韓非子 / 外儲説右上第三十四
文公曰:「吾民之有喪資者,寡人親使郎中視事,有罪者赦之,貧窮不足者與之,其足以戰民乎?」狐子對曰:「不足。此皆所以慎産也;而戰之者,殺之也。民之從公也,爲慎産也,公因而迎殺之,失所以爲從公矣。」曰:「然則何如足以戰民乎?」狐子對曰:「令無得不戰。」公曰:「無得不戰奈何?」狐子對曰:「信賞必罰,其足以戰。」公曰:「刑罰之極安至?」對曰:「不辟親貴,法行所愛。」文公曰:「善。」明日令田於圃陸,期以日中爲期,後期者行軍法焉。於是公有所愛者曰顛頡後期,吏請其罪,文公隕涕而憂。吏曰:「請用事焉。」遂斬顛頡之脊,以徇百姓,以明法之信也。而後百姓皆懼曰:「君於顛頡之貴重如彼甚也,而君猶行法焉,況於我則何有矣!」文公見民之可戰也,於是遂興兵伐原,克之。伐衞,東其畝,取五鹿;攻陽;勝虢;伐曹;南圍鄭,反之陴;罷宋圍;還與荆人戰城濮,大敗荆人,返爲踐土之盟,遂成衡雍之義。一舉而八有攻。所以然者,無他故異物,從狐偃之謀,假顛頡之脊也。夫痤疽之痛也,非刺骨髓,則煩心不可支也;非如是,不能使人以半寸砥石彈之。今人主之於治亦然,非不知有苦則安,欲治其國,非如是不能聽聖知而誅亂臣。
新字:文公曰:「吾民之有喪資者,寡人親使郎中視事,有罪者赦之,貧窮不足者与之,其足以戦民乎?」狐子対曰:「不足。此皆所以慎産也;而戦之者,殺之也。民之従公也,為慎産也,公因而迎殺之,失所以為従公矣。」曰:「然則何如足以戦民乎?」狐子対曰:「令無得不戦。」公曰:「無得不戦奈何?」狐子対曰:「信賞必罰,其足以戦。」公曰:「刑罰之極安至?」対曰:「不辟親貴,法行所愛。」文公曰:「善。」明日令田於圃陸,期以日中為期,後期者行軍法焉。於是公有所愛者曰顛頡後期,吏請其罪,文公隕涕而憂。吏曰:「請用事焉。」遂斬顛頡之脊,以徇百姓,以明法之信也。而後百姓皆懼曰:「君於顛頡之貴重如彼甚也,而君猶行法焉,況於我則何有矣!」文公見民之可戦也,於是遂興兵伐原,克之。伐衛,東其畝,取五鹿;攻陽;勝虢;伐曹;南囲鄭,反之陴;罷宋囲;還与荆人戦城濮,大敗荆人,返為践土之盟,遂成衡雍之義。一舉而八有攻。所以然者,無他故異物,従狐偃之謀,仮顛頡之脊也。夫痤疽之痛也,非刺骨髄,則煩心不可支也;非如是,不能使人以半寸砥石弾之。今人主之於治亦然,非不知有苦則安,欲治其国,非如是不能聴聖知而誅乱臣。
書き下し
文公曰く、「吾が民の喪資有る者は、寡人親ら郎中をして事を視しめ、罪有る者は之を赦し、貧窮にして足らざる者は之に与ふ、其れ以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子対へて曰く、「足らず。此れ皆産を慎む所以なり。而して之を戦はしむるは、之を殺すなり。民の公に従ふや、産を慎むが為なり、公因りて迎へて之を殺さば、公に従ふを為す所以を失はん」と。曰く、「然らば則ち何如にして以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子対へて曰く、「戦はざるを得ること無からしめよ」と。公曰く、「戦はざるを得ること無きは奈何」と。狐子対へて曰く、「信賞必罰、其れ以て戦はしむるに足る」と。公曰く、「刑罰の極は安くにか至る」と。対へて曰く、「親貴を辟けず、法愛する所に行はる」と。文公曰く、「善し」と。明日令して圃陸に田し、期するに日中を以て期と為し、期に後るる者は軍法を行はんとす。是に於て公の愛する所の者有り顛頡と曰ふ、期に後る、吏其の罪を請ふ、文公涕を隕して憂ふ。吏曰く、「請ふ事を用ひん」と。遂に顛頡の脊を斬りて、以て百姓に徇へ、以て法の信を明らかにするなり。而る後百姓皆懼れて曰く、「君顛頡の貴重に於けること彼の如く甚だしきなり、而るに君猶ほ法を行ふ、況んや我に於てをや則ち何か有らん」と。