政談 / 出家の公事の事
出家程公事を好むものはなし、第一死罪になる氣遣ひなし、妻子の足手まとひなし、元來住所を定めぬものなれは追放悲ます、法問論議を仕なれて理强く我慢なる者なり、偖出家の公事を能く捌きても國家の治めの益にならず、惡しく捌きても害にもならず、詮もなきこと多し、本此の公事曹洞宗に多きことなり、勸請開山と云ふことあるより起ると也、勸請開山と云ふこと元來公事を巧みて仕たしたることなれは僞なり、宗派の祖師の御影を其の寺に据ゑ置くことはあるべし、住持もせぬ人を第一世にすることなるまじきことの第一停止あるべきことなり、臨濟派は宗派を堅くまもる門宗派の寺より外へなをることならす、何れの派よりも本寺へ輪番する故寺の高下に搆はす僧臘次第なり、故に公事少し、曹洞宗は伽藍相續と云ふことをして宗派亂れたる故、寺々格を守り、僧臘に搆はす本寺へもなをるなるによりて、寺法の害になる也、惣して寺を爭ひ、金銀を爭ふことは佛法に背くことなれは、公事には勝ちたりとも綸旨口帖を奪ふて平僧とすべきことなり、其の出家は徒刑たるへし、然らば自から出家の公事少くなるべし、
新字:出家程公事を好むものはなし、第一死罪になる気遣ひなし、妻子の足手まとひなし、元来住所を定めぬものなれは追放悲ます、法問論議を仕なれて理強く我慢なる者なり、偖出家の公事を能く捌きても国家の治めの益にならず、悪しく捌きても害にもならず、詮もなきこと多し、本此の公事曹洞宗に多きことなり、勧請開山と云ふことあるより起ると也、勧請開山と云ふこと元来公事を巧みて仕たしたることなれは偽なり、宗派の祖師の御影を其の寺に据ゑ置くことはあるべし、住持もせぬ人を第一世にすることなるまじきことの第一停止あるべきことなり、臨済派は宗派を堅くまもる門宗派の寺より外へなをることならす、何れの派よりも本寺へ輪番する故寺の高下に搆はす僧臘次第なり、故に公事少し、曹洞宗は伽藍相続と云ふことをして宗派乱れたる故、寺々格を守り、僧臘に搆はす本寺へもなをるなるによりて、寺法の害になる也、惣して寺を争ひ、金銀を争ふことは仏法に背くことなれは、公事には勝ちたりとも綸旨口帖を奪ふて平僧とすべきことなり、其の出家は徒刑たるへし、然らば自から出家の公事少くなるべし、
書き下し
出家程公事を好むものはなし、第一死罪になる気遣ひなし、妻子の足手まとひなし、元来住所を定めぬものなれは追放悲ます、法問論議を仕なれて理強く我慢なる者なり、偖出家の公事を能く捌きても国家の治めの益にならず、悪しく捌きても害にもならず、詮もなきこと多し、本此の公事曹洞宗に多きことなり、勧請開山と云ふことあるより起ると也、勧請開山と云ふこと元来公事を巧みて仕たしたることなれは偽なり、宗派の祖師の御影を其の寺に据ゑ置くことはあるべし、住持もせぬ人を第一世にすることなるまじきことの第一停止あるべきことなり、臨済派は宗派を堅くまもる門宗派の寺より外へなをることならす、何れの派よりも本寺へ輪番する故寺の高下に搆はす僧臘次第なり、故に公事少し、曹洞宗は伽藍相続と云ふことをして宗派乱れたる故、寺々格を守り、僧臘に搆はす本寺へもなをるなるによりて、寺法の害になる也、惣して寺を争ひ、金銀を争ふことは仏法に背くことなれは、公事には勝ちたりとも綸旨口帖を奪ふて平僧とすべきことなり、其の出家は徒刑たるへし、然らば自から出家の公事少くなるべし、
現代語訳
出家ほど公事(訴訟)を好む者はない。第一に死罪になる心配がない。妻子の足手まといもない。もともと住所を定めない者だから追放も悲しまない。法問・論議をし慣れていて理屈が強く我が強い者である。さて出家の公事は、うまく裁いても国家の治めの益にならず、悪く裁いても害にもならず、無意味なことが多い。この公事はもともと曹洞宗に多い。勧請開山ということがあるから起こるという。勧請開山ということは、もともと公事を企んでしだしたことだから偽りである。宗派の祖師の御影をその寺に据えておくことはあってもよい。(しかし)住持もしなかった人を第一世にすることは、あってはならないことの第一で、停止すべきことである。臨済派は宗派を堅く守り、その門派の寺より外へ移ることはできず、どの派からも本寺へ輪番するので、寺の高下にかかわらず僧臘(出家してからの年数)次第である。ゆえに公事が少ない。曹洞宗は伽藍相続ということをして宗派が乱れたので、寺々が格を守り、僧臘にかかわらず本寺へも移るので、寺法の害になるのである。総じて寺を争い金銀を争うことは仏法に背くことであるから、公事に勝ったとしても綸旨・公帖(原文「口帖」)を奪って平僧とすべきである。その出家は徒刑とすべきである。そうすれば自然と出家の公事は少なくなるだろう。