政談 / 度牒の事
度牒再興せずんは、出家の治めは成かたかるへし、古は三戒檀なれとも、今は諸宗各別に成たる故、一宗々々の本山に戒檀を立てゝ、夫より度牒を出すべきことなり、第一僧に紛れ者あるまじ、出家の數减少すべし、戒律の方より出家の奢り己み殊勝になるべし、但し戒律を律宗の如くせば諸宗に通用し難し、律宗の規則は佛制なれども、時代の風俗殊の外に替り國も別なるを、只斯くばかり守りたるもの故却て僞り多し、唯々當時の風俗に合せて大乘戒を用ひ、奢りを靜め僧の惡風を止ることを旨とすへし、是は學德ある僧へ御相談ありて取り立てさせ、其の僧を早くこへて本寺へ住持させ、國師禪師僧正にもなして導かせたらは速かに直るべきことなり、惚して僧の治めは俗人よりは成がたし、類の違たる者故公儀の仰せ付にても俗人の下知は聽ぬ者なり、祐天などのやうなる僧は人の歸伏したる僧なれども無學なる故、僧衆のかたにては歸伏せす、學德ありて宗門の弊風を正し度と志したる僧を用ゆべきことなり、當時は諸宗一同に袈裟衣衣服の躰奢甚しく、これに依りて物入り多きゆゑ、自然と金銀を集むる利を巧みて罪法甚なし、且又年忌と云こと佛經にこれなきことなり、引導し戒名を付たると云ふこと、死人を寺に葬むること、佛法にこれなきこと斯の如し、就中僧は佛の違ひたる者なれば斯の如くならねは叶はざること也、
新字:度牒再興せずんは、出家の治めは成かたかるへし、古は三戒檀なれとも、今は諸宗各別に成たる故、一宗々々の本山に戒檀を立てゝ、夫より度牒を出すべきことなり、第一僧に紛れ者あるまじ、出家の数减少すべし、戒律の方より出家の奢り己み殊勝になるべし、但し戒律を律宗の如くせば諸宗に通用し難し、律宗の規則は仏制なれども、時代の風俗殊の外に替り国も別なるを、只斯くばかり守りたるもの故却て偽り多し、唯々当時の風俗に合せて大乗戒を用ひ、奢りを静め僧の悪風を止ることを旨とすへし、是は学徳ある僧へ御相談ありて取り立てさせ、其の僧を早くこへて本寺へ住持させ、国師禅師僧正にもなして導かせたらは速かに直るべきことなり、惚して僧の治めは俗人よりは成がたし、類の違たる者故公儀の仰せ付にても俗人の下知は聴ぬ者なり、祐天などのやうなる僧は人の帰伏したる僧なれども無学なる故、僧衆のかたにては帰伏せす、学徳ありて宗門の弊風を正し度と志したる僧を用ゆべきことなり、当時は諸宗一同に袈裟衣衣服の体奢甚しく、これに依りて物入り多きゆゑ、自然と金銀を集むる利を巧みて罪法甚なし、且又年忌と云こと仏経にこれなきことなり、引導し戒名を付たると云ふこと、死人を寺に葬むること、仏法にこれなきこと斯の如し、就中僧は仏の違ひたる者なれば斯の如くならねは叶はざること也、
書き下し
度牒再興せずんは、出家の治めは成かたかるへし、古は三戒檀なれとも、今は諸宗各別に成たる故、一宗々々の本山に戒檀を立てゝ、夫より度牒を出すべきことなり、第一僧に紛れ者あるまじ、出家の数减少すべし、戒律の方より出家の奢り己み殊勝になるべし、但し戒律を律宗の如くせば諸宗に通用し難し、律宗の規則は仏制なれども、時代の風俗殊の外に替り国も別なるを、只斯くばかり守りたるもの故却て偽り多し、唯々当時の風俗に合せて大乗戒を用ひ、奢りを静め僧の悪風を止ることを旨とすへし、是は学徳ある僧へ御相談ありて取り立てさせ、其の僧を早くこへて本寺へ住持させ、国師禅師僧正にもなして導かせたらは速かに直るべきことなり、惚して僧の治めは俗人よりは成がたし、類の違たる者故公儀の仰せ付にても俗人の下知は聴ぬ者なり、祐天などのやうなる僧は人の帰伏したる僧なれども無学なる故、僧衆のかたにては帰伏せす、学徳ありて宗門の弊風を正し度と志したる僧を用ゆべきことなり、当時は諸宗一同に袈裟衣衣服の体奢甚しく、これに依りて物入り多きゆゑ、自然と金銀を集むる利を巧みて罪法甚なし、且又年忌と云こと仏経にこれなきことなり、引導し戒名を付たると云ふこと、死人を寺に葬むること、仏法にこれなきこと斯の如し、就中僧は仏の違ひたる者なれば斯の如くならねは叶はざること也、
現代語訳
度牒(出家の公許状)を再興しなければ、出家の治めはできないだろう。古は三戒壇であったが、今は諸宗がそれぞれ別になったので、一宗ずつの本山に戒壇を立てて、そこから度牒を出すべきである。第一に、僧に紛れ者がなくなる。出家の数が減る。戒律の面から出家の奢りが止み、殊勝になるだろう。ただし戒律を律宗のようにすれば諸宗に通用しにくい。律宗の規則は仏の制定ではあるが、時代の風俗がことのほか変わり、国も別であるのに、ただこのようにばかり守ってきたものだから、かえって偽りが多い。ただ今の風俗に合わせて大乗戒を用い、奢りを鎮め僧の悪風を止めることを旨とすべきである。これは学徳ある僧に御相談になって取り立てさせ、その僧を早く越階させて本寺へ住持させ、国師・禅師・僧正にもして導かせれば、速やかに直るだろう。総じて僧の治めは俗人からはしにくい。類の違う者なので、公儀の仰せ付けであっても俗人の指図は聞かないものである。祐天などのような僧は人々が帰依した僧ではあるが、無学なので、僧衆の側では帰服しない。学徳があって宗門の弊風を正したいと志した僧を用いるべきである。今は諸宗一同に袈裟・衣・衣服の様子の奢りが甚だしく、これによって物入りが多いので、自然と金銀を集める利を企んで、罪は甚だしい。また年忌ということは仏経にないことである。引導して戒名を付けること、死人を寺に葬ることも、仏法にないことはこのとおりである。とりわけ僧は仏(の教え)と違ってしまった者であるから、このようにしなければならないのである。
解説
この章句が説くこと
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