文公民の戦はしむ可きを見るや、是に於て遂に兵を興して原を伐ち、之に克つ。衛を伐ち、其の畝を東にし、五鹿を取る。陽を攻め、虢に勝つ。曹を伐ち、南のかた鄭を囲み、之が陴を反す。宋の囲みを罷む。還りて荊人と城濮に戦ひ、大いに荊人を敗り、返りて践土の盟を為し、遂に衡雍の義を成す。一挙にして八たび攻有り。然る所以の者は、他の故異物無し、狐偃の謀に従ひ、顛頡の脊を仮るなり。夫れ痤疽の痛みや、骨髄を刺すに非ざれば、則ち煩心支ふ可からざるなり。是の如くに非ざれば、人をして半寸の砥石を以て之を弾せしむる能はず。今人主の治に於けるも亦然り、苦有れば則ち安きを知らざるに非ず、其の国を治めんと欲するも、是の如くに非ざれば聖知を聴きて乱臣を誅する能はず。
現代語訳
文公は言った。「わが民で喪中で資財に困る者には、私自ら郎中を遣わして世話をさせ、罪のある者は赦し、貧しくて足りない者には与えている。これで民を戦わせるのに足りるか」。狐偃は答えた。「足りません。これらはみな民の暮らしを大事にするためのものです。ところが民を戦わせるのは、民を死なせることです。民が公に従うのは暮らしを大事にしてもらえるからなのに、公がそのうえで彼らを死地に向かわせれば、民が公に従う理由を失わせてしまいます」。文公が「それではどうすれば民を戦わせるのに足りるのか」と言うと、狐偃は「戦わないわけにはいかないようにすることです」と答えた。文公が「戦わないわけにはいかないようにするとはどうするのか」と言うと、狐偃は「信賞必罰、それで戦わせるに足ります」と答えた。文公が「刑罰はどこまで徹底すればよいのか」と言うと、「親しい者や身分の高い者も避けず、法を愛する者にまで行うことです」と答えた。文公は「よろしい」と言った。翌日、圃陸で狩りをすると命じ、正午を集合の刻限とし、遅れた者には軍法を適用するとした。ところが文公の寵愛する顛頡という者が遅れてきた。役人がその罪の処置を請うと、文公は涙を流して悩んだ。役人は「どうか法どおりに処置させてください」と言った。こうして顛頡の背を斬り、民にさらして、法が確かに行われることを明らかにした。その後、民はみな恐れて言った。「君はあれほど顛頡を重んじておられたのに、それでも法を行われた。まして我々ならなおさらだ」。文公は民が戦わせられる状態になったのを見ると、兵を起こして原を討ち、これに勝った。衛を討って畑の畝を東西向きに改めさせ(晋の兵車が通りやすいようにし)、五鹿を取った。陽を攻め、虢に勝った。曹を討ち、南に進んで鄭を包囲し、その城壁の女牆を打ち崩した。宋の包囲を解かせた。引き返して荊(楚)の軍と城濮で戦い、大いに楚軍を破り、帰って践土で盟約を結び、ついに衡雍で覇者としての大義を成し遂げた。一度の挙兵で八つの功を立てたのである。そうなったのは、ほかでもない、狐偃の謀に従い、顛頡の背を借りた(見せしめとした)からである。そもそも腫れ物の痛みは、骨髄を刺すほどでなければ、胸苦しさに耐えきれない。そうでなければ、人に半寸の石針で腫れ物を突かせることはできない。いま君主が国を治めるのも同じで、苦しみを経れば安らかになると知らないわけではないが、国を治めようとしても、このように痛みを忍ぶのでなければ、聖人や知者の言葉を聞き入れて乱臣を誅することはできない。
解説
関連する章句
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『商君書』賞刑晉文公、刑を明らかにして以て百姓に親しまんと欲す。是に於て諸侯の大夫を侍千宮に合す。顛頡、後れて至る、その罪を請う。君曰く、「事に用いよ」と。吏遂に顛頡の脊を斷ちて以て殉す。晉國の士、稽えて皆な懼れて曰く、「顛頡の寵有るや、斷ちて以て殉す。況んや我に於てをや」と。兵を舉げて曹及び五鹿を伐ち、鄭の埤を反し、衛の畝を東にし、荊人に城濮に勝つ。三軍の士、これを止むるは足を斬るが如く、これを行かしむるは流水の如し。三軍の士、敢えて禁を犯す者無し。故に一たび道を假り輕きを顛頡の脊に重くして、晉國は治まる。
