政談 / 鶴取の刑の事
鶴取を帳付に掛ると云ふは、大形は大閤秀吉公などより起りたることなるべし、年始に禁裡へ鶴獻上と云ふことあるより重き取捌きになると見えたり、されども非法の刑也、巖有院樣の御袋樣の御ことあれば、夫の御代に此の法は御停止あるべきことなりしを、御老中などの了簡の付ぬなるべし、水戶の義公のとき水戶にて鶴取ありて御耳に立たれは、重き御法の破たるものなれば御自身成敗可被成と也、夫より折々申し上たれども何かど御隙入にて延す後に、ひたもの伺ひたれば左らば切らんとて御庭へ引廻させ、御自身刀をとりて三度切らんと仕たまひしが、刀をすてゝ內へ入り玉ふ、その後伺へは兎角御自身切らるへきとのことにて延たる內に、彼のもの何方やらん迯けて事已みたりと承る、
新字:鶴取を帳付に掛ると云ふは、大形は大閤秀吉公などより起りたることなるべし、年始に禁裡へ鶴献上と云ふことあるより重き取捌きになると見えたり、されども非法の刑也、巖有院様の御袋様の御ことあれば、夫の御代に此の法は御停止あるべきことなりしを、御老中などの了簡の付ぬなるべし、水戸の義公のとき水戸にて鶴取ありて御耳に立たれは、重き御法の破たるものなれば御自身成敗可被成と也、夫より折々申し上たれども何かど御隙入にて延す後に、ひたもの伺ひたれば左らば切らんとて御庭へ引廻させ、御自身刀をとりて三度切らんと仕たまひしが、刀をすてゝ内へ入り玉ふ、その後伺へは兎角御自身切らるへきとのことにて延たる内に、彼のもの何方やらん迯けて事已みたりと承る、
書き下し
鶴取を帳付に掛ると云ふは、大形は大閤秀吉公などより起りたることなるべし、年始に禁裡へ鶴献上と云ふことあるより重き取捌きになると見えたり、されども非法の刑也、巖有院様の御袋様の御ことあれば、夫の御代に此の法は御停止あるべきことなりしを、御老中などの了簡の付ぬなるべし、水戸の義公のとき水戸にて鶴取ありて御耳に立たれは、重き御法の破たるものなれば御自身成敗可被成と也、夫より折々申し上たれども何かど御隙入にて延す後に、ひたもの伺ひたれば左らば切らんとて御庭へ引廻させ、御自身刀をとりて三度切らんと仕たまひしが、刀をすてゝ内へ入り玉ふ、その後伺へは兎角御自身切らるへきとのことにて延たる内に、彼のもの何方やらん迯けて事已みたりと承る、
現代語訳
鶴を捕った者を帳付けにかける(重罪とする)というのは、おおかた太閤秀吉公の頃から起こったことであろう。年始に禁裏へ鶴を献上することがあるので、重い取り扱いになったと見える。しかし非法の刑である。厳有院様(四代家綱公)の御母堂の御ことがあるのだから、その御代にこの法はお止めになるべきだったのに、老中などが気づかなかったのであろう。水戸の義公(徳川光圀)の時、水戸で鶴を捕った者があってお耳に入ったところ、重い御法を破った者だから御自身で成敗なさるとのことだった。それから折々申し上げたが、何かとお忙しくて延ばされ、後にしきりに伺うと、それなら斬ろうと御庭へ引き回させ、御自身で刀を取って三度斬ろうとなさったが、刀を捨てて奥へお入りになった。その後伺うと、とにかく御自身で斬るとのことで延ばしているうちに、その者はどこへやら逃げて事が止んだと聞いている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』安危第二十五故に安国の法は、饑ゑて食し、寒くして衣るが若く、令せずして自然なり。先王は理を竹帛に寄す、其の道順なり、故に後世服す。今人をして饑寒を去らしめば、賁・育と雖も行ふこと能はず。自然を廃すれば、道に順ふと雖も立たず。強勇の行ふこと能はざる所なれば、則ち上安んずること能はず。上、厭くこと無きを以て已に尽くせるを責むれば、則ち下「有る無し」と対ふ。有る無ければ則ち法を軽んず。法は国を為むる所以なり、而るに之を軽んずれば、則ち功立たず、名成らず。聞く、古の扁鵲の其の病を治するや、刀を以て骨を刺す。聖人の危国を救ふや、忠を以て耳に払ふ。骨を刺す、故に小痛体に在りて長利身に在り。耳に払ふ、故に小逆心に在りて久福国に在り。
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『呻吟語』内篇・談道・法は死物、道は活物威儀三千、禮儀三百、五刑の屬三千は、皆な法なり。法は是れ死底にして、人をして守る可からしむ。道は是れ活底にして、人をして變通せしむ。賢者は法の中に持循し、聖人は法の外に變易す。自ら聖人に非ずして變易を言ふは、皆な法を亂るなり。
