孫子 / 始計篇
法者,曲制、官道、主用也。
書き下し
法とは、曲制・官道・主用なり。
現代語訳
「法」とは組織制度・指揮系統・物資管理を指す。
解説
五事の第五「法」を定義した一節です。孫子の言う「法」とは、法律というより、組織を動かす仕組みそのものを指します。曲制(部隊の編成と指揮系統)、官道(職務分掌と伝達の経路)、主用(物資や予算の管理)——つまり、誰がどう動き、命令がどう伝わり、資源がどう回るか、という運営の骨組みです。どんなに立派な理念や優れた将がいても、この仕組みが整っていなければ組織は機能しません。現代の企業でいえば、組織設計、指揮命令系統、経理・調達の管理体制にあたります。理念(道)を実際に動かすのは、地味なこの「法」=仕組みです。土台となる運営の型を整えることの大切さを、孫子は五事の締めくくりに置きました。
この章句が説くこと
制度仕組み法
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『政談』誓詞の事国方なとにては組頭と云ふものは、其の一組の士を病気も幼少も息災にて勤むるも皆同く支配し、偖江戸の勤めは別に番頭と云ふ者ありて、其の下知を受て勤むることにて、其の組頭の支配の内より番替を以て番頭下へつかはすとき、病気幼少のものにあたれは一組の内より外の人を代りに出たし、その本人よりわり合はせをつかはす故、身上のならぬものは病気幼少の代りを願ひて、ひたものつとむること御当地の取り人の如し、さてわり合ひを出たすこと故勝手に宜しからされは自から虚病は少きと承はる、箇様なる仕方能く詮議せは有るへきことなり、兎角当時の誓詞は御作法のやうに成りて詮なきことなれは、一向に停止なりて唯大名の国なとへ御目付けに行くなと、其の外にも時にとりて当座きりの御用にばかり大切なることに誓詞仰せ付られ然るへき也、
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『韓非子』守道第二十六天下を堯の法に託せば、則ち貞士は分を失はず、姦人は徼幸せず。千金を羿の矢に寄すれば、則ち伯夷も亡ふことを得ずして、盗跖も敢へて取らず。堯は姦を失はざるに明らかなり、故に天下に邪無し。羿は発を失はざるに巧みなり、故に千金亡びず。邪人寿ならずして盗跖止む。此の如し、故に図は宰予を載せず、六卿を挙げず。書は子胥を著さず、夫差を明らかにせず。孫・呉の略廃れ、盗跖の心伏す。人主は玉堂の中に甘服して、瞋目切歯傾取の患ひ無く、人臣は金城の内に垂拱して、扼腕聚唇嗟唶の禍ひ無し。虎を服して柙を以てせず、姦を禁じて法を以てせず、偽を塞ぎて符を以てせざるは、此れ賁・育の患ふる所、堯・舜の難しとする所なり。故に柙を設くるは、鼠に備ふる所以に非ざるなり、怯弱をして能く虎を服せしむる所以なり。
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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『韓非子』難勢第四十今勢を廃し法に背きて堯・舜を待ち、堯・舜至りて乃ち治まるは、是れ千世乱れて一たび治まるなり。法を抱き勢に処りて桀・紂を待ち、桀・紂至りて乃ち乱るるは、是れ千世治まりて一たび乱るるなり。且つ夫れ治千にして乱一なると、治一にして乱千なるとは、是れ猶ほ驥・駬に乗りて分かれ馳するがごときなり、相去ること亦遠し。夫れ隠栝の法を棄て、度量の数を去り、奚仲をして車を為らしむれば、一輪をも成す能はず。慶賞の勧め、刑罰の威無く、勢を釈て法を委て、堯・舜戸ごとに説きて人ごとに之を弁ずるも、三家をも治むる能はず。夫れ勢の用ふるに足るも亦明らかなり、而るに「必ず賢を待つ」と曰ふは、則ち亦然らず。且つ夫れ百日食はずして以て粱肉を待たば、餓うる者活きず。今堯・舜の賢を待ちて乃ち当世の民を治むるは、是れ猶ほ粱肉を待ちて餓うるを救ふの説のごときなり。夫れ「良馬固車、臧獲之を御すれば則ち人の笑ひと為り、王良之を御すれば則ち日に千里を取る」と曰ふも、吾以て然りと為さず。
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『韓非子』飾邪第十九故に鏡は清を埶りて事無く、美悪従ひて比す。衡は正を埶りて事無く、軽重従ひて載す。夫れ鏡を揺らせば則ち明為ることを得ず、衡を揺らせば則ち正為ることを得ず。法の謂ひなり。故に先王は道を以て常と為し、法を以て本と為す。本治まる者は名尊く、本乱るる者は名絶ゆ。凡そ智能明通は、以有れば則ち行ひ、以無ければ則ち止む。故に智能は道を単し、人に伝ふべからず。而して道法は万全にして、智能は失多し。夫れ衡を懸けて平を知り、規を設けて円を知るは、万全の道なり。明主は民をして道の故に飾らしむ。故に佚して功有り。規を釈てて巧に任じ、法を釈てて智に任ずるは、惑乱の道なり。乱主は民をして智に飾らしめ、道の故を知らず。故に労して功無し。法禁を釈てて請謁を聴けば、群臣官を上に売り、賞を下に取る。是を以て利は私家に在りて威は群臣に在り。故に民に力を尽くして主に事ふるの心無くして、上に交はることを務む。民上交を好めば、則ち貨財上に流れて巧説の者用ゐらる。是くの若くなれば、則ち功有る者愈々少なし。姦臣愈々進みて材臣退けば、則ち主惑ひて行ふ所を知らず、民聚まりて道ふ所を知らず。此れ法禁を廃し、功労を後にし、名誉を挙げ、請謁を聴くの失なり。凡そ法を敗るの人は、必ず詐りを設け物に託して以て来たり親しみ、又好んで天下の希に有る所を言ふ。此れ暴君乱主の惑はさるる所以にして、人臣賢佐の侵さるる所以なり。故に人臣伊尹・管仲の功を称すれば、則ち法に背き智を飾ること資有り。比干・子胥の忠にして殺さるるを称すれば、則ち強諫を疾むこと辞有り。夫れ上は賢明を称し、下は暴乱を称するは、以て類を取るべからず。是くの若き者は禁ず。君の法を立つるは、以て是と為せばなり。今人臣多く其の私智を立てて法を以て非と為す者は、是れ智を以て邪にし、法を過ぎて智を立つるなり。是くの如き者を禁ずるは、主の道なり。
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