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政談 / 刑罰の事

大赦にて罪人を赦すも上の御慈悲なる故、前訟の有無に搆はす罪の輕重を役人の役として吟味して赦すこと古流成に、當時は兎角寺へ賴みて訴訟をして貰ふこと成故、上の御慈悲とは思はず佛法の御蔭也と思ふ也、異國にても日本の古にても大赦は目出度時節に行るゝことなるに、御他界御年忌の節ならては之なきは下と上と悅を共にすることは失せ果て、上の悲を下は悅候やうになり行ことは立やう未熟なる故也、

新字:大赦にて罪人を赦すも上の御慈悲なる故、前訟の有無に搆はす罪の軽重を役人の役として吟味して赦すこと古流成に、当時は兎角寺へ頼みて訴訟をして貰ふこと成故、上の御慈悲とは思はず仏法の御蔭也と思ふ也、異国にても日本の古にても大赦は目出度時節に行るゝことなるに、御他界御年忌の節ならては之なきは下と上と悦を共にすることは失せ果て、上の悲を下は悦候やうになり行ことは立やう未熟なる故也、

書き下し

大赦にて罪人を赦すも上の御慈悲なる故、前訟の有無に搆はす罪の軽重を役人の役として吟味して赦すこと古流成に、当時は兎角寺へ頼みて訴訟をして貰ふこと成故、上の御慈悲とは思はず仏法の御蔭也と思ふ也、異国にても日本の古にても大赦は目出度時節に行るゝことなるに、御他界御年忌の節ならては之なきは下と上と悦を共にすることは失せ果て、上の悲を下は悦候やうになり行ことは立やう未熟なる故也、

現代語訳

大赦で罪人を赦すのも上の御慈悲であるから、訴えの有無にかかわらず、罪の軽重を役人の職務として吟味して赦すのが古来のやり方であるのに、今はとかく寺に頼んで訴えてもらうことになっているので、人々は上の御慈悲とは思わず、仏法のおかげだと思っている。異国でも日本の古でも大赦はめでたい時節に行われるものなのに、(今は)将軍のご逝去やご年忌の折でなければ行われない。これでは上と下が喜びを共にすることはすっかり失われ、上の悲しみを下が喜ぶようになってしまう。これは制度の立て方が未熟だからである。

解説

大赦は本来、罪の軽重を役人が職務として吟味して行う上の慈悲であるのに、寺を通じた嘆願に頼るため、民はそれを仏法のおかげだと受け取ってしまう。しかも大赦が将軍の死去や年忌のときにしか行われないので、上の悲しみが下の喜びになる。徂徠はこれを制度の立て方の未熟さだと見る。恩恵をどの経路で、どの機会に届けるかで、受け手の受け止め方は大きく変わる。現代の組織でも、評価や報奨が誰の判断に見えるかまで設計しておかなければ、本来の意図は伝わらない。

この章句が説くこと

大赦慈悲制度上下仏法政談

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