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政談 / 喧嘩兩成敗の事

之に付きて喧嘩に相手を切り殺したらは、其の殺したるもの切腹して兩成敗勿論のことなり、双方手負たるを脇より取りすくむること如何あるべき、殿中ならば取りすくめて双方切腹たるべし、私宅ならは矢張働せて一方生きたるもの切腹たるべし、其のもの其の塲を立去らんとせは、掛け付けたるもの搦めとるとなりとも、打ち棄つるなりともすべきことなり、口論ばかりにていせたすきはなさゞる內ならば、取りすくめて申し直すこと尤ものことなり、喧嘩兩成敗と法を立つるからは手負を生かし置きて罪を詮議するに及ばざること也、罪を詮議することは理非を立つる仕方なり、兩成敗と云ふは理非を立てぬ仕方也、此の段相違なり、武士たらんもの喧嘩して手負ひたる上にて、生きてだまり居べきやう無し、當時の島津鍋島などにては既に抜き離したる上は、手をさゝず仕合にすると云ふ、尤のことなり、

新字:之に付きて喧嘩に相手を切り殺したらは、其の殺したるもの切腹して両成敗勿論のことなり、双方手負たるを脇より取りすくむること如何あるべき、殿中ならば取りすくめて双方切腹たるべし、私宅ならは矢張働せて一方生きたるもの切腹たるべし、其のもの其の塲を立去らんとせは、掛け付けたるもの搦めとるとなりとも、打ち棄つるなりともすべきことなり、口論ばかりにていせたすきはなさゞる内ならば、取りすくめて申し直すこと尤ものことなり、喧嘩両成敗と法を立つるからは手負を生かし置きて罪を詮議するに及ばざること也、罪を詮議することは理非を立つる仕方なり、両成敗と云ふは理非を立てぬ仕方也、此の段相違なり、武士たらんもの喧嘩して手負ひたる上にて、生きてだまり居べきやう無し、当時の島津鍋島などにては既に抜き離したる上は、手をさゝず仕合にすると云ふ、尤のことなり、

書き下し

之に付きて喧嘩に相手を切り殺したらは、其の殺したるもの切腹して両成敗勿論のことなり、双方手負たるを脇より取りすくむること如何あるべき、殿中ならば取りすくめて双方切腹たるべし、私宅ならは矢張働せて一方生きたるもの切腹たるべし、其のもの其の塲を立去らんとせは、掛け付けたるもの搦めとるとなりとも、打ち棄つるなりともすべきことなり、口論ばかりにていせたすきはなさゞる内ならば、取りすくめて申し直すこと尤ものことなり、喧嘩両成敗と法を立つるからは手負を生かし置きて罪を詮議するに及ばざること也、罪を詮議することは理非を立つる仕方なり、両成敗と云ふは理非を立てぬ仕方也、此の段相違なり、武士たらんもの喧嘩して手負ひたる上にて、生きてだまり居べきやう無し、当時の島津鍋島などにては既に抜き離したる上は、手をさゝず仕合にすると云ふ、尤のことなり、

現代語訳

これについて、喧嘩で相手を斬り殺したなら、その殺した者が切腹して両成敗とするのはもちろんである。双方が手負いになったのを脇から取り押さえるのはいかがなものか。殿中であれば取り押さえて双方切腹とすべきである。私宅であれば、やはり働かせて、一方の生き残った者が切腹すべきである。その者がその場を立ち去ろうとすれば、駆けつけた者が搦め取るなり、討ち捨てるなりすべきである。口論ばかりで、まだ刀を抜き放たないうちであれば、取り押さえて仲直りさせるのはもっともである。喧嘩両成敗と法を立てるからには、手負いを生かしておいて罪を詮議するには及ばない。罪を詮議するのは理非を立てるやり方である。両成敗というのは理非を立てないやり方である。この点が食い違っている。武士たる者が喧嘩して手傷を負ったうえで、生きて黙っていられるはずがない。今、島津や鍋島などでは、すでに刀を抜き放った上は、手を出さず勝負させるという。もっともなことである。

解説

喧嘩両成敗という法を立てた以上、手負いを生かして理非を詮議するのは法の趣旨と矛盾すると徂徠は指摘する。理非を問う裁きと、理非を問わない両成敗は、別の原理に立つ仕組みであり、混ぜると筋が通らなくなる。口論の段階なら仲裁し、刀を抜いた後は手出ししないという線引きも示す。ルールを運用するとき、その根本の原理と矛盾する例外処理を重ねていないかを点検する視点は、現代の就業規則や懲戒の運用にもそのまま当てはまる。

この章句が説くこと

両成敗理非法運用原理喧嘩

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