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻三一日示して云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云僧ありき、この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり、有時夜る方丈に参じて、焼香礼拝して云く、請すらくは某甲に後堂首座を許せと、時に禅師流涕して云く、我れ小僧たりし時より、未た此の如きの事を聞かず、汝坐禅僧として首座長老を所望すること大ひなる錯なり、なんぢ既に悟道せること我れにも越いたり、然あるに首座を望むこと是れ昇進の為か、許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし、その心操卑劣なり、誠に是を以て余の未悟の僧は推察せられたり、仏法の衰微せること是を以て知ぬべしと云ふて、流涕悲泣す、
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史記 樊酈滕灌列伝舞陽侯樊噲は、沛の人なり。狗を屠るを以て事と為し、高祖と倶に隠る。初め高祖に従ひて豊に起ち、沛を攻め下す。高祖沛公と為り、噲を以て舎人と為す。従ひて胡陵・方与を攻め、還りて豊を守り、泗水の監を豊の下に撃ちて、之を破る。復た東して沛を定め、泗水の守を薛の西に破る。司馬夷と碭の東に戦ひ、敵を卻け、首を斬ること十五級、爵国大夫を賜はる。常に従ひ、沛公章邯の軍を濮陽に撃つに、城を攻めて先登し、首を斬ること二十三級、爵列大夫を賜はる。復た常に従ひ、従ひて城陽を攻め、先登す。戸牖を下し、李由の軍を破り、首を斬ること十六級、上間の爵を賜はる。従ひて東郡の守・尉を成武に攻め囲み、敵を卻け、首を斬ること十四級、虜を捕ふること十一人、爵五大夫を賜はる。従ひて秦軍を撃ち、亳の南に出づ。河間の守の軍を杠里に撃ちて、之を破る。趙賁の軍を開封の北に撃破し、敵を卻け先登せるを以て、候一人・首六十八級を斬り、虜を捕ふること二十七人、爵卿を賜はる。従ひて楊熊の軍を曲遇に攻め破る。宛陵を攻め、先登し、首を斬ること八級、虜を捕ふること四十四人、爵を賜はり賢成君と封号す。従ひて長社・轘轅を攻め、河津を絶ち、東して秦軍を尸に攻め、南して秦軍を犨に攻む。南陽の守齮を陽城に破る。東して宛城を攻め、先登す。西して酈に至り、敵を卻けたるを以て、首を斬ること二十四級、虜を捕ふること四十人、重ねて封を賜はる。武関を攻め、霸上に至り、都尉一人・首十級を斬り、虜を捕ふること百四十六人、卒を降すこと二千九百人。
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『韓非子』顯學第五十故に孔子曰く、「容を以て人を取らんか、之を子羽に失す、言を以て人を取らんか、之を宰予に失す。」・・・故に明主の吏・宰相は必ず州部より起こり、猛將は必ず卒伍より發る。
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『墨子』尚賢中且つ夫れ王公大人、其の色を愛して使う所有り、其の人、其の知を察せずして、其の愛に與す。是の故に百人を治むる能わざる者をして、千人の官に處らしめ、千人を治むる能わざる者をして、萬人の官に處らしむ。此れ其の故は何ぞや。曰く、「若し官に處る者は爵髙くして祿厚し。故に其の色を愛して之を使うなり」と。夫れ千人を治むる能わざる者をして、萬人の官に處らしむれば、則ち此の官は什倍なり。夫れ治の法は將に日ごとに至らんとする者なり。日ごとに以て之を治むるも、日は什に脩まらず、知を以て之を治むるも、知は什に益さず。而も官を予うること什倍なれば、則ち此れ一を治めて其の九を棄つるなり。日夜相接いで以て若の官を治むと雖も、官は猶お治まらざるが若し。此れ其の故は何ぞや。則ち王公大人、尚賢使能を以て政を為すに明らかならざればなり。故に尚賢使能を以て政を為して治まる者は、夫の言の謂いなり。下賢を以て政を為して亂るる者は、吾が言の謂いなり。
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『正法眼蔵随聞記』巻三是れに愧て辞すといへども、猶終に首座に請す、其の後元首座此の詞はを記録して、自らを愧しめて師の美言を顕はす、今ま是を案ずるに、昇進を望み、物のかしらとなり、長老とならんと思ふことをば、古人是を慚ぢしむ、只道を悟らんとのみ思ふて余事あるべからず、
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
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