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『韓非子』八説第四十七古者は事寡くして備へ簡に、樸陋にして盡くさず、故に珧銚ありて車を推す者有り。古者は人寡くして相親しみ、物多くして利を輕んじ讓り易し、故に揖讓して天下を傳ふる者有り。然らば則ち揖讓を行ひ、慈惠を高くし、仁厚を道ふは、皆推政なり。多事の時に處りて、寡士の器を用ふるは、智者の備へに非ざるなり。大爭の世に當りて、揖讓の軌に循ふは、聖人の治に非ざるなり。故に智者は推車に乘らず、聖人は推政を行はざるなり。法は事を制する所以なり、事は功を名づくる所以なり。法立つ有りて難有るも、其の難を權りて事成らば、則ち之を立つ。事成りて害有るも、其の害を權りて功多ければ、則ち之を爲す。難無きの法、害無きの功は、天下に有ること無きなり。是を以て千丈の都を拔き、十萬の衆を敗り、死傷する者軍の乘、甲兵折挫し、士卒死傷するも、戰勝ちて地を得たるを賀する者は、其の小害を出して其の大利を計ればなり。夫れ沐する者には弃髪有り、除する者は血肉を傷つく。人の其の難を見て、因りて其の業を釋つるを爲すは、是れ術無きの士なり。先聖言有りて曰く、「規に摩有りて水に波有り、我之を更めんと欲すれども、之を奈何ともする無し」と。此れ權に通ずるの言なり。是を以て說に必ず立ちて實に曠しき者有り、言に辭拙くして用に急なる者有り。故に聖人は害無きの言を求めずして、易ふる無きの事を務む。人の衡石を事とせざるは、貞廉にして利に遠ざかるに非ず、石は人の爲に多少なる能はず、衡は人の爲に輕重なる能はず、求索して得る能はず、故に人事とせざるなり。明主の國は、官敢へて法を枉げず、吏敢へて私利を爲さず、貨賂行はれず、
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『韓非子』難一第三十六郄子因りて曰く、「胡ぞ以て徇へざる」と。其の僕曰く、「曩には将に之を救はんとするにあらずや」と。郄子曰く、「吾敢て謗を分かたざらんや」と。或ひと曰く、郄子の言は、察せざる可からざるなり、謗を分かつに非ざるなり。韓子の斬る所や、若し罪人ならば、則ち救ふ可からず、罪人を救ふは、法の敗るる所以なり、法敗るれば則ち国乱る。若し罪人に非ざれば、則ち之に勧むるに徇ふるを以てす可からず、之に勧むるに徇ふるを以てするは、是れ不辜を重ぬるなり、不辜を重ぬるは、民の怨みを起こす所以の者なり、民怨めば則ち国危ふし。郄子の言は、危ふからざれば則ち乱る、察せざる可からざるなり。且つ韓子の斬る所若し罪人ならば、郄子奚ぞ分かたん。斬ること若し罪人に非ざれば、則ち已に之を斬れり、而して郄子乃ち至る、是れ韓子の謗已に成りて郄子且つ後れて至るなり。夫れ郄子の「以て徇へよ」と曰ふは、以て人を斬るの謗を分かつに足らずして、又徇ふるの謗を生ず。是れ子謗を分かつと言ふか。昔者紂炮烙を為る、崇侯・悪来又渉る者の脛を斬れと曰ふ、奚ぞ紂の謗を分かたん。且つ民の上に望むや甚だし、韓子得ざれば、且に郄子の之を得んことを望まんとす。今郄子俱に得ず、則ち民上に望みを絶たん。故に曰く、郄子の言は謗を分かつに非ず、謗を益すなり、と。且つ郄子の往きて罪を救ふや、韓子を以て非と為すなり。其の非と為す所以を道はずして、之に「以て徇へよ」と勧む、是れ韓子をして其の過を知らざらしむるなり。夫れ下は民をして望みを上に絶たしめ、又韓子をして其の失を知らざらしむ、吾未だ郄子の謗を分かつ所以の者を得ざるなり。桓公管仲の束縛を解きて之を相とす。管仲曰く、「臣寵有り、然り而して臣卑し」と。公曰く、「子をして高・国の上に立たしめん」と。管仲曰く、「臣貴し、然り而して臣貧し」と。公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん」と。管仲曰く、「臣富めり、然り而して臣䟽し」と。是に於て立てて以て仲父と為す。
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『呻吟語』外篇・治道・法は一なり法とは、一なり。法曹とは、此の一を執るなり。貧富貴賤を以て之を二にせば、則ち法に非ざるなり。或るひと曰く、「親貴は疏賤と法を同じくし難し」と。曰く、「是なり、八議已に之を別てり」と。八議の別たざる所にして亦た之を二にせば、將た何の說をか之れ辭せん。夫れ天子の法を執りて己の爵祿を顧忌し、以て高明に徇ひて煢獨を虐ぐるは、國法天道を如何せん。綱を裂き紀を壞り、善を摧き惡を長ずれば、國必ず病まん。
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『韓非子』用人第二十七人に君たる者、能く賢巧の能はざる所を去りて、中拙の万に失はざる所を守れば、則ち人力尽きて功名立つ。明主は為すべきの賞を立て、避くべきの罰を設く。故に賢者は賞に勧みて子胥の禍ひを見ず、不肖者は罪少なくして傴の背を剖かるるを見ず。盲者も平に処りて深谿に遇はず、愚者も静を守りて険危に陥らず。此の如くなれば、則ち上下の恩結ぶ。古の人曰く、「其の心は知り難く、喜怒は中て難し」と。故に表を以て目に示し、鼓を以て耳に語り、法を以て心に教ふ。人に君たる者、三易の数を釈てて一難知の心を行へば、此の如くなれば、則ち怒り上に積もりて怨み下に積もる。
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