返り字のよきを用ゆると云ことありて、是によりて半は同名なり、名乗は実名にて、何左衛門何右衛門と云ふは仮名なり、当時は仮名を用ひて名乗は仮名になる故右の如し、されとも屹としたる物には名乗を書くこと古法なれば、今も分限帳其の外上へ差出す書き物には名乗を書き、仮名は小さくかく書にすべし、同名を吟味すべきことなり、妄りに換ゆることあるまじきなり、斯の如くなければ古き日記覚書なとにても、人々の名代々同名ある故、当時より幾代先の人なりと云ふこと知れぬ也、埒もなきことなり、世間不学なる故何とも鼻の先にて埓さへ明けは、後にも先きにも搆はぬは悲しきこと也、
書き下し
当時名乗と云もの常に呼ぬこと故、幾度も心儘に付換へ同名夥し、名乗をかへすと云こと文盲至極なる埓もなきことなるに、是も作法のやうになりて人々かへすかへり字と云ことあり、性に合はせ返り字のよきを用ゆると云ことありて、是によりて半は同名なり、名乗は実名にて、何左衛門何右衛門と云ふは仮名なり、当時は仮名を用ひて名乗は仮名になる故右の如し、されとも屹としたる物には名乗を書くこと古法なれば、今も分限帳其の外上へ差出す書き物には名乗を書き、仮名は小さくかく書にすべし、同名を吟味すべきことなり、妄りに換ゆることあるまじきなり、斯の如くなければ古き日記覚書なとにても、人々の名代々同名ある故、当時より幾代先の人なりと云ふこと知れぬ也、埒もなきことなり、世間不学なる故何とも鼻の先にて埓さへ明けは、後にも先きにも搆はぬは悲しきこと也、
現代語訳
今は名乗(実名)というものをふだん呼ばないので、何度も思いのままに付け替え、同名がおびただしい。名乗を「返す」(字音を反切して吉凶を見る)ということは無学の極みのとりとめもないことなのに、これも作法のようになって、人々は「返す」「返り字」ということをする。性に合わせて返り字のよいものを用いるということがあって、これによって半分は同名である。名乗は実名であって、何左衛門・何右衛門というのは仮名(通称)である。今は仮名を用いて、名乗が仮名(のような扱い)になっているので、右のようになるのである。しかし、きちんとした書き物には名乗を書くのが古法であるから、今も分限帳そのほか上へ差し出す書き物には名乗を書き、仮名は小さく書き添えるようにすべきである。同名を吟味すべきである。むやみに換えることがあってはならない。こうしなければ、古い日記・覚書などでも、人々の名が代々同名であるので、今から何代前の人であるかがわからない。とりとめもないことである。世間が不学であるから、何事も目先で用が済めば、後にも先にも構わないのは悲しいことである。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
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