政談 / 大名の潰れ跡引拂の事
是は昔主人の潰れたるあとにて其の家來が籠りて住ぬことあるより、火急に屋敷を引拂ふ事、上を敬ふ筋なりとて、其の潰れたる人の親類の下知したるか初となり、斯の如く仕來りて法の樣に成り上よりも今は下知するなるべし、左れども昔は諸大名の江戶宅は何れも當座の旅宿と不斷心得居、陣小屋の心持ちに覺えたる故、今に大名の長屋をば小屋と云ひならはすことなれども、今は江戶勝手の家來多く成り常住の宅の如し、大名の妻女も昔は特の外に甲斐〳〵しく取りまはしたれとも今まはさなし、當時に至りては其家內に御惡みなければ、今少し寛やかにあり度ものなり、
新字:是は昔主人の潰れたるあとにて其の家来が籠りて住ぬことあるより、火急に屋敷を引払ふ事、上を敬ふ筋なりとて、其の潰れたる人の親類の下知したるか初となり、斯の如く仕来りて法の様に成り上よりも今は下知するなるべし、左れども昔は諸大名の江戸宅は何れも当座の旅宿と不断心得居、陣小屋の心持ちに覚えたる故、今に大名の長屋をば小屋と云ひならはすことなれども、今は江戸勝手の家来多く成り常住の宅の如し、大名の妻女も昔は特の外に甲斐〳〵しく取りまはしたれとも今まはさなし、当時に至りては其家内に御悪みなければ、今少し寛やかにあり度ものなり、
書き下し
是は昔主人の潰れたるあとにて其の家来が籠りて住ぬことあるより、火急に屋敷を引払ふ事、上を敬ふ筋なりとて、其の潰れたる人の親類の下知したるか初となり、斯の如く仕来りて法の様に成り上よりも今は下知するなるべし、左れども昔は諸大名の江戸宅は何れも当座の旅宿と不断心得居、陣小屋の心持ちに覚えたる故、今に大名の長屋をば小屋と云ひならはすことなれども、今は江戸勝手の家来多く成り常住の宅の如し、大名の妻女も昔は特の外に甲斐〳〵しく取りまはしたれとも今まはさなし、当時に至りては其家内に御悪みなければ、今少し寛やかにあり度ものなり、
現代語訳
これは、昔、主人が潰れた後でその家来が籠もって立ち退かないことがあったことから、急いで屋敷を引き払うのが上を敬う筋だとして、その潰れた人の親類が指図したのが初めである。このようにし続けて法のようになり、上からも今は指図するのだろう。けれども昔は、諸大名の江戸の住まいは、いずれも当座の旅宿と常に心得て、陣小屋の心持ちで思っていたので、今でも大名の長屋を「小屋」と言いならわしているが、今は江戸住まいの家来が多くなり、常住の家のようである。大名の妻女も昔はことのほか甲斐甲斐しく立ち回ったが、今はそうではない。今に至っては、その家内に御憎しみがないのであれば、もう少しゆるやかにしたいものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』大名の潰れ跡引拂の事大名の潰れたるとき跡の江戸の屋敷を引払ふこと余り火急なることなり、近比水野隼人正か節承はり及ひ候に、家中の下々盗みをし、財宝を棄売りにし、町人押込み不法なる体、跡を御預けなされたる親類の家来鎗の鞘を外づし町人を制したる様子など御城下にあるまじき次第也、隼人正か養母巣鴨の屋敷より松平安芸守か下屋敷へ引きとるか、某か門前を通りたるを見けるに、粗相なる乗物一挺に供の女中は皆徒足なり、確かとしたる士も付かず、長持ちを担ひたる棒は生木の杉の枝を落ろしたるばかりなり、しとねを物に包まず物にも入れず、細引にからげて持ち乗る、特の外にあわてゝ取りみだしたる体なり、隼人の正か妻を戸田釆女正が方へ引き取りたるは舟にて夜中に引きたる故見苦しきことなしと云ふ、是は両家より迎に参りたるものゝ才不才にもよるべけれども、惣体余りに火急なることなり、
