史記 / 袁盎鼂錯列伝
鼂錯者、潁川人也。学申商刑名。錯為人陗直刻深。以其辯得幸太子、太子家号曰智囊。数上書孝文時、言削諸侯事。書数十上、孝文不聴、然奇其材。遷為御史大夫、請諸侯之罪過、削其地、収其枝郡。奏上、独竇嬰争之、由此与錯有卻。錯所更令三十章、諸侯皆諠譁疾鼂錯。錯父聞之、従潁川来、謂錯曰、上初即位、公為政用事、侵削諸侯、別疏人骨肉、人口議多怨公者、何也。鼂錯曰、固也。不如此、天子不尊、宗廟不安。錯父曰、劉氏安矣、而鼂氏危矣、吾去公帰矣。遂飲薬死、曰、吾不忍見禍及吾身。
新字:鼂錯者、潁川人也。学申商刑名。錯為人陗直刻深。以其弁得幸太子、太子家号曰智囊。数上書孝文時、言削諸侯事。書数十上、孝文不聴、然奇其材。遷為御史大夫、請諸侯之罪過、削其地、収其枝郡。奏上、独竇嬰争之、由此与錯有却。錯所更令三十章、諸侯皆諠譁疾鼂錯。錯父聞之、従潁川来、謂錯曰、上初即位、公為政用事、侵削諸侯、別疏人骨肉、人口議多怨公者、何也。鼂錯曰、固也。不如此、天子不尊、宗廟不安。錯父曰、劉氏安矣、而鼂氏危矣、吾去公帰矣。遂飲薬死、曰、吾不忍見禍及吾身。
書き下し
鼂錯は、潁川の人なり。申商の刑名を学ぶ。錯人と為り陗直刻深なり。其の辯を以て太子に幸せられ、太子の家号して智囊と曰ふ。数しば孝文の時に上書し、諸侯を削る事を言ふ。書数十上るも、孝文聴かず、然れども其の材を奇とす。遷りて御史大夫と為り、諸侯の罪過を請ひ、其の地を削り、其の枝郡を収む。奏上るに、独り竇嬰のみ之を争ふ、此に由りて錯と卻有り。錯の更むる所の令三十章、諸侯皆諠譁して鼂錯を疾む。錯の父之を聞き、潁川より来たりて、錯に謂ひて曰く、「上初めて即位し、公政を為し事を用ゐ、諸侯を侵削し、人の骨肉を別疏す、人口議に公を怨む者多きは、何ぞや」と。鼂錯曰く、「固なり。此くのごとくならざれば、天子尊ばれず、宗廟安からず」と。錯の父曰く、「劉氏安からん、而れども鼂氏危し、吾公を去りて帰らん」と。遂に薬を飲みて死し、曰く、「吾禍の吾が身に及ぶを見るに忍びず」と。
現代語訳
鼂錯は潁川の人である。申不害・商鞅の刑名の学を修めた。錯の人柄は険しく実直で、細かく厳しかった。その弁才によって太子に寵愛され、太子の家では「智恵袋」と呼ばれた。孝文帝の時代にたびたび上書し、諸侯の領土を削ることを説いた。上書は数十回に及んだが、孝文帝は聞き入れなかった。それでもその才を並外れたものと認めた。御史大夫に昇進すると、諸侯の罪過を洗い出して、その領地を削り、その支郡を取り上げるよう請うた。上奏されると、竇嬰ひとりがこれに反対した。これによって錯と竇嬰の間に隙が生じた。錯が改めた法令は三十条に及び、諸侯はみな騒ぎ立てて鼂錯を憎んだ。錯の父はこれを聞き、潁川からやって来て、錯に言った。「主上は即位したばかりだ。お前が政をとって事を進め、諸侯を削り、他人の骨肉の親族を引き裂いている。世間でお前を怨む声が多いのは、なぜだ」。鼂錯は言った。「もとよりそういうものです。こうしなければ、天子は尊ばれず、宗廟は安泰になりません」。錯の父は言った。「劉氏は安泰になるだろう。だが鼂氏は危うい。私はお前のもとを去って帰る」。そして毒を飲んで死に、こう言い残した。「私は禍いが我が身に及ぶのを見るに忍びない」。