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政談 / 喧嘩兩成敗の事

異國律の捌き、日本にても律を執行はれたるときは仇打ちと云ふことを立てす、其の仔細は人を殺したるものをば公儀より之を殺す故仇打に及ばす、罪の有無を糺して許し置かるゝ人は公儀より許し置るゝことなれば、之を打つは常の人殺になりて、其の仇打ちたるものは却て死罪になるなり、斯の如く立つること、公法を丈夫に立てゝ五倫の道を搆はす、私に人を殺すことを强く戒めたる仕方にて、郡縣の代の治め方の如し、當時は世自から封建になりたる故、國々は公儀より御搆ひなく、諸大名面々治め也、五倫の意を大切に立てざれば叶はざること成る故、郡縣の法律の捌きは當時に用ひがたしと知るへし、

新字:異国律の捌き、日本にても律を執行はれたるときは仇打ちと云ふことを立てす、其の仔細は人を殺したるものをば公儀より之を殺す故仇打に及ばす、罪の有無を糺して許し置かるゝ人は公儀より許し置るゝことなれば、之を打つは常の人殺になりて、其の仇打ちたるものは却て死罪になるなり、斯の如く立つること、公法を丈夫に立てゝ五倫の道を搆はす、私に人を殺すことを強く戒めたる仕方にて、郡県の代の治め方の如し、当時は世自から封建になりたる故、国々は公儀より御搆ひなく、諸大名面々治め也、五倫の意を大切に立てざれば叶はざること成る故、郡県の法律の捌きは当時に用ひがたしと知るへし、

書き下し

異国律の捌き、日本にても律を執行はれたるときは仇打ちと云ふことを立てす、其の仔細は人を殺したるものをば公儀より之を殺す故仇打に及ばす、罪の有無を糺して許し置かるゝ人は公儀より許し置るゝことなれば、之を打つは常の人殺になりて、其の仇打ちたるものは却て死罪になるなり、斯の如く立つること、公法を丈夫に立てゝ五倫の道を搆はす、私に人を殺すことを強く戒めたる仕方にて、郡県の代の治め方の如し、当時は世自から封建になりたる故、国々は公儀より御搆ひなく、諸大名面々治め也、五倫の意を大切に立てざれば叶はざること成る故、郡県の法律の捌きは当時に用ひがたしと知るへし、

現代語訳

異国の律による裁き、また日本でも律が行われていたときは、仇討ちということを認めない。そのわけは、人を殺した者は公儀からこれを殺すので、仇討ちに及ばない。罪の有無を糾して許しておかれた人は公儀から許しておかれたのであるから、これを討つのは普通の人殺しになって、その仇を討った者はかえって死罪になるのである。このように立てるのは、公の法を堅く立てて五倫の道に構わず、私に人を殺すことを強く戒めたやり方で、郡県の世の治め方のようである。今は世がおのずと封建になったので、国々は公儀からお構いがなく、諸大名がそれぞれ治めている。五倫の意を大切に立てなければ立ち行かないことになっているので、郡県の法律の裁きは今の時代には用いにくいと知るべきである。

解説

律令の法では、殺人は公権力が裁くので私的な仇討ちは認めず、仇を討てばかえって死罪になる。これは中央集権の郡県制にふさわしい法である。しかし江戸の世は大名が各地を治める封建制であり、人倫の情を重んじなければ治まらないので、郡県の律はそのまま使えないと徂徠は説く。法は社会の構造に合わせて選ぶべきだという、徂徠の現実主義が表れている。他社や海外の制度を導入する際、組織の構造との相性を見極める必要を教える一節である。

この章句が説くこと

封建郡県律法五倫制度

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