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『新序』善謀第九晉の文公の時、周の襄王に弟太叔の難有り。出亡して鄭に居り、入るを得ず。使いをして難を魯に、晉に、秦に吿げしむ。其の明年の春、秦伯河上に師し、將に王を納れんとす。狐偃晉の文公に言いて曰く、諸侯を求むるは、王に勤むるに如くは莫し。且つ大義なり。諸侯之を信ぜん。文の業を繼ぎて、信を諸侯に宣ぶるは、今爲す可きなり、と。卜す。偃之を卜して曰く、吉なり。黃帝阪泉に戰うの兆に遇う、と。公曰く、吾堪えざるなり、と。對えて曰く、周の禮未だ改まらず。今の王は、古の帝なり、と。公曰く、之を筮せよ、と。之を筮するに、大有の暌に遇う。曰く、吉なり。公用て天子に享せらるるの卦に遇う。戰いて克ちて王享す。吉孰れか焉より大ならん。且つ是の卦や、天澤と爲りて以て日に當たる。天子心を降して以て公を迎う。亦た可ならずや。大有暌を去りて復す。亦た其の所なり、と。晉侯秦師を辭して下る。三月甲辰、陽樊に次る。右師温を圍み、左師王を逆う。夏、四月丁巳、王王城に入る。太叔を温に取りて之を隰城に殺す。戊午、晉侯王に朝す。王醴を享し、之に侑を命じ、之に陽樊・温原・攢茅の田を予う。晉是に於いて始めて南陽の地を開く。其の後三年、文公遂に再び諸侯を會して以て天子に朝す。天子之に弓矢・秬鬯を錫い、以て方伯と爲す。晉の文公の命是れなり。卒に覇道を成すは、狐偃の謀なり。夫れ秦・魯皆な晉に狐偃の善謀有りて以て覇功を成すを疑う。故に謀帷幄に得れば、則ち功天下に施さる。狐偃の謂いなり。
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『韓非子』難一第三十六晋の文公将に楚人と戦はんとし、舅犯を召して之に問ひて、曰く、「吾将に楚人と戦はんとす、彼は衆く我は寡し、之を為すこと奈何」と。舅犯曰く、「臣之を聞く、繁礼の君子は、忠信を厭はず。戦陣の間は、詐偽を厭はず。君其れ之を詐らんのみ」と。文公舅犯を辞し、因りて雍季を召して之に問ひて、曰く、「我将に楚人と戦はんとす、彼は衆く我は寡し、之を為すこと奈何」と。雍季対へて曰く、「林を焚きて田すれば、偸に多くの獣を取るも、後必ず獣無し。詐を以て民に遇へば、偸に一時を取るも、後必ず復び無し」と。文公曰く、「善し」と。雍季を辞し、舅犯の謀を以て楚人と戦ひて以て之を敗る。帰りて爵を行ふに、雍季を先にして舅犯を後にす。羣臣曰く、「城濮の事は、舅犯の謀なり。夫れ其の言を用ひて其の身を後にするは、可ならんや」と。文公曰く、「此れ若が知る所に非ざるなり。
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『新序』雜事第四晉の文公原を伐つ。大夫と期すること五日。五日にして原降らず。文公令して之を去らしむ。吏曰く、原は三日に過ぎずして、將に降らんとす。君之を待つに如かざるか、と。君曰く、原を得て信を失う。吾爲さざるなり、と。原人之を聞きて曰く、君の義有ること此くの若し。降らざる可からざるなり、と。遂に降る。温人之を聞き、亦た降らんことを請う。故に曰く、原を伐ちて温降る、と。此の謂いなり。是に於いて諸侯之に歸す。遂に曹を侵し衞を伐ち、踐土の會、温の盟を爲す。後に南のかた強楚を破り、周室を尊び事え、遂に霸功を成し、上は齊桓に次ぐ。本と信は原を伐つに由るなり。
