政談 / 大坂在番の事
大坂在番の御番頭も御城中にて病死すれば、其の夜中に家來共に御城中を引拂ふ事定法なりと承はる、是亦如何なるべき、諸大名の家中も江戶屋敷の内にて病死すれば其の夜中に送り出たす、是も右の法に准したるなり、人には頓死もあるものなり、死後三日は葬らず置くべきこと也、死すると其の儘其の死骸を送り出だす、人情に於て死を憫む道に欠けたり、大坂は御城なれば、江戶の御城にて死人も病人も其の儘御城を下くるに准してのことか、惣して城と云ふものは元來戰ひのために設けたることなれは、元來死を忌むべき塲所に非ず、江戶の御城は御座城なれば尤ものこと也、大坂も御城なれども不斷の御座所になければ階級あるべきことなり、其の上江戶には御城外に面々の居屋敷あれば夫へ下ぐるなり、大坂は正に寺へ遣し葬むるなれは人情に於て欠たるなり、
新字:大坂在番の御番頭も御城中にて病死すれば、其の夜中に家来共に御城中を引払ふ事定法なりと承はる、是亦如何なるべき、諸大名の家中も江戸屋敷の内にて病死すれば其の夜中に送り出たす、是も右の法に准したるなり、人には頓死もあるものなり、死後三日は葬らず置くべきこと也、死すると其の儘其の死骸を送り出だす、人情に於て死を憫む道に欠けたり、大坂は御城なれば、江戸の御城にて死人も病人も其の儘御城を下くるに准してのことか、惣して城と云ふものは元来戦ひのために設けたることなれは、元来死を忌むべき塲所に非ず、江戸の御城は御座城なれば尤ものこと也、大坂も御城なれども不断の御座所になければ階級あるべきことなり、其の上江戸には御城外に面々の居屋敷あれば夫へ下ぐるなり、大坂は正に寺へ遣し葬むるなれは人情に於て欠たるなり、
書き下し
大坂在番の御番頭も御城中にて病死すれば、其の夜中に家来共に御城中を引払ふ事定法なりと承はる、是亦如何なるべき、諸大名の家中も江戸屋敷の内にて病死すれば其の夜中に送り出たす、是も右の法に准したるなり、人には頓死もあるものなり、死後三日は葬らず置くべきこと也、死すると其の儘其の死骸を送り出だす、人情に於て死を憫む道に欠けたり、大坂は御城なれば、江戸の御城にて死人も病人も其の儘御城を下くるに准してのことか、惣して城と云ふものは元来戦ひのために設けたることなれは、元来死を忌むべき塲所に非ず、江戸の御城は御座城なれば尤ものこと也、大坂も御城なれども不断の御座所になければ階級あるべきことなり、其の上江戸には御城外に面々の居屋敷あれば夫へ下ぐるなり、大坂は正に寺へ遣し葬むるなれは人情に於て欠たるなり、
現代語訳
大坂在番の御番頭も、御城中で病死すれば、その夜のうちに家来ともども御城中を引き払うのが定まった法だと聞いている。これもまたいかがなものか。諸大名の家中でも、江戸屋敷の内で病死すれば、その夜のうちに送り出す。これも右の法に準じたのである。人には頓死(急死)もあるものである。死後三日は葬らずに置くべきである。死ぬとそのまますぐ遺骸を送り出すのは、人情として死を憐れむ道に欠けている。大坂は御城であるから、江戸の御城で死人も病人もそのまま御城から下げるのに準じたのか。総じて城というものは、もともと戦いのために設けたものであるから、もともと死を忌むべき場所ではない。江戸の御城は将軍の御座城であるからもっともなことである。大坂も御城ではあるが、常の御座所ではないので、段階の違いがあってよいはずである。そのうえ江戸には御城外にそれぞれの居屋敷があるので、そこへ下げるのである。大坂ではすぐ寺へ送って葬るのであるから、人情として欠けているのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
-
『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
-
『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
-
『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
-
『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
-
『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る