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政談 / 刑罰の事

御先々前御代に或る百姓生類を殺したる罪にて縛られたるを、其下女の十三に成たるか繩を解て迯したるにより其下女は牢舍す、百姓の譜代なれは親類もなく訴訟する人なし、牢に廿年計り居たる時或人罪有て牢舍す、牢の内にて洗濯なと致し吳れたる故、仔細を問へは云々と答ふ、右の人出牢して後ち彼女のことを訴訟して女も赦されたれとも、牢に廿年計り住たる故女の業を何も知ずと云ことを此七八年以前に承はる、古の法に刑罰を司る役人は、流人徒罪人獄囚等のことを罪の輕重を委細に帳面に記し置き、時々吟味して訴訟する人々とも時節を考へ申立て、赦すこと古法也、當時は何ことも治めと云ことを知らす、何ことも下より申出されは搆はぬを立派とする故兎角に訴訟をさすることに成て、此の如き不埒ある也、

新字:御先々前御代に或る百姓生類を殺したる罪にて縛られたるを、其下女の十三に成たるか縄を解て迯したるにより其下女は牢舎す、百姓の譜代なれは親類もなく訴訟する人なし、牢に廿年計り居たる時或人罪有て牢舎す、牢の内にて洗濯なと致し呉れたる故、仔細を問へは云々と答ふ、右の人出牢して後ち彼女のことを訴訟して女も赦されたれとも、牢に廿年計り住たる故女の業を何も知ずと云ことを此七八年以前に承はる、古の法に刑罰を司る役人は、流人徒罪人獄囚等のことを罪の軽重を委細に帳面に記し置き、時々吟味して訴訟する人々とも時節を考へ申立て、赦すこと古法也、当時は何ことも治めと云ことを知らす、何ことも下より申出されは搆はぬを立派とする故兎角に訴訟をさすることに成て、此の如き不埒ある也、

書き下し

御先々前御代に或る百姓生類を殺したる罪にて縛られたるを、其下女の十三に成たるか縄を解て迯したるにより其下女は牢舎す、百姓の譜代なれは親類もなく訴訟する人なし、牢に廿年計り居たる時或人罪有て牢舎す、牢の内にて洗濯なと致し呉れたる故、仔細を問へは云々と答ふ、右の人出牢して後ち彼女のことを訴訟して女も赦されたれとも、牢に廿年計り住たる故女の業を何も知ずと云ことを此七八年以前に承はる、古の法に刑罰を司る役人は、流人徒罪人獄囚等のことを罪の軽重を委細に帳面に記し置き、時々吟味して訴訟する人々とも時節を考へ申立て、赦すこと古法也、当時は何ことも治めと云ことを知らす、何ことも下より申出されは搆はぬを立派とする故兎角に訴訟をさすることに成て、此の如き不埒ある也、

現代語訳

先々前の御代(五代綱吉公の時代)に、ある百姓が生類を殺した罪で縛られていたのを、その家の十三歳になる下女が縄を解いて逃がしたため、下女は牢に入れられた。百姓の譜代の奉公人なので親類もなく、訴え出てくれる人もいなかった。牢に二十年ばかりいたころ、ある人が罪を得て入牢した。牢の中で洗濯などをしてくれるので事情を尋ねると、これこれと答えた。その人は出牢した後にこの女のことを訴え出て、女も赦されたが、牢に二十年ほど住んでいたため女の仕事を何ひとつ知らないということを、七、八年前に聞いた。古の法では、刑罰を司る役人は流人・徒罪人・獄囚などについて罪の軽重を詳しく帳面に記しておき、時々吟味して、訴え出る人々とも時節を考えて申し立て、赦すのが古法である。今は何事も「治める」ということを知らず、何事も下から申し出なければ構わないのを立派なこととするので、とかく訴訟をさせることになり、このような不始末が起こるのである。

解説

綱吉の時代、主人を逃がした十三歳の下女が、訴えてくれる身寄りもなく二十年も牢に置かれた。徂徠はこの実話を引き、古の法では刑罰の役人が囚人の罪の軽重を帳面に記し、時々吟味して赦したと説く。下から申し出がなければ放置するのを立派とする当時の役人の姿勢を、「治める」ことを知らないと批判するのである。現代の組織でも、申し出がないから問題なしとする受け身の管理は、声を上げられない人を取り残す。定期的に棚卸しをする仕組みを持つことこそ、制度を設計する側の責任である。

この章句が説くこと

刑罰治め記録吟味制度設計政談

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