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政談 / 喧嘩兩成敗の事

喧嘩兩成敗のこと當時の定法にて聖人の道に叶へり、但し聖人の法は兩成敗にせず、罪の有無を糺して打たる人に罪なきときは、打れたるものゝ子を四夷の地に移して仇討をせぬやうにするなり、是は父の仇には共に天を戴ずと立てゝ、四夷の地は天子の御持を外して天下の外なる故、四夷の地に移すことなり、左れば喧嘩兩成敗にはあらざれども、五倫の道を重く立て、仇討を許す故仇討をさせぬ爲に、斯の如く委細なる仕方あるなり、當時兩成敗と云ふは片々を生かし置くときは仇討絕えぬによりて斯の如く御定めあること、五倫を重く立てゝ仇討を許す仔細なる故聖人の道に叶ふなり、

新字:喧嘩両成敗のこと当時の定法にて聖人の道に叶へり、但し聖人の法は両成敗にせず、罪の有無を糺して打たる人に罪なきときは、打れたるものゝ子を四夷の地に移して仇討をせぬやうにするなり、是は父の仇には共に天を戴ずと立てゝ、四夷の地は天子の御持を外して天下の外なる故、四夷の地に移すことなり、左れば喧嘩両成敗にはあらざれども、五倫の道を重く立て、仇討を許す故仇討をさせぬ為に、斯の如く委細なる仕方あるなり、当時両成敗と云ふは片々を生かし置くときは仇討絶えぬによりて斯の如く御定めあること、五倫を重く立てゝ仇討を許す仔細なる故聖人の道に叶ふなり、

書き下し

喧嘩両成敗のこと当時の定法にて聖人の道に叶へり、但し聖人の法は両成敗にせず、罪の有無を糺して打たる人に罪なきときは、打れたるものゝ子を四夷の地に移して仇討をせぬやうにするなり、是は父の仇には共に天を戴ずと立てゝ、四夷の地は天子の御持を外して天下の外なる故、四夷の地に移すことなり、左れば喧嘩両成敗にはあらざれども、五倫の道を重く立て、仇討を許す故仇討をさせぬ為に、斯の如く委細なる仕方あるなり、当時両成敗と云ふは片々を生かし置くときは仇討絶えぬによりて斯の如く御定めあること、五倫を重く立てゝ仇討を許す仔細なる故聖人の道に叶ふなり、

現代語訳

喧嘩両成敗は今の定まった法で、聖人の道にかなっている。ただし聖人の法は両成敗にはせず、罪の有無を糾して、討った人に罪がないときは、討たれた者の子を四方の夷の地に移して、仇討ちをしないようにするのである。これは「父の仇とはともに天を戴かず」と立てて、四夷の地は天子の治めの外で天下の外であるから、四夷の地に移すのである。そうであるから喧嘩両成敗ではないが、五倫の道を重く立て、仇討ちを許すので、仇討ちをさせないために、このように委細な仕方があるのである。今、両成敗というのは、片方を生かしておくと仇討ちが絶えないので、このようにお定めがあるのであって、五倫を重く立てて仇討ちを許す趣旨であるから、聖人の道にかなうのである。

解説

徂徠は、喧嘩両成敗を一見乱暴な法としながら、聖人の道にかなうと評価する。聖人の法では罪の有無を糾したうえで、遺族を天下の外へ移して仇討ちの連鎖を断った(『礼記』曲礼の「父の讐は与に共に天を戴かず」を踏まえる)。両成敗も、親子の情を重んじて仇討ちを認める社会で、報復の連鎖を止めるための仕組みだと読み解くのである。法の形の違いではなく、その法が何を防ぐために作られたかで評価する見方は、現代のルール設計を考えるうえでも示唆に富む。

この章句が説くこと

両成敗仇討五倫礼記聖人法

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