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『政談』諸大名の困窮を救ふ事諸大名の身上のこと是亦同断なり、其身上の困究するいはれは、隔年に江戸詰する故御城下をはれと覚え、物成悉く売り払ひ金にして江戸にて遣ひ棄ることは大名の境界なり、これによりて自分のをこりたへ〳〵なるも、江戸の物価高直になることによりて次第にもの入り強くなる、慶長寛永の頃まては諸大名謀叛を気遣ひ金を遣はするやうにすること其時分御年寄ともの計策なり、これによりて御老中諸大名よりものをとること却て御奉公の筋にて、其時分は曽て遠慮なきことなりと云ふ、此筋盛遣に成て御先々前御代の頃は御手伝ひ等仰せ付らるゝこと盛なる故諸大名愈々物をひ、上の御威勢の烈しきに恐れて手前の困窮をも顧みす、京都大坂の町人より金を借り返弁もならす、大方はよこにねることになれは其後は金を貸さす、然るに金銀のかはりめになり困窮以ての外なり、
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『政談』大名の潰れたる其の家來を鄕士にすへき事大名の家謀叛なと惣して御咎めの筋にても無きを、家の潰るゝは其家来に咎なし、然るに家潰るれは家来流浪すること世の風俗と成り、詮方なきことなれとも痛ましきことなり、元来武士なれは町人百姓の業もならす、渡世すへきやうなけれは今は様々の悪事を仕出すものもあり、是れ其身の咎なれとも畢竟上の政道の足らぬ所とも云ふへきか、
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『政談』出替り奉公人の締りの事されとも昔は欠落逐電のたぐひなどは其儘さし置かず、尋ね出して成敗し、見当り次第成敗すること武家の風俗なり、諸国なれは急に追掛打とむることなる故、武士は人々打替袋に米と銭とを入れ鞋をくゝり付け、不断の居間に掛け置を心掛よきとするは左様の節急に追掛んためなり、御城下なれば箱根笛吹に急に人を遣すやうなること某覚候ても武家の風俗寛文の頃まては斯の如くなり、されども法の立てやう元来未熟なる故欠落逐電之ありといへども、唯武風烈しきによりて少なく、また御当地へ来り隠れ居るやうなる上をないがしろにしたることは之なきなり、また公法も厳に武士の風儀もよき故、左様なるものをば仰付けを待たすして尋ね出し打ちすつるは恥を知りたる故なり、
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『政談』大名の潰れ跡引拂の事但し其の潰れたる大名の家財の内、弓鉄砲具足などは親類の方へ改め預り置き、跡の仰せ付けられを待ちて上へ伺はせ其の親類に下さゝるとも、又小身にても跡目を立てたる人に下さるゝことなりとも、又上へ召上らるゝことなりともあるべきことなり、其の仔細は右の類の武器は大名の国を守る道具なれば、後家のものに成るへきやうなし、町人へ売払ふへきものにあらず、又家来は浪人するなれば家来の分散して取るべきものにあらず、又家来の自分に所持したる弓鉄砲具足も主人の親類の方へ預け置て、跡目仰せ付られ済みて後ち、其の主々へ帰すべき事なり、但し鉄砲は浪人の所持すべきものにあらざれば、其の親類方へ買取るべし、斯の如く定法を立ては、家来の取こもりすみに気遣ひはあるまじ、されば屋敷を引きとることは相応にゆるやかにさすべきことなり、
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『政談』御城下屋敷割の事御城下の屋敷割大名をは江戸はつれに置きて、小身ものを御城近辺に置きたきこと也、小身ものは無人にて而かも勤め世話しなけれは御近所相応なり、大名は朔望の出仕ばかりのことにて、而かも大身にて人も多けれは遠方相応なり、御城近き故大名の家居込み合ひて火災の用心も悪しきなり、但し大名の屋敷は立派にて小身ものの家は立派ならぬ故、立派のために御近辺に大名をさし置かるゝことなるへけれとも、小身ものゝ屋敷ある所は外を一たんに煉屏にして、内に屋敷つくりをしたらは小身にても成るほと立派なるへし、前に云ひたる通りに諸役人にかみすけじやうさくわんなとを立つることならは、かみすけじやうさくわんの居所を、役屋敷にして一所に置き、外を一搆ひにし、諸役人は御用多きことなれは丸の内に置きたきことなり、されとも此等は大物成ることなり、武家を残らす知行所にさしつかはすにあらされは成りかたきこと也、
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