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政談 / 大名の潰れ跡引拂の事

大名の潰れたるとき跡の江戶の屋敷を引拂ふこと餘り火急なることなり、近比水野隼人正か節承はり及ひ候に、家中の下々盜みをし、財寳を棄賣りにし、町人押込み不法なる躰、跡を御預けなされたる親類の家來鎗の鞘を外づし町人を制したる樣子など御城下にあるまじき次第也、隼人正か養母巢鴨の屋敷より松平安藝守か下屋敷へ引きとるか、某か門前を通りたるを見けるに、粗相なる乘物一挺に供の女中は皆徒足なり、確かとしたる士も付かず、長持ちを擔ひたる棒は生木の杉の枝を落ろしたるばかりなり、しとねを物に包まず物にも入れず、細引にからげて持ち乘る、特の外にあわてゝ取りみだしたる躰なり、隼人の正か妻を戶田釆女正が方へ引き取りたるは舟にて夜中に引きたる故見苦しきことなしと云ふ、是は兩家より迎に參りたるものゝ才不才にもよるべけれども、惣躰餘りに火急なることなり、

新字:大名の潰れたるとき跡の江戸の屋敷を引払ふこと余り火急なることなり、近比水野隼人正か節承はり及ひ候に、家中の下々盗みをし、財宝を棄売りにし、町人押込み不法なる体、跡を御預けなされたる親類の家来鎗の鞘を外づし町人を制したる様子など御城下にあるまじき次第也、隼人正か養母巣鴨の屋敷より松平安芸守か下屋敷へ引きとるか、某か門前を通りたるを見けるに、粗相なる乗物一挺に供の女中は皆徒足なり、確かとしたる士も付かず、長持ちを担ひたる棒は生木の杉の枝を落ろしたるばかりなり、しとねを物に包まず物にも入れず、細引にからげて持ち乗る、特の外にあわてゝ取りみだしたる体なり、隼人の正か妻を戸田釆女正が方へ引き取りたるは舟にて夜中に引きたる故見苦しきことなしと云ふ、是は両家より迎に参りたるものゝ才不才にもよるべけれども、惣体余りに火急なることなり、

書き下し

大名の潰れたるとき跡の江戸の屋敷を引払ふこと余り火急なることなり、近比水野隼人正か節承はり及ひ候に、家中の下々盗みをし、財宝を棄売りにし、町人押込み不法なる体、跡を御預けなされたる親類の家来鎗の鞘を外づし町人を制したる様子など御城下にあるまじき次第也、隼人正か養母巣鴨の屋敷より松平安芸守か下屋敷へ引きとるか、某か門前を通りたるを見けるに、粗相なる乗物一挺に供の女中は皆徒足なり、確かとしたる士も付かず、長持ちを担ひたる棒は生木の杉の枝を落ろしたるばかりなり、しとねを物に包まず物にも入れず、細引にからげて持ち乗る、特の外にあわてゝ取りみだしたる体なり、隼人の正か妻を戸田釆女正が方へ引き取りたるは舟にて夜中に引きたる故見苦しきことなしと云ふ、是は両家より迎に参りたるものゝ才不才にもよるべけれども、惣体余りに火急なることなり、

現代語訳

大名が潰れたとき、跡の江戸屋敷を引き払うのはあまりに性急である。近ごろ水野隼人正の一件のときに聞き及んだところでは、家中の下々が盗みをし、財宝を投げ売りにし、町人に押し込むなど不法なありさまで、跡をお預けになった親類の家来が槍の鞘を外して町人を制したという様子などは、御城下にあってはならないことである。隼人正の養母が巣鴨の屋敷から松平安芸守の下屋敷へ引き取られるのが、私の門前を通ったのを見たところ、粗末な乗物一挺に、供の女中はみな徒歩である。しっかりした侍も付いていない。長持を担う棒は、生木の杉の枝を落としただけのものである。夜具を物に包まず、入れ物にも入れず、細引きで縛って持ち運ぶ。ことのほか慌てて取り乱した様子である。隼人正の妻を戸田采女正の方へ引き取ったのは、舟で夜中に引いたので見苦しいことはなかったという。これは両家から迎えに来た者の才不才にもよるだろうが、総じてあまりに性急なことである。

解説

享保十年(1725年)、松本藩主水野忠恒は江戸城中で刃傷事件を起こして改易された。徂徠は、そのときの屋敷引き払いの混乱を、自ら門前で目撃した光景も交えて描く。下々の盗みや投げ売り、粗末な支度で慌ただしく移される養母の姿は、性急な処分がいかに秩序を崩すかを物語る。組織の解散や事業所の閉鎖を急ぐあまり、資産の散逸や関係者の尊厳の損失を招くことがある。撤収にも手順と時間が要るという教訓は、現代の危機対応にも通じる。

この章句が説くこと

改易手順秩序撤収大名水野

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