政談 / 刑罰の事
偖閉門と云うことは古有督の長の靱をかくると云ふことより起る、官人の上にあることなり、當時町人百姓に閉門を申付けるは結構過きたる仕方なり、特に百姓は農作幷に人夫を出すこと公役也、閉門の間は家內の人此業ならぬこと也、あるまじきことなり、偖科料を出さすこと古の贖罪なり、但し古の贖法は五刑の法を立て置き、夫に贖の多少を、割付けて、きりの上にて罪の疑はしきことは、議の人と八九十の老人十才以下の小見と、官人の笞杖罪に贖を出たすことなり、且又大分限なる民の過惡あるとき、過怠として夥しく物の入る普請をさせて罪を贖せぬること明朝に之あり、先年此方にても京都の町人那波屋か奢りの過怠として、橋を架させたること此例なり、是等は苦しかるまじきことなり、當時は苔杖流徒死の沙汰もなく、兼てもりつけの定めもなく、只當分の見はからひにて輕き民より過怠として金を出たさすること、宜しからさることなり、是は只金を出させて困らせて刑にする仕形、先つ第一古へ謂れなきことなり、偖五刑の定めなけれは專ら金を取るへきために成るなり、五刑の定めあるときは金なき人は直に其刑を受け、金あるには金を出して詫言をするなれは刑法の名目立つなり、
新字:偖閉門と云うことは古有督の長の靱をかくると云ふことより起る、官人の上にあることなり、当時町人百姓に閉門を申付けるは結構過きたる仕方なり、特に百姓は農作幷に人夫を出すこと公役也、閉門の間は家内の人此業ならぬこと也、あるまじきことなり、偖科料を出さすこと古の贖罪なり、但し古の贖法は五刑の法を立て置き、夫に贖の多少を、割付けて、きりの上にて罪の疑はしきことは、議の人と八九十の老人十才以下の小見と、官人の笞杖罪に贖を出たすことなり、且又大分限なる民の過悪あるとき、過怠として夥しく物の入る普請をさせて罪を贖せぬること明朝に之あり、先年此方にても京都の町人那波屋か奢りの過怠として、橋を架させたること此例なり、是等は苦しかるまじきことなり、当時は苔杖流徒死の沙汰もなく、兼てもりつけの定めもなく、只当分の見はからひにて軽き民より過怠として金を出たさすること、宜しからさることなり、是は只金を出させて困らせて刑にする仕形、先つ第一古へ謂れなきことなり、偖五刑の定めなけれは専ら金を取るへきために成るなり、五刑の定めあるときは金なき人は直に其刑を受け、金あるには金を出して詫言をするなれは刑法の名目立つなり、
書き下し
偖閉門と云うことは古有督の長の靱をかくると云ふことより起る、官人の上にあることなり、当時町人百姓に閉門を申付けるは結構過きたる仕方なり、特に百姓は農作幷に人夫を出すこと公役也、閉門の間は家内の人此業ならぬこと也、あるまじきことなり、偖科料を出さすこと古の贖罪なり、但し古の贖法は五刑の法を立て置き、夫に贖の多少を、割付けて、きりの上にて罪の疑はしきことは、議の人と八九十の老人十才以下の小見と、官人の笞杖罪に贖を出たすことなり、且又大分限なる民の過悪あるとき、過怠として夥しく物の入る普請をさせて罪を贖せぬること明朝に之あり、先年此方にても京都の町人那波屋か奢りの過怠として、橋を架させたること此例なり、是等は苦しかるまじきことなり、当時は苔杖流徒死の沙汰もなく、兼てもりつけの定めもなく、只当分の見はからひにて軽き民より過怠として金を出たさすること、宜しからさることなり、是は只金を出させて困らせて刑にする仕形、先つ第一古へ謂れなきことなり、偖五刑の定めなけれは専ら金を取るへきために成るなり、五刑の定めあるときは金なき人は直に其刑を受け、金あるには金を出して詫言をするなれは刑法の名目立つなり、
現代語訳
さて閉門ということは、古の「有督の長の靱をかくる」(門に靱を掛けて謹慎を示す)ということから起こったもので、官人に科すものである。今、町人・百姓に閉門を申し付けるのは結構すぎるやり方である。特に百姓は農作と人夫を出すことが公役であり、閉門の間は家内の者がこの務めをできない。あってはならないことである。さて科料(過料)を出させるのは古の贖罪である。ただし古の贖法は、五刑の法を立てておき、それに贖いの多少を割り付けて、そのうえで、罪の疑わしいもの、議(八議)にあたる人、八、九十歳の老人、十歳以下の子ども、官人の笞・杖の罪に贖いを出させたのである。また大分限(大金持ち)の民に過ちがあるとき、過怠として莫大な費用のかかる普請をさせて罪を贖わせることが明朝にある。先年こちらでも京都の町人那波屋の奢りの過怠として橋を架けさせたのがその例である。これらは差し支えないことである。今は笞・杖・流・徒・死の沙汰もなく、前もって割り付けの定めもなく、ただその場の見計らいで軽い民から過怠として金を出させるのは、よろしくないことである。これはただ金を出させて困らせて刑罰とするやり方で、まず第一に古に根拠がない。さらに五刑の定めがなければ、もっぱら金を取るためのものになる。五刑の定めがあるときは、金のない人はそのまま刑を受け、金のある人は金を出して詫びをするのだから、刑法の名目が立つのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
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『墨子』尚賢下子墨子言いて曰く、「天下の王公大人は皆な其の國家の富み、人民の衆く、刑法の治まるを欲す。然れども尚賢を以て政を為して其の國家百姓を治むるを識らず。王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失えるなり。若し茍くも王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失わば、則ち物を舉げて之に示す毋くんばある能わざらんや。今、若し一諸侯、此に有りて、國家に政を為すや、曰く、『凡そ我が國の能く射御する士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。射御する能わざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず能く射御する士は喜び、射御する能わざる士は懼れんと為す。我れ賞して因りて之を誘わん、曰く、『凡そ我が國の忠信の士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。忠信ならざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。」
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『墨子』法儀子墨子曰く、天下の事を從むる者は、以て法儀無かる可からず。法儀無くして其の事能く成る者は、有ること無し。士の將相為る者に至ると雖も皆な法有り、百工の事を從むる者に至ると雖も亦た皆な法有り。百工は方を為すに矩を以てし、圜を為すに規を以てし、直きは繩を以てし、正しきは懸を以てす。巧工も不巧工も無く、皆な此の四者を以て法と為す。巧なる者は能く之に中り、不巧なる者は中つる能わずと雖も、放依して以て事を從めば、猶お已に逾えたり。故に百工の事を從むるや、皆な法度有り。今、大なる者は天下を治め、其の次は大國を治むるに、而も法度無し。此れ百工の辯なるに若かざるなり。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
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『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
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『墨子』尚同上子墨子言いて曰く、古者、民、始めて生じて未だ刑政有らざる時、盖し其の語、人ごとに義を異にす。是を以て一人なれば則ち一義、二人なれば則ち二義、十人なれば則ち十義。其の人、滋いよ衆ければ、其の義と謂う所の者も亦た滋いよ衆し。是を以て人は其の義を是として、以て人の義を非とす。故に交ごも相い非とし是とするなり。内なる者は父子兄弟、怨惡を作し、離散して相い和合する能わず。天下の百姓、皆な水火毒藥を以て相い虧害し、餘力有るに至るも以て相い勞う能わず。餘財を府列するも以て相い分かたず、良道を隠匿するも以て相い教えず。天下の亂るること、禽獸の若く然り。
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