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『韓非子』內儲說上七術第三十過ち有るも罪せず、功無くして賞を受くれば、亡ぶと雖も、亦可ならずや」と。斉国厚葬を好み、布帛は衣衾に尽き、材木は棺椁に尽く。桓公之を患ひ、以て管仲に告げて曰く、「布帛尽くれば則ち以て蔽ひと為す無く、材木尽くれば則ち以て守備と為す無し。而るに人の厚葬すること休まず、之を禁ずること奈何」と。管仲対へて曰く、「凡そ人の為す有るや、之を名とするに非ざれば、則ち之を利とするなり」と。是に於て乃ち令を下して曰く、「棺椁度に過ぐる者は其の尸を戮し、夫の喪に当たる者を罪す」と。夫れ死を戮すれば名無く、喪に当たる者を罪すれば利無し。人何の故にか之を為さんや。衛の嗣君の時、胥靡有りて魏に逃れ、因りて襄王の后の為に病を治す。衛の嗣君之を聞き、人をして五十金を以て之を買はんことを請はしむ。五たび反るも魏王予へず、乃ち左氏を以て之に易へんとす。群臣左右諫めて曰く、「夫れ一都を以て胥靡を買ふは、可ならんや」と。王曰く、「子の知る所に非ざるなり。夫れ治に小無く、乱に大無し。法立たずして誅必ならずんば、十の左氏有りと雖も益無きなり。法立ちて誅必ならば、十の左氏を失ふと雖も害無きなり」と。魏王之を聞きて曰く、「主治めんと欲して之に聴かざるは、不祥なり」と。因りて載せて往き、徒だ之を献ず。三。斉王、文子に問ひて曰く、「国を治むること何如」と。対へて曰く、「夫れ賞罰の道為る、利器なり。君固く之を握り、以て人に示すべからず。臣の如き者の若きは、猶ほ獣鹿のごときなり、唯だ薦草にのみ就く」と。越王、大夫文種に問ひて曰く、「吾呉を伐たんと欲す、可ならんか」と。対へて曰く、「可なり。吾が賞は厚くして信、罰は厳にして必なり。君之を知らんと欲せば、何ぞ試みに宮室を焚かざる」と。是に於て遂に宮室を焚く。人之を救ふ莫し。乃ち令を下して曰く、「人の火を救ひて死する者は、死敵の賞に比し、火を救ひて死せざる者は、勝敵の賞に比し、火を救はざる者は、降北の罪に比す」と。人の其の体に塗り濡衣を被て火に走る者、左に三千人、右に三千人。此れ必勝の勢ひを知るなり。呉起、魏の武侯の為に西河の守と為る。秦に小亭有りて境に臨む。呉起之を攻めんと欲す。去らずんば、則ち甚だ田者を害す。之を去らんとすれば、則ち以て甲兵を徴するに足らず。
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『韓非子』難二第三十七昔者吾が先君献公国を并すこと十七、国を服すること三十八、戦ひて十有二勝つ、是れ民の用なり。献公没し、恵公位に即く、淫衍暴乱にして、身は玉女を好み、秦人恣に侵し、絳を去ること十七里、亦是れ人の用なり。恵公没し、文公之を授かり、衛を囲み、鄴を取り、城濮の戦ひに、五たび荊人を敗り、尊名を天下に取る、亦此の人の用なり。亦君能はざる有るのみ、士に弊無きなり」と。簡子乃ち楯・櫓を去り、矢石の及ぶ所に立ち、之に鼓して士之に乗じ、戦ひて大いに勝つ。簡子曰く、「吾革車千乗を得んよりは、行人燭過の一言を聞くに如かず」と。或ひと曰く、行人未だ以て説くこと有らざるなり、乃ち恵公は此の人を以て是れ敗れ、文公は此の人を以て是れ霸たりと道ふ、未だ人を用ふる所以を見さざるなり。簡子未だ速やかに盾・櫓を去る可からざるなり。厳親囲みに在りて、軽く矢石を犯すは、孝子の親を愛する所以なり。孝子の親を愛するは、百数の一なり。今以て身危きに処りて人尚ほ戦ふ可しと為すは、是れ百族の子の上に於けるを以て皆孝子の親を愛するが若しとするなり、是れ行人の誣なり。利を好み害を悪むは、夫の人の